私の競馬の思い出を書き残してみる

@AlSKTm

第1話


高校生活最後の年、

私は友人と一緒に有馬記念を見ていた。


私の胸が高鳴っていたのは何も初めて家族親戚以外と競馬を楽しめる喜びからだけではない。


この年の有馬記念は当時の国内最強馬の引退レースであった。

10年以上時が経ち、馬券の面や場外馬券売り場への出入りの面でも何の心配も要らない年齢になり、

当時の友人達と当時以上に深い競馬トークを繰り広げている今でも特に印象的深いレースの1つである。


この日の天候は雨。

別れを惜しむファンの気持ちを映すかのように、空からは沢山の涙がこぼれ落ちていた。


なんてことは多分なかった。競馬場で見ていた訳ではない。多分私達が居た場所も雨ではなかった気がする。


それはともかく、

引退を迎えるその馬は暴君と呼ばれていた。

まさしく暴れん坊だった。ゴール後に騎手を振り落とすシーンが何度かあった。

GIを勝った時でさえそうだった。

この頃の私は気性の激しい馬程強くなるんだなと思った。


そんな彼の引退レース。勿論堂々の1番人気である。

しかし、当時は無事引退の花道を飾れるか疑問の声が少なくなかった。そんな記憶がある。

確か、陣営が万全の状態ではないとコメントしていたからだ。

2年連続海外で激闘を繰り広げての帰国初戦であり、昨年は見えない疲れがあったのか帰国初戦で敗れていた。

そして今年も完全に仕上がっていないというコメントから、他馬の付け入る隙はあるというような雰囲気を感じていた。

自称穴党である今の私なら嬉々として他の馬を本命にしただろう。


当時の私はまだ素直な方だったらしい。

世界の頂点まで後1歩まで迫った馬が、

なんなら1度は世界の頂点に立った馬が、

日本国内で負ける訳がないと信じて疑わなかった。

私は友人達にそう力説した。友人達はほぼ競馬初心者であり、ほんの少しだけ早く競馬を見ていた私の力説に頷いて・・・・

いたのだろうか?


ともかくレースが始まった。


後半の爆発的な末脚が持ち味である暴君はいつも通り後方からレースを進めた。

競馬の脚質の中で追込が最も好きな私だが、応援している馬が後方を追走しているとどうしてもドキドキしてしまう。

有馬記念が行われる中山競馬場は小回りで直線が短い競馬場とされている。

東京競馬場と比べると後方から追い上げた馬が惜敗するケースはかなり多い。筈である。


この馬なら直線一気でも届くと信じているが、心臓に悪いのでもう少し早めにスパートするだろう。

ではどこでスパートするのか?


3コーナーだった。


TV中継が正面から馬群を映した3コーナー、

彼はやって来た。


馬群の外から上がって来た。と思ったら、

カメラが切り替わった時にはもう先頭に並んでいる。3コーナーから4コーナーへ、という所である。

いわゆる最終コーナー。何もスパートしたのはこの馬だけではない。

ここまで来ていればほとんどの馬がスパートしている。

にも関わらず、周りとは比べものにならない勢いで16頭中後ろから何頭目という所からあっという間に先頭に立ったのだ。

これこそ持ち味である爆発的な末脚である。

早い。というか、速い。

そして、



「勝った!!!!!!」



私は絶叫した。勝利を確信した。


直線でもその勢いは衰えない。

やはり日本では敵は居ないのだ。

彼自身もそう言っているかのように他馬を置き去りにしたのであった。


カメラがどうにか2着を映すために彼の姿はどんどん小さくなっていったが、

誰もが最後の勇姿を目に焼き付けようとしていた筈である。

私もそうしていた。2着争いの行方を伝える実況を耳にしながら。



「ウインバリアシオンが上がってくる!!」



聴いた瞬間、私は急いで画面右端に視線を移動した。


そこに映っていたのは猛然と追い上げる黒い帽子。2枠4番の馬であった。

追い上げると言ってもむしろ差は開く一方だったのだが、

私は今度はウインバリアシオンの姿に釘付けになる。

この瞬間、私が見ていたのはここから2年前の菊花賞だったと思う。


ウインバリアシオン。

彼は3歳クラシックで2度2着になった。皐月賞は出ていなかった。

敗れた相手は2回共同じ馬であった。

この年はオルフェーヴルがクラシック3冠を達成した。ウインバリアシオンはこの馬の後塵を拝しクラシックを1つも手に入れられなかった。

だが菊花賞の直線で猛然と先頭を追いかける姿はとても印象的であった。

翌年1度は先着したもののGI勝利はならないまま、怪我で長期離脱となってしまった。

一方のライバルはGI勝利を積み重ね世界へ羽ばたいていった。


ウインバリアシオンは1年5ヶ月の休養から復帰して初戦で3着になった。

まぁこんなものだろうと思った記憶がある。


そして復帰2戦目となる、憎きライバルとの1年半振りの対戦はヤツの引退レース、


即ち、この有馬記念であった。


最後の直線に入るまで私はウインバリアシオンの闘志が全く衰えていないことに気が付かなかった。

それとも、実際は衰えていたが、ずっと追い続けていたライバルの姿を見たことで闘志を取り戻したのか。

私には全くわからないが、


クラシックの時と同じようにライバルの背中を追いかける姿を見た当時はきっと後者だろうと思い、

有馬記念の後はオルフェーヴルの強さ以上に、ウインバリアシオンの闘志に興奮していた。当時詳しいことは知らない友人達にその興奮は上手く伝えられなかった。


ちなみに着差はクラシックの時はそれなりに僅差と言えた。

有馬記念で付けられた8馬身と比べれば。


こうしてオルフェーヴルは無事引退の花道を飾ったが、ウインバリアシオンはその後1年半現役を続けた。

レースの怪我で引退を余儀なくされるその時まで、私はウインバリアシオンを応援し続けたが。彼は心にぽっかりと穴が空いたかのような凡走を続けた。

ということもなく、重賞1勝を上げるなどそれなりの成績を残したので

恐らく普通に衰えていなかったのだろう。

しかし好走したのはこの有馬記念の後の2回とそこから1年後の1レースのみ。


やはりライバルの姿を思い出すことで闘志を取り戻していたのでは・・・・

真相はわからないがとにかく、


2013年の有馬記念はオルフェーヴル「だけ」の有馬記念ではなく、

オルフェーヴルとウインバリアシオンの有馬記念として記憶しているのは間違いなく私だけではない筈だ。

と、いうのが私の思い出話第1回である。

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