インファイトまで

 ここにきての三連敗。しかも全てKOで。


 最初の負けは仕方がなかった。

 あれは相手が悪かった。才能の塊のような、未来のホープ。試合開始直後に嵐のようなラッシュにのみこまれた。恐れも、迷いもない、まだ負けを知らぬ者特有の距離の詰め方。最後の一撃、あれは完全に見えなかった。彼はきっと上に行くだろう。


 二戦目はどうだろう。正直、倒されるとは思っていなかった。キャリアは俺と同じくらい。フィニッシュ率のさほど高くないレスラーだ。とにかく組み付いて、テイクダウンを狙う。上を取ったら抑え込みながら鉄槌でコツコツ削る。

 得意なタイプだ。俺は簡単には倒されない。タックルを全部切って、殴り倒してやろうと思っていた。まさかその前の打撃の差し合いでやられるとは。ジャブ、右ストレートと出したところにかぶせてきた相手の左のフックがドンピシャで俺の顎を打ち抜いた。


 三戦目、これはもう言い訳のしようがない。敗因は分かっている。飛んできたパンチに一瞬身が竦んだのだ。これまではなんてことなかったその間合いが、もう俺の居場所じゃなくなっていた。

 たいした相手じゃない。勝ちと負けの数がトントンくらいの、頑丈さだけが売りというような選手だ。そのパンチだって、あとで見返してみれば、不器用なもんだ。昔の俺なら簡単にカウンターを合わせられたはず。


 引退の二文字が頭をよぎった。セコンドについていたジムの会長は「ゆっくり休んでから今後のことを相談しよう」と言った。

 三十路を過ぎて、この負け方で三連敗。そりゃあ誰だって止めるさ。家族なら当然だ。妻は厳しい口調で「もう辞めな」と勧告した。


 別にこれで食ってるわけじゃない。プロといってもファイトマネーはスズメの涙。出ていく金の方が多い。きっぱり辞めて仕事に本腰を入れれば今より生活は楽になるだろう。ここらが潮時ってやつだ。


 それは分かっていた。でも、まだやりきっていない。どうしても試してみたいことが俺にはあった。


 妻には土下座して頼み込んだ。あと一度倒されるようなことがあれば、それでもう絶対に辞めるから、もう一回だけチャンスをくれ、と。

 会長とも話した。俺がやりたいことを、言葉を尽くして説明した。「これが最後だぞ」と言って、そのための練習メニューを組んでくれた。


 そしてついに試合の日。


 相手はまたも有望株。4戦4KOのストライカー。奴にとって俺はただの踏み台。プロモーターの考えも見え透いている。顎のすり減ったベテランの最後の奉公というわけだ。


 相手の入場をケージの中で待ってる間、悪い考えばかりが渦巻いていた。これが最後の試合になるかもしれないのだ。いつになく足が震えていた。


 だけど奴の自信に満ちた表情を見て、覚悟が決まった。やってやる。大丈夫、相手だって面食らうはずだ。こんなこと想定しているはずがないのだから。


 試合開始のホーンが鳴った。


 俺は慎重に間合いを測る。少しずつ距離を詰め、相手の攻撃が届かないギリギリの位置につく。若く、勢いのある相手は無造作にもう一歩踏み込んだ。俺はそのタイミングで一気に相手の懐へ飛び込んだ。


 右のパンチをボディに突き刺す。手応えがあった。間髪入れず左の拳を突き上げる。顎は引いたまま、相手の胸に頭をつけるようにして、とにかく手数を出した。


 先制攻撃に後手に回った相手も攻撃を返してくる。パンチが俺の顔面をとらえる。俺はそれに備えてずっと歯を食いしばっていた。衝撃が脳を揺らす。だが、意識を飛ばされるほどじゃない。


 俺は負けずに打ち返した。一発殴られたら二発以上返す。まだ経験の浅い相手は俺の新しいファイトスタイルに戸惑っている。肘や膝も飛んでくるが、俺はちゃんと見えている。大丈夫だ、ここなら倒されない。


 打撃の交換に我慢ができなくなったのか、奴は中途半端なタイミングで組んできた。俺はその時勝利を確信した。打撃の選手が苦し紛れに出したタックルなんて、俺には通用しない。上から潰して、打撃を入れる。最後は亀になった相手にパウンドをまとめてレフェリーストップ。2R 2:41 TKO。


 久しぶりの勝利の味。俺は賭けに勝った。未知の場所に飛び込んで、そこを自分の居場所にできた。うまくやれば、ここでもうしばらく生き延びられるかもしれない。




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インファイト AKTY @AKTYT

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