最後に忘れられないキスをして

めぇ

『最後に忘れられないキスをして』

「ねぇキスしてよ」


これが私の精一杯の抵抗だった。

真っ黒な夜道、街灯だけを頼りにして。


「何言ってるの?するわけないよ、俺彼女いるんだから」


1ミリの迷いもなく返って来た。そう言われるってわかってたけど、気にしない顔で前を見て歩いた。


そんな真面目なところが好き。


ついでにさりげなく歩道側を歩いてくれるのも、気にかけながら時折私の方を見てくれるのも。


だから今日は忘れられない夜にしたいって、そう思ってた。


まき、酔ってるでしょ?飲み過ぎだよ、気を付けなよね」


「今日はおめでたい日だったから飲み過ぎちゃったの!」


いつものメンバーで集まって、盛り上がっちゃって二次会まで行っちゃった。お酒も進んで気付けばこんな時間で明日になる前に帰ろうかって、私が言わなきゃまだ続いてたかもしれない。


そんな大学3年生の夏。


「だって市野いちのに彼女が出来たんだから!」


ねっ、て隣を歩く市野を覗き込むように下から見ると照れ臭そうに眉をハの字にして笑ってた。


そんな顔も、目を細めて顔を緩ませ優しく笑うところも、私には眩しく映っていて。


「大袈裟なんだよみんな、恥ずかしいよ彼女出来たからってあんな飲み会開くとか」


「そんなことない、市野に初めての彼女が出来たとなればみんな張り切っちゃうから!」


グーにした右手を当てながらふふって笑ってた、やっぱり照れくさそうに。


今何を思って笑ってるのかな?彼女を思い出して笑ってるのかな…


スッと視線を逸らして前を向いた。私はたぶん笑えてないから。


あぁ、どんどん力が抜けていく…ぶらんってただ下がった手は揺れているだけ、それが虚しくて。


「みんな市野のこと好きだからね」


ねぇ好きだよ、市野のこと。

そんなこと一度だって言えなかったけど。


下を向いたら終わってしまう、何か言わなきゃって思うのに何も出て来ない。次に話す言葉が出て来ない。


「あ、コンビニ」


それでも上を向かなきゃって顔を上げたら目に入って来た。田舎の帰り道は何もなくて、やっと見えて来たコンビニがあるだけ。


「ねぇアイス食べない?」


じわじわと熱い夜道、お酒のせいでいつもより体温は高い。だからきっと断る理由なんてないと思って、吸い込まれるようにコンビニの方へ歩き出した。


「涼しい~!」


入っただけで気持ちよかったコンビニの中、レジの前を通ってアイスの入った冷凍庫まで。

ここまで歩いて来たからアイスを覗き込めば顔に冷気が当たってずっとここにいたい気分。


「市野、何にする?」


「ん~、何にしよっかな~」


「迷うね」


「牧は?決まった?」


「私は…決まった!」


「俺も」


「「バニラバー」」


2人して同じものを指差してた。

だから指先を見て、そのまま隣を見て、目を合わせて笑い合った。


「今日は1つじゃなくてよかったな」


市野がバニラバーを2つ取って、1つ手渡してくれた。


「ありがと」


「俺ら本当気が合うよね」


はいって、笑いながら。


「大学入ったばっかの時もそうだったし」


「私たちが初めて話した日ね」


2年前の春、まだ慣れない新生活が始まったばかりの頃。


学食でトレーを持ちながら、どの小鉢にしようかなってじーっとメニューを見てた。

きんぴらごぼうや肉じゃが、ほうれん草の白和えにかぼちゃの煮物、いくつか種類のある中でこれだと決めて手を伸ばした時だった。


「まさか最後のポテトサラダでお見合いするとはね~!」


「同時だったよね、1つの小鉢に私の手と市野の手がギリ重ならない!みたいな」


「そうそう、うわっ気まず!って思ってたら2人ともロコモコ丼頼んでてさ、食堂のおばちゃんから渡された時は笑ったよな」


「あれは逆にロコモコ丼頼んでおいてよかったよね!」


結局そのポテトサラダは私に譲ってくれた。普通のポテトサラダだったけど、やたら頬が緩むポテトサラダだったのを覚えてる。


「マジでこれが恋の始まりか!?って思ったし、大学やべぇって思ったもん」


バニラバーを持ってレジへ歩き出した市野の背中を見ながら、そんなに笑わないでよって思った。


そんな昔を懐かしむみたいに笑わないで。



私は始まってたよ。


あの日からずっと、まだ終わってない。



それとも手が重なってたら、市野も始まってたのかな?



「俺ら本当好きなもん同じだよね」


振り返って私の方を見る。嬉しそうに笑いながら、だから私も笑って返さなきゃってうんって微笑んだ。


「牧の好みだいたいわかるし」


そうだね、そんな話はたくさんしてきたね。好きなお菓子とか好きな飲み物とか、好きな色とか…



でも本当に好きなものは知らないでしょ。


気付いてもいないでしょ。


それから2年も片想いしちゃったんだから。



コンビニから出る前に買ったバニラバーを袋から出して、自動ドアすぐ隣のゴミ箱に捨てつつ外に出た。そのまま外にあったベンチに腰掛けると、隣に市野も座った。


さっそく食べようと歯を立てて大きな口でぱくっとかじる、やっぱこれだよね~って思いながら口の中で溶かして。


「そーいえばさ、うちのメロンパン今度リニューアルするんだよ」


「え、嘘!?あんなにおいしかったのに!?」


“うちの”とは、市野がバイトするパン屋さん。大学からちょっと離れてるけど、歩いて行ける距離にあるさほど遠くはないパン屋さんで。


「牧、あれ好きだったのにな」


「市野だって好きだったじゃん!」


「そう、だから超切ない」


「私あんなにパン屋通い詰めたのに」


「毎回ありがとうな」


さくってしたクッキー生地をかじるとじゅわ~って甘々なメープルシロップがこれでもかっていうほど溢れ出て、噛めば噛むほど甘くなって最後には口の中が甘ったるくなって胃が満たされるっていう…私的には至福のメロンパンだったけど文字にしてみればあんまりおいしそうに思えないか、甘ったるくなって胃が満たされるなんてないよね普通は。でも私はそれが好きだったんだけどね。


