【恋愛】月見うどんは神うどん

花田(ハナダ)

第1話

 関さんは、月見うどんを前に顔をほころばせた。

 いい歳をして、全く子どもみたいに笑う。


「ここの月見うどん、好きなんだよなぁ」


 関さんの視線の先の丼では、まん丸の黄身が中央に乗り、やや固まった白身がそれをふんわりと支えている。


「知っています」 


 この蕎麦屋で関さんと昼食を食べるのは、もう5度目だ。取引先から帰る途中に立ち寄った5回とも、関さんは月見うどんを食べている。

 この笑顔を引き出す月見うどんのことを、私は密かに「神のうどん」と呼んでいる。普段から穏やかだけど、仕事にはちゃんと厳しい。そんな私の憧れの先輩が無防備に笑う。このうどんは神だ。


「森山さんはいつもとろろ蕎麦ですね」


 関さんは運ばれてきた私のお膳を覗き込んだ。

 ざる蕎麦の隣に麺つゆの徳利ととろろの小鉢が並んでいる。いつものフォーメーション。


「この店のお陰でとろろ蕎麦に目覚めました」


 本当は温かいうどんが食べたい。

 食べ物の中で一番好きなものは何と訊かれれば「温かいうどん」と答えてきた。

 でも、こちらの勤務先に来て、初めて食べたうどんがしょっぱくて驚いてしまった。母と祖母が作るうどんとは全くの別物だった。その衝撃を受けて以来、外では温かいうどんは食べないことにしている。


「うどん、好きって言ってましたよね?」


 と、関さんが嬉しそうにこの店を勧めるものだから、断るに断れなくなって、困りに困って。仕方なく頼んだとろろ蕎麦が、奇跡的に美味しかった。夏場はうどんを忘れるくらいのお気に入りだった。

 でも、すっかり寒くなった今、本当は温かいうどんを食べたい。


「森山さんがうどんが好きっていうから、この店に入ったんですけどね」


「そうなんですか?」


「そうですよ」


 いただきますと言い、関さんはズルズルと麺をすすった。


「関さんがうどん好きだからだと思った」


「森山さんに何が好きかと訊ねて、温かいうどんって言ったから、うどんが美味しい店を探したんです」


 「ここは蕎麦屋だけどね」と付け加えてちょっと笑う。関さんは私の好みに合わせようとしてこの店を選んだのか。それは意外だった。


「そんな。お気遣いなく」


 何だか申し訳ない気持ちになる。


「お気遣いというか。森山さんには好きなもの食べてほしいんですよ」


「なんでですか?」


 思いもよらない発言だった。私に好きなものを食べてほしいと思う、その心は何なのだろう。


「私、そんなにひもじそうに見えました?」


 そんなに痩せてもいないはずだけど、食べられないほど困窮しているように見えるのだろうか。


「いや。かわいいからです」


 関さんは目をそらしたまま静かに答えた。

 心臓が停まるかと思った。

 口を開けたまま、しばらく動くことができなくなった。

 そんな私を他所に、関さんはティッシュで鼻を拭きながら話を続ける。


「でも、リサーチに来たとき食べたこの月見うどんにすっかりハマりました。こいつを食べるために来ています。ミイラ取りがミイラになりました」


 少し饒舌に、でも淡々と、関さんは喋る。

 かわいいから? 私のため?

 口元が勝手に緩みそうになる。

 ダメだ。調子に乗って勘違いしてはいけない。

 私なんかよりかわいくて若い後輩はたくさんいて、話しかけられると関さんはわかりやすくデレデレしているではないか。


(でも仕事中はちゃんと厳しいんだよね)


 馬鹿正直に鼻の下を伸ばすのはもちろん仕事の外でだけだ。

 どんなに忙しくても、誰が相手でも、平然と的確に仕事を片付けていく。その後ろ姿のカッコ良さは変わらない。

 そんな憧れの人にカワイイなんて、言われたら大混乱だ。

 勘違いして喜んではいけない。冷静に、冷静に。


「本当は、月見うどんのためですよね?」


 どうにか動揺を隠すために、私は余裕の笑みを浮かべてみせる。

 でも、関さんは驚いて目を見開いていた。


「森山さん。僕は『本当は』何て言葉は使いませんよ」 


 割り箸を置いて、今度はじっと私を見つめた。


「本当に、森山さんを喜ばせたかったんですよ」


「なんで?」


「だから。さっき言ったとおりです。一世一代、勇気を振り絞って正直に言ったんです」


 関さんは再び割り箸を持つと、丼の中から白い麺を掬い上げた。

 私だって本当は、うどんが食べたい。

 でも、本当は、この店のうどんはたぶん苦手。

 でも、関さんの笑う顔が見たいからここに来ている。

 私はどうしたらいいのだろう。

「本当は」なんて、使わない関さんに、本当のことを話してしまおうか。

 とろろをぐるぐる混ぜながら、嬉しいのに困った顔をしていた。

 でも、本当は、どうなの?


「ものすごく嬉しいです」


 もうダメだった。堰き止められない。

 私の顔いっぱいに、隠すことのできない喜びの笑みが広がっていた。


「私、次は月見うどんを頼みます」


 関さんの笑顔を引き出すことにおいては、この月見うどんには勝てそうにないから。


「でも、違う店のうどんも食べに行きませんか? 関さんが良ければ休みの日、一緒に」


 

 私の誘いに、「いいね」とだけ答えて視線をそらした関さんは、テーブルの下で小さくガッツポーズをしていた。

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