貴族になんかなりたくない 治癒士の私が契約結婚した辺境伯閣下と本当の恋に落ちるまで
斉藤加奈子/ビーズログ文庫
第一章
1-1
ミリア・ポーンズ、十八歳。
王都の下町にある『ブルックナー
両親はすでに居ない。ミリアは十二歳の時に母親のナタリアを
ミリアの住む部屋は診療所に
一人用のベッドと、二人用のテーブルセット、衣類が数着入るクローゼット、そして一口コンロ付のキッチンがあるだけの小さな部屋。
そこは
*****
ミリアの仕事は医師のドリトンの指示の下、
今朝も早くから診療所へ詰めかけた患者に治癒魔法をかけていた。
「先生、
そう言ったのは
休みもほとんどなく働いて、岩のように
「どれ、相変わらず
「はい、分かりました」
ミリアは
「はぁー、気持ちいいねぇ。ミリアちゃんは治癒士の中でもかなりの
ミリアの治癒はちょっとした評判になっていて、カリナの他にもわざわざ遠くの街からミリアの治癒を求めて通ってくる患者も少なくなかった。
「カリナさんは根を詰め過ぎですよ。仕事の合間にストレッチはしてますか」
「なかなかねぇ……。納期が
「いつもの
「はい、ありがとうございました」
カリナはドリトンへ頭を下げながら
「お大事に。次の方どうぞー」
ミリアは室外で待つ患者へ声をかける。太い木の棒を
トムは仕事中、足を
しかしその時に左足首を痛めてこの診療所へ運び込まれたのであった。
「これは?」
「いてててっ!」
「ふむ、これは?」
「うがっ!」
ドリトンの
「ふむ、これは
「はい、分かりました」
ミリアはトムの左足首に軽く
「はぁー、ミリアちゃんの治癒は最高だなぁ。ねぇ、ミリアちゃんはお休みの日は何やってんの? 今度遊びに行こうよ」
お
「行かないわよ。小さくてもいいから、私はドリトン先生と奥様みたいに診療所を開くのが夢なの。医師か医師見習い以外の人はお断りよ」
「ちぇー、ミリアちゃんつれないなぁ」
「これ、親代わりのわしの前でうちのミリアを口説こうとするな」
ドリトンが苦笑いしながら言った。ミリアが生まれる前から世話になっている、尊敬するドリトン先生から『うちのミリア』と言われてミリアの
ミリアにとって二人は本当の祖父母のような存在となっている。
「なあ先生、折れてんの一気に治してくれねぇか。俺
折れたままではしばらく仕事ができない。だからもっと治癒魔法をかけて一気に治したいとトムは言うが、ドリトンは許さない。
「馬鹿者、屋根から落ちるなんて気が緩んでいるからだ。これに
「うぃーす」
左足首に湿布薬を
ミリアは次々に
治癒魔法を使える者というのはとても希少である。もしミリアの魔力量が多いことが周囲に知られてしまえば、その有益な治癒魔法と、魔力量の多い子を産ませるために貴族に囲われてしまう
だからこそドリトンはミリアに一度で治すような魔法の使い方はさせないし、
医師のドリトンが
診療所での仕事は外来患者の治療ばかりではない。
週に二日、ドリトンとミリアは午前だけ訪問
ミリアの本心としては貴族の屋敷になど行きたくもなかったが、何せお貴族様だ。彼らが診療代をはずんでくれるおかげで、貧しい人たちから診療代が
だからどうしても貴族の訪問診療を
ミリアは診療所を出る直前に鏡の前に立つ。
この変装は、貴族のお屋敷に訪問診療へ出かける際、少しでも貴族に興味を持たれないようにするためのものであり、ナタリアがやっていたことだった。
ミリアは鏡に映る自分の姿を
『貴族には絶対近づいちゃダメよ』
これはナタリアが
幼い
自分の魔力量が貴族並みに多いことや、父親について何一つ教えてくれなかったこと、そしてナタリアが以前、貴族のお屋敷で
――お母さんは貴族の男の人に見捨てられたんだ。
ミリアがそう考えるのも当然で、事実はそれに近かった。
*****
ナタリアがマイワール
もちろん前伯爵以外にも体調を
ある日のことだった。当代伯爵であるトマソンがペーパーナイフで指を切った。夜も
「ナタリアさん! 起きてますかっ!
「は、はい! 今すぐ参ります!」
ナタリアは急ぎ
「
トマソンはナタリアを
「申し訳ございません。旦那様、患部を心臓より高い位置に
「ああ、こうか」
「はい、結構でございます。お手を失礼
ナタリアはトマソンの目の前で
トマソンは少し
目の前には若く美しい女が
いつもはきつく
こんな時に、こんな深夜に、二人きりになってしまう運の悪さ。
ナタリアは体を
――なぜ、なぜ、こんな目に
彼女は身も心もぼろぼろになりながら行く当てもなく夜の下町を
そしてナタリアがブルックナー診療所に住み込みで働くようになって三カ月が経った頃、
彼女は相手の男が
ただ不運な若い
月日が経ち、ミリアが十二歳になった頃、
魔力の
貴族の乗る馬車の前に幼い男の子が飛び出した。
「危ない!」という悲鳴のような
「構うな。面倒だ、行け」
馬車の窓から冷めた声で言い放つ貴族の男。馬車は再び速度を上げ、何事もなかったかのように走り去っていった。
ナタリアはそれが許せなかった。
「私が助けるわ! 絶対に!」
――許せない、あの
魔力量がそう多くないナタリアはひたすら治癒魔法をかけ続ける。彼女の魔力量では手に負えないほどの重傷だったが、
しかし治癒魔法をいくらかけても手応えを感じない。ナタリアは己の命を
――せめて別の治癒士のところまで間に合うように!
ナタリアが限界を感じた時、ようやく男の子が意識を
「早く、この子を病院へ!!」
そう言うと同時にナタリアの意識が遠のいた。甲斐あって子どもの命は助かったものの、その代わりというようにナタリアの命が危機に
「ナタリアさん!
「こりゃまずい! 魔力の枯渇ってやつじゃないのか!」
その場に居合わせた近所の人がナタリアを診療所まで
「お母さん!
「ナタリア! しっかりするんだ!」
ミリアとドリトンがどんなに声をかけてもナタリアは反応せず、見た目は
「お母さん! お母さん!」
ミリアはありったけの魔力を使って何度も治癒魔法をかける。魔力の枯渇に治癒魔法をかけても魔力が回復する訳ではないのだが、そうせずにはいられなかった。
何度目かの治癒魔法をかけた時、
「お母さん!」
「ミリア……ごめんね……お母さん、どうしてもあの子を助けたかったの……」
「うん、分かってる! お母さんも死なないで!」
「貴族のせいで不幸になる人を見たくなかったの……。ミリア、
「うん、うん、近づかない!」
「貴女は、幸せに、なるのよ……」
そのままナタリアは瞼を閉じ、二度とその瞳を見せることはなかった。
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