『座標固定』の暗殺者 ~「役立たず」と捨てられた俺は、万物を停止させる力で聖騎士団への復讐を誓う~
米澤淳之介
第1話 雨の日の座標
冷たい雨が降っていた。
路地裏特有の腐った臭いと、鉄錆のような血の臭いが混ざり合う。
「お前を殺せば、賞金がいただけると聞いてな。ギャハハ」
下卑た笑い声をあげる男たちが三人。手にはナイフや錆びた鉄パイプが握られている。 彼らが囲んでいるのは、黒髪の華奢な青年――ハルトだ。だが、今の彼の名は「カイ」という。
カイは濡れた前髪の隙間から、無感情な瞳で男たちを見つめた。
「……どいてくれ。急いでるんだ」 「あぁ!? 舐めてんのかテメェ!」
先頭の男が激昂し、鉄パイプを振り上げた。 力の乗った一撃。頭蓋を砕くには十分な威力だ。
だが、カイは動かない。避ける素振りすら見せない。 ただ、ボソリと呟いた。
「――固定(フィックス)。対象、空気。相対座標、地表」
ガッ!!
鈍い音が響いたのは、カイの頭ではなかった。 振り下ろされた鉄パイプが、カイの顔の数センチ手前で「見えない壁」に激突し、その反動で男の手首がひしゃげたのだ。
「あ、がっ!? な、なんだ!?」 「空気が……固まってやがる!?」
男たちが狼狽する。 カイはポケットに手を突っ込んだまま、静かに歩き出した。 男の一人がナイフを突き出し、飛びかかってくる。
「死ねぇッ!」
カイは溜息をつくように、また呟く。
「固定。対象、眼球。相対座標、地表」
その瞬間、男の顔面が空間に縫い留められたように静止した。
「か…体が動かねえ」
焦った男は急いで体をのけぞらせた。
ゴキリ、と嫌な音がして男が崩れ落ちる。
――男の眼球だけが、宙に浮いている。
「ヒッ、バケモノ……!」
残った男たちが悲鳴を上げて逃げ出していく。 カイはそれを追うこともせず、ただ雨空を見上げた。
雨粒が、彼の周囲だけ避けるように落ちていく。 天に向かって頭上の雨粒を「固定」し、傘代わりにしているからだ。
(……この程度の力で、俺は。)
脳裏に、あの日の記憶が蘇る。 まだ、「ハルト」という名で呼ばれていた、弱かった日々の記憶が。
◇
過去――ハルト、6歳。
裏社会で暗殺を請け負う「クイル家」。 その次男として生まれたハルトは、一族の恥晒しと呼ばれていた。
「おいハルト! 靴が汚れてるぞ。その便利な能力で泥を止めろよ」
「あはは! ただ物をその場に止めるだけなんて、接着剤の方がマシだな!」
兄や親族たちからの嘲笑。殴られる痛み。 クイル家の人間にとって、殺傷能力のない魔法はゴミ以下の価値しかなかった。ハルトの「固定」は、触れたものを少しの間だけその場に留める、それだけの力だと思われていたからだ。
「ハルト様、大丈夫ですか?」
傷だらけのハルトを抱きしめてくれるのは、使用人のマリアだけだった。 彼女の温かい手と、優しい声。それだけがハルトの世界の全てだった。
「ハルト様の力は、きっと誰かを守るための優しい力です」
そう言ってくれた。 信じていた。そうなるはずだった。
あの日、あの男が現れるまでは。
屋敷が襲撃されたわけではない。 父の客として招かれた男が、戯れにマリアを殺したのだ。
「下賎な女が、私の服にワインをこぼすとは」
ただそれだけの理由だった。 ハルトの目の前で、マリアの首が飛んだ。 鮮血がハルトの頬にかかる。
「あ……あぁ……マリア……?」
ハルトは手を伸ばした。マリアを襲う剣を「固定」しようとした。 だが、ハルトの能力値を圧倒的に上回る力で振り下ろされた太刀筋は、緩まることもなかった。
男は冷ややかな目でハルトを見下ろしていた。
その胸元には、白銀に輝く紋章――『聖騎士団』の紋章が刻まれていた。
「宴は終わりだ。帰る。」
男は剣をマリアの白いエプロンで拭き、立ち去った。
ハルトは男を追った。玄関で、男を「固定」し、手に持ったフォークで男の首を掻き切る。
「固定!固定!固定ぃいいいいいいぎぃいい!」
声にもならない声で何度も詠唱したが、男の足さえも緩めることはできなかった。
男は立ち去り、雨がハルトの体を打つ。
「泣くな、ハルト」
現れた父は、絶望する息子を見て平然と言い放った。
「それが弱さだ。復讐したいか? ならば感情を捨てろ。私の『剣』になれ」
ハルトは涙を拭わなかった。 ただ、マリアの血で濡れたその手で、地面を握りしめた。
優しさなどいらない。 守るための力などいらない。 あいつらを殺す力が欲しい。
「……なるよ。父さん」
少年の瞳から光が消えた。
この雨の日が、彼の心に刻まれた。
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