貴族になんかなりたくない 治癒士の私が契約結婚した辺境伯閣下と本当の恋に落ちるまで

斉藤加奈子/ビーズログ文庫

第一章

1-1

 

 ミリア・ポーンズ、十八歳。

 王都の下町にある『ブルックナーしんりょうじょ』で住み込みで働いているの女の子だ。


 やわらかないろかみに平民ではあまり見かけないオリーブ色のひとみ。そのしきさいは母親には似なかったが、少しだけがったくりっとしたねこのような目は似ていて、そこがミリアのお気に入りだった。


 両親はすでに居ない。ミリアは十二歳の時に母親のナタリアをくしている。名前さえ知らない父親のことは病気で死んだと聞かされているが、本当のところはどうなのか分からない。


 ミリアの住む部屋は診療所にへいせつされていて、元はブルックナー診療所の医師、ドリトン・ブルックナーがきゅうけいをとるための部屋だった。そこを治癒士だった母親のナタリアが住み込みで使わせてもらうようになり、やがてミリアが生まれ、今ではミリアだけが暮らす部屋となっている。


 一人用のベッドと、二人用のテーブルセット、衣類が数着入るクローゼット、そして一口コンロ付のキッチンがあるだけの小さな部屋。

 そこは母娘おやこ二人で生活するにはとてもきゅうくつで、一つのベッドに二人でかたを寄せ合ってねむる生活だったが、ミリアにとっては母親との思い出のまった大切なだった。



*****



 ミリアの仕事は医師のドリトンの指示の下、かんじゃほうをかけること。

 今朝も早くから診療所へ詰めかけた患者に治癒魔法をかけていた。


「先生、うでが痛くてねぇ。こんなんじゃ仕事になんないよ。最近は目も見えづらくてねぇ」


 そう言ったのはとなりまちでお針子をしているカリナ。五十代の大ベテランで、王都でも人気のふくしょくこうぼうで働いており、わがままな女性貴族のドレスを毎日長