ピンク教

沖永絢子

ピンク教

 僕の彼女はピンクを愛している。ピンクに狂っていると言ってもいい。異様なほどにピンクという色に執着している。人生をピンク色に塗りつぶそうとしているかのように。


 そもそも僕が彼女に惹かれたのは、ピンク色の髪で高校の入学式にやって来たその姿を見た瞬間の強烈な印象からだった。髪だけではなく、薄ピンク色のカーディガンを羽織りスニーカーを履き、爪の色はマゼンタピンク、ビニール製のスクールバッグもピンク色だったのだ。

 高校での彼女のあだ名は「ピンクちゃん」だったが、彼女はそれを揶揄や軽蔑ではなく、名誉であり誇らしいことと捉えているらしかった。

「だってピンクと言えばわたし、つまりピンクを体現しているってことでしょう? 嬉しすぎる!」

 本気でそう言っている彼女の純粋さを、僕は可愛らしいなと思った。

 昔から、ピンクに惹かれて執着するひとというのは一定数、存在している気がする。だが、ピンクという色はいつ誕生したのだろうか。彼女があまりにピンクの服しか着ないので調べたところ、色自体は古来からあるけれど、ピンクが「女の子」の色だというイメージは実は本当に近年に定着したものらしい。


 僕たちが初めてデートに行ったのは、ベタに日曜日の原宿だった。ロリィタ系ブランドの出している、フリルたっぷりのピンクのワンピースを着ている彼女と、僕は手を繋いで歩いた。ピンクの日傘、ピンクのバッグ、ピンクのバレリーナシューズ。ピンクの綿飴が載っているストロベリィアイスクリームをふたりで食べた。

「そもそもさ、何でピンクがそこまで好きになったの? 子どもの頃から好き? 何かの影響?」

「うーん、単に、ピンクって可愛いからって好き! っていうのとは、わたしは、ちょっと違うんだ。そうだね、子どもの頃はむしろ、ピンクって着てなかったかも。ママはシックな服装をさせたがっていて、子供服としては地味な部類っていうか」

 適当な店の軒先に陣取ってアイスクリームを舐めながら彼女は語った。ピンク色のチークを施された頬はやわらかそうだった。

「ママ、真っ黒い服しか着ないひとでさ、わたしが小学生の時に死んじゃったんだけど……そのとき、喪服以外で黒い服を着るなんてまっぴらだって思った」

「なるほど、それは、ある意味では子どもの頃の影響かな」

「そだね、逆張り? 黒に対抗できるほど強い色って、ピンクだって気がするんだよね」

 高校生になっても僕は、母親が買ってくる量販店のモノトーンの服を特に何も思うところなく着ている。服装に思想を抱くひとがいるというのは、十六歳の僕にとっては新鮮な発見だった。

 僕と付き合い始めてから、彼女はなんらかの自信を得たのか、配信者になってお金を稼ぎたいと言い出した。自分をコンテンツ化するなんてあんまり良いことじゃないと思って、やめなよ、と僕はやんわり反対したのだけれど、彼氏の存在は出さないから心配しないで、と見当違いな説得をされた。結局、「この世にピンクを布教する」という主旨の、謎の動画配信チャンネルの存在を僕は容認した。

『今日買ったピンク色のものを紹介しま〜す』『秋のピンク色リップの本命大選挙』『ピンクの花束を持って道に立っていると何が起きるか検証』『ピンクだけで作った料理の会』『ピンク好き女子の困りごと相談回』

 ……と言った、ピンクに関連する話題ばかりを雑多に投稿している彼女の動画配信チャンネル、ピンクチャンネルの登録者数は、気がついたら三〇万人を越えていた。僕には理解できなかったが、世の中にはピンクを愛好するひと、ピンクに取り憑かれているひとが、想像よりも多いようだった。


 ピンク教徒が現れ始めたのは、その頃だ。

 最初はピンクちゃんの真似だった。髪と服をピンクに統一した女の子たちが街のなかに増え始めた。そのうちメディアが、ピンクの商品が売れています、Z世代の今年のトレンドカラーはピンク、などと騒ぎ始めた。飲食店はこぞってピンク色の限定ドリンクやフードを開発した。僕の彼女のもとには「ピンクの第一人者」「トレンドの発信源」として取材が殺到し始め、それが発信されるとまた世の中では、いまピンクが熱い色なのだ、という認識が広まっていった。

 そのようにして、どこかで世界に突然の変質が起きたのだ。いつの間にか、この国の日常はピンクに浸食されきっていた。

 Pink is Cool !

