Good morning
桔梗
Good morning
或る日、僕の背中に羽が生えた。
唐突な導入ではあるが、これは紛れもない事実なので話を続ける。
昨日は確か星がいたく輝く夜中に帰ってきて、泥のように眠った記憶だけがあった。
言われてみれば背中が痛かったような、痛くなかったような。
むむむ、覚えていないなぁ。
とりあえずそこら辺に落ちた真紅の羽を拾い上げれば、それは紛れもなく鳥の羽のような何かで。
鏡を見れば小さな羽が背中から見え隠れしている。
なんだが現実味がないそれになんとなく、白色じゃないんだなぁと思ったりした。
「今日から一週間ほど有給で休み頂きます」
何はともあれこんな状態じゃ会社にすらまともに行けない。
充電し忘れて低電力モードになっている四角いそれを手に取り、『クソ上司』と書かれた番号とタップした。
『休む? 勝手なことを言うな赤月!』
簡潔に休む旨を伝えれば、案の定怒声が飛んでくる。
いつもうざったくて仕方ないそれが、背中の羽に気をとられていたからかなんなのか、とてもどうでもいい戯言のように聞こえて面白かった。
まあどんなに文句を言われても行けないのが事実だ。
むしろ消化しきれてなかった有給で休んであげたんだから、感謝してほしいものだ!
適当なタイミングで電話を切って、ベッドの上に放り投げた。
カーテンも開けていないくせに、随分と世界が明るく見えた。
まずこの羽がどう動くのか確認しなくては。
最初は眼鏡のように体の一部であっても自分の意志で動かせるものではなかった。
けれど何度か集中しているうちにほんの少しだけ羽ばたくような動作ができるようになった。
……といっても羽は小さく、とても全体重を預けられるようなものじゃあない。
なんだ、折角なら飛べた方が楽しいのに。
けれどもこんな仮説を立てることもできる。
この羽はまだ成長段階で、明日になればもっと大きくなっているのではないかと。
僕はなんというか、楽観的な人間なのだ。
背中を隠して外に出ようとも考えたが、万一を考えて結局家に籠ることとした。
とは言えあまりに久しぶりな何もない休みとなってしまったため、なにもすることがない。
随分前に買って読んでいなかった漫画をどこかから取り出てみる。
全く買った記憶がないし、どういう内容かも知らないのだが、これがまた随分面白い。
家でまったり漫画を読めるなんて、羽に感謝する他ない。
その漫画はバトルもので、みんな異能力が使えるらしい。
今の自分ならこの世界に行っても違和感がないだろう。
敵を倒した主人公は屈託のない笑顔で笑う。
『今なら空だって飛べそうだ!』
漫画を読んで過ごしたらあっという間に三日が経ち、僕の羽は予想通り大きくなっていた。
短期間で覚えた羽ばたきをすれば、体が少しだけ持ち上がるような感覚を覚える。
すごいぞ、これ、まるで鳥みたいだ!
嬉しくなって暫く開いてすらいなかったメッセージアプリを開いて、唯一の友人に連絡をした。
そういえば今日は土曜日らしい、彼も休みだろう。
話したい事があるのでうちに来てほしい、と送れば、すぐに快諾してくれた。
流石十年の付き合いである。
彼にならこの羽の話をしたっていいと思えた。
なんてったって、僕は楽観的なのだ。
「久しぶりだな、赤月」
ドアを開けて開口一番、彼は変わらぬ笑顔で笑った。
その笑顔が最近読んだ漫画の主人公に随分と似ているように思えた。
部屋に入った親友、青波は少し眉をひそめて困ったようにこちらを見る。
「どうしたの」
「いや、部屋……」
押し黙った彼を見て思い出す。
そうだ、今の僕の部屋には羽が散らかっていたままなんだった。
そういえば背中に付いた羽についても説明していない。
「汚くてごめんって。とりま座って、色々話すよ。」
そう言って笑えば、彼は大人しく僕の言う通りにしてくれた。
深呼吸ひとつ。
判決を待つ罪人と罪状を読み上げる裁判官のような面持ちだった。
「背中に羽が生えたんだ」
目が、合った。
僕は滞りなく全てのことを話した。
彼は青ざめた顔で僕になにかを書いた紙を渡して去っていった。
どうやら怖がられてしまったみたいだ。
親友にもそんな反応をされてしまったのはショックだったが、なんせ人の背中に羽が生えているのだからびっくりするだろう。
それより渡された紙が気になって見てみれば、そこにはどこかの住所が乱れた文字で羅列されていた。
検索して目に映るのは精神科という文字列。
「は。なんのつもりだよ」
可笑しなことに今まで病院に行こうなんて微塵も思いつかなかった。
しかしそれ以上に、頭がおかしいやつだと思われこんな場所を勧められたことに、死刑判決なんかよりもずっと弾けるようなショックを受けた。
たった一人の親友だったのに、君までそんなことを言うのかい。
ブルーライトを発するそれをぶん投げて、僕は布団にくるまった。
五日経った。
羽はもう十分すぎるほど大きくなっていた。
特にこの二日はよく成長した気がする。
パタパタと動かせば、音を立てて羽が落ちる。
カーテンを開ければ、快晴。
「今なら空だって飛べそうだ」
主人公が笑う、僕も笑う。
そうだ、飛んでみよう!
