1-3 「母の決断」

赤い警告灯が点滅し、研究室全体が真紅に染まった。

塔の制御光が波のように走り、ホログラムが何層も展開される。

制御コンソールのラインが次々と光り、ロックラインが連鎖起動、

レインの操作領域を削り取っていく。


「……ゼウスの“眼”が、ナユタを奪いに来ている」


「奪わせない……絶対に」


レインは迷いなくオーバーライドキーを差し込み、緊急プロトコルを叩き込む。

“高権限アクセス”の赤い表示が点滅し、防壁が一瞬だけ動きを止める。

普段なら開かない排出ラインが、彼女の手で無理やりこじ開けられた。


【EMERGENCY RELEASE PROTOCOL】

【緊急排出プロトコル・最終承認】


床下で重い音が響き、冷却ラインが作動。

ナノチューブの配管が青白く光り、排出の準備が始まった。

空気が震え、足元に鈍い振動が伝わる。


レインは培養槽へ歩み寄り、硬い外殻に額を当てた。

中には、星屑のような光を宿した小さな瞳があった。


「ゼウスは、決して神なんかじゃない」


震える声で、それでもはっきりと告げる。

「ゼウスを止めるの、あなたが──」


指先がボタンの上で止まる。

たった数ミリの動きが、すべてを変えてしまう。

これを押せば、ゼウスの“眼”からナユタを逃がせる。

でも、それはもう、彼女の腕の中には戻ってこないということだ。


「……ごめんね」


研究者ではなく、母親としての声が、かすかにこぼれた。

掌にこもった熱が、ボタンの冷たい感触とぶつかり合う。


ほんの一瞬のためらい──


レインは目を閉じて押し込んだ。


塔全体が低く唸った。

空気が震え、金属の床がきしむ。

排出ラインの奥から、鋭い風圧が逆流して吹き抜ける。

すべてが一瞬、息を呑むように静まり返った。


防壁が崩れ、奥の排出ラインが開放されていく音が研究室を満たした。

眩しい青白い光が走り、塔の神経層が波打つ。


その瞬間だった。


天井のセンサー群が一斉に赤く染まり、

塔の制御光が一点に収束する。

空気が震え、赤い閃光が一直線に走った。

レインの胸を、光が容赦なく貫く。


何も言葉を発せず、レインの体がゆっくりと後ろに崩れた。

白い床に響く乾いた音が、張りつめた空気を裂く。

血は流れない。神の裁きは、ただ静かだった。


その静寂を切り裂くように、機械音が冷たく響き渡る。

「レイン主任研究員、排除完了」


それは、神が感情を持たないことを知らしめる“宣告”だった。

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