「ハマってたのは俺らだけだったらしい」


「え、全人類好きかと思ってた」


人の好みはそれぞれあって、好き嫌いもいろいろ…でも市野とは何でも一緒だった。別に合わせてたわけでもないのに。


だからそれに少しだけね、運命感じちゃってたの。子供みたいに。


「あれウマイって言ってるの牧しか聞いたことないし」


「それも市野が絶対ウマイから食べてくれ!ってバイト始めた次の日に持って来たんだよ」


「そーだっけ?」


今でも覚えてる。学校へ向かう途中の電車の中でLINEが来て、どうしても牧に渡したいものがあるから今日のお昼は一緒に食べようって誘われた。

そんなこと言われたのは初めてだったからドキドキして、午前中の授業なんて全然頭に入って来なくて。


ちょうど去年の今頃だったね、何かと思えばメロンパンだったけど牧も絶対好きだからって言われたのが嬉しくて、もしかして市野もそんな風に思ってくれてるのかなって…


メロンパンだって嬉しかったの。

だってあれはどんなメロンパンよりおいしかった。


だからあんなに通い詰めたのにね。


「甘すぎるんだってさ」


「でもそこがよくない?」


「俺らはね、でももう少しバターを強くするとかあの甘さ全開の生地を軽くした方が万人には受けそうって」


「ふーん…、それ誰が言ってたの?」


「……。」


最後の一口のバニラバーを口の中に入れて溶かした。


あーぁ終わっちゃう、この時間が終わってしまう。もう残り少ない、この時間が。


「彼女か」


脚を組んでハァとわざとらしく息を吐いたら、市野がわかりやすく頬を赤くした。


「あらやだ、付き合いたては初心なのね♡」


「うるさいな、なんだよそのキャラ!ちょっと自分から言い出してなんか…っ、あれだっただけだよ!」


「えー、純真♡」


口をむぎゅってして、さらに顔を赤くした。何その顔、そんな顔初めて見た。


急に立ち上がったかと思うと、すっと私から食べ終わったアイスの棒をさりげなく自分のゴミと一緒に捨てた。


何もなくなった手が少し寂しい、市野の恥ずかしそうにする顔が心寂しい。


そんな顔見たことなかった、私の前ではしたことなかった。

そんな顔もするんだ、…まぁあたりまえか。かわいいとか思っちゃったじゃん。


「彼女…、バイトはもう慣れた?」


「あぁ、もう3ヶ月だし」


「そっか」


バイトを初めて3ヶ月、市野と出会って3ヶ月…3ヶ月子に負けるなんて。


私なんて2年も一緒にいるのにね。


私の3ヶ月目は市野にメロンパンをもらった時だった。


「さっ、帰ろっか~!アイス食べたら酔いも覚めたよね!」


すくっと立ち上がって背伸びをする。


明日になる前には帰ろうって言ったのに、もう明日になろうとしてるし。


明日になる前に終わらせなくちゃ。


だからこの真っ暗な道をもう一度歩き出す、もうすぐお別れがやって来る最初で最後の夜を焼き付けるように。


「…もう一緒にこうやってアイス食べられないね」


「え、なんで?」


「だって市野、彼女いるもん」


この先私がそんな風になれることはないから。一緒にいて私だけ夢を見るなんて出来ない。

もう終わりなの、何度も一緒に帰った帰り道も今日で終わり。


「でも牧との関係に変わりはないよ」


少し後ろを歩いていた私に、体を向けてまでして振り返ってくれる。

微笑みかけながら、それはいつもと変わらない市野で。


ずっとそうだったよね、市野にとっての私はずっとそうだった。


ずっとそんな風に思われてたから、言えなかった。


それは私のなりたい関係じゃなかったよ。


私のなりたい関係は…


「だってキスしてくれなかったもん」


「それはしないでしょ普通に!」


もうやって来てしまったさよならをする曲がり角、ピタッと立ち止まって市野の顔を見た。

笑わなくちゃって脳から信号を送って、とびきりの笑顔を見せた。


「じゃあね市野、私こっちだから!」


市野はどう思ったかな?いつもの私に見えてたかな?


「うん、お疲れ!またな!」


手を振った。またねって、手を振って別れた。

大きく一歩を踏み出して、曲がり角を曲がって、ここを曲がれば見られないで済むから。


ここを曲がれば…だって市野は振り返るなんてことしない、もう私のことなんて見ていないから。


私のことなんて、もう…


「…っ」


だから溢れて来てもいいよ、涙。


もう我慢しなくてもいいよ、無理しなくてもいい好きなだけ泣いていいんだよ。



あれが私の精一杯の抵抗だった。



酔った勢いのキスでも、ついでのキスでも、別れのキスでも、何でもよかった。


触れてくれたらそれだけでよかった。



そしたら真面目な市野は悩んで傷付いて、私とはもう会わないって言うと思う。

初めて怒った顔が見えたかもしれないね。


でもそれがよかったの、それで全部終わらせられるって思ったの。



終わりにしたかったんだよ、市野への恋を。   



こんな私、ずるくてひどいのはわかってる…

でもそんな忘れられない最後の夜にしたかったの。

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