きっとこの中を飛べば、今僕の中にあるこの真っ黒に染まった何かを洗い流せるはずなのだ。
それは憧憬だ、諦観などではない。
狭いベランダに出る、秋の心地よい涼しさが肌をかすめる。
ここ数日で随分涼しくなったように思えた。
深い碧の絵具を吸い込んだような地球の天井を見つめる。
空はすぐそこ、碧が近い。
羽を動かす、体がふわりと軽くなる。
嗚呼、僕こそが、主人公だったんだ!
飛べ、空から世界を掌握してやるのさ、そこに大義もクソもねぇ!
足が浮いた。
このまま神様に会いに行こう。
そして笑ってお前の喉元掻き切って、よくも七日で世界を創ったなと恨み節吐きながら、下を見て塔でもなんでも建てて僕のもとへ登って来いよと叫ぶんだ。
「はは、最高だね」
笑った。
誰が?
ぐらりと体が傾いて、真っ暗。
手首が痛い、めっちゃ痛い。
なにこれ、なんで僕は飛んでない。
「あーあ、残念だったな」
顔を上げる。
そこにいるのは漫画の主人公みたいな顔をした親友の姿。
「なんで、今飛べたんだ。邪魔しないでよ」
縋るように言う僕に、青波は笑う。
「飛べてねぇじゃん」
それはお前が止めたからだ、何を言っているのかわかない。
親友だとしてもそれはないだろう。
怒りが沸々と湧いてきて、彼の胸倉を掴み上げる。
「飛べるさ! 見ればわかる。翼が生えたんだ。僕は悪いやつをやっつけて叱って、ああそうだ、空に行かなきゃ。ダメだよ、ここで終わりだ。碧にならなきゃ」
あれ、なんか、おかしい。
僕はなにを喋っている?
嗚呼、ダメだ、戻されちゃう。
彼は僕に近付いて、そっと背中を抱きしめた。
「ごめんな、この間帰っちゃって。俺が悪かった。ちゃんと向き合ってあげなきゃいけなかった」
背中をさすられる。
あれ、そこには羽があるはずじゃ。
……羽?
パッと振り返れば、僕の背中にはなんにも、なんにもなかった。
ただ彼の手のぬくもりがあった。
「どうやって入ってきたの」
暫く彼の腕に抱かれて呆然としていた僕が、はっとして聞いたのがそれだった。
もっと他にいうコトあるだろ、と青波は笑う。
「鍵、開いてたんだぞ。この間のお前、様子おかしかったから見に来たんだ。そしたら、コレ。寿命縮まったぜ」
鍵が開いていた?
まさかと思って自分の部屋を見返せば、それは散々な有様であった。
羽だと思っていたそれは、いつ買って食べたのかわからないコンビニ弁当のゴミやら食べかすが散らかっていた。
「僕、なにしてたんだろ」
自身の状態に自覚が芽生えてきて、やっと泣きそうな気分になった。。
青波は涙をぬぐって、主人公の笑顔を見せる。
「きっと、夢の中にいたんだよ。おはよう、赤月」
なんだか納得して、僕も泣きながら笑って見せた。
「おはよう。怖い夢だったさ」
Good morning 桔梗 @Kikyo-yuki
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