 それまで女性的な色とされていたピンクが、男女を問わず愛されるのは、僕には良いことのように思えていた。彼女も幸せそうだったし。

 このピンクムーブメントは、ピンクという色が社会的に持っていた意味を漂白し簒奪しているとかいった批判も出てきたが、爆発したブームは誰かが止められる域を超えていた。

 彼女はどんどん調子に乗っていった。ピンクチャンネルの登録者数はとっくに一〇〇万人を突破。だんだん、その発言は過激化、先鋭化していった。

「身体のどこかをピンクにすれば救われます!」

 ウェブメディアやテレビでそう語る彼女を観る度に、そんなわけない、とは思ったが、僕は相変わらず彼女とつきあっていたし、彼女を可愛いと思っていた。

「ピンクを好きになってから、彼氏ができて、親の借金も返済できて、難関校にも受かって、一〇キロ痩せられて」

 僕はその「ピンクがもたらした幸運」の大半は彼女が努力した結果であると認識している。借金が返済できたのはせっせと作りあげた動画チャンネルの収益、学校に受かったのは勉強したから、痩せたのは食事と運動のバランスを取ったダイエットの結果だろう。だが、彼女のなかでは髪と爪と服をすべてピンクにしていたから得られたものなのだ。彼氏である僕は、たしかに全身ピンク色だったから彼女に目をとめたのだが、それを理由に好きになったというのは、すこし違っていると思う。色が問題だったのではない。自分の好きなものを堂々と誇り高く身に纏って生きている、その在り方が、潔く、尊いなと思ったのだ。


 肌をピンク色に塗ればその箇所の病気が治る、といった風説が流布され始めたあたりで、僕はこの流れをどうにかして止めるべきだったと思う。どうやって止めるのかと言われても、ピンクチャンネルを閉鎖に追い込むぐらいしか思いつかないけれど。しかし、彼女の生きがいを奪うことは僕にはできそうになかった。

 ピンクへの信仰は、彼女の個人的なジンクスを遙かに凌駕し、世の中に蔓延していった。そう、僕は今ではこれを病理だと思っている。ピンク教という病だ。

 新しく都知事になった女性はピンク教に入信しているらしい。たしかに選挙活動のスーツが薄ピンク色だなとは思っていた。女性の社会進出への印象を強める戦略的な選択ではなかったのか。東京タワーをピンク色に塗り替えるとか、都営電車の車体をピンク色に塗るといった噂が出回った。

「ピンクを信じたから選挙に勝てた?」

 選挙に勝てたのは、今までの政治活動や選挙対策などの結果であり、ピンクの服のおかげではないと思うのだが。

 政治にまで影響が及び始めると、最初はややジョークめいていたピンク反対勢力の言動も危機感からか過激さ帯び始め、ピンク教に対するバッシングは激しさを増していった。


 僕と原宿でデートをしているだけで、彼女が服に黒いペンキをかけられるという事態が発生した。もちろん警察に傷害事件として届け出たが、警官は加害者と被害者どちらの言い分も理解できないですね、と呆れているようだった。お気に入りのピンクのコートを汚された彼女は、家に帰ると号泣した。

「ひどいよ、ピンクの良さがわからないひとの仕業だよ」

「良さがわからない、というのとは、ちょっと違うと思うけど……でも、知らない人に、君が悪意を向けられたり、攻撃されるのは、僕は嫌だよ、哀しいし、許せない」

「ありがとう……負けないね」

 涙を拭う彼女を慰めつつも、攻撃に対して勝とうとしなくてもいいのだとは、上手く説明できなかった。僕は相変わらず母親の買ってくる黒いタートルネックを何も考えず着ているのだが、「わたしに流されないところが好きだよ」と彼女が言ってくれるので、気にしていなかった。

 ねえ、僕は、君のすべてがピンク色だから好きなわけじゃないよ。

 君が、君自身の好きなものを貫く強い意志の持ち主だからだ。

 誰にも流されない信念を持って生きているところが、僕には愛おしく思える。


 ピンクの壁の部屋のピンクのソファに座って、彼女はため息をつく。

「みんながピンク色が好きっていうから、さすがにちょっと飽きて来ちゃった」

「ねえ、これだけピンクを流行らせておいて、それは無いんじゃない?」

「私がなにかを操作したわけじゃなくて、勝手に流行ったんだよ」

「うーん、まあそうだけどさ、じゃあ、これからどうするの?」

 僕の問いかけに、そうだなあ、と彼女はすこし思案して答える。

「次は、レモン色とかが熱いかも」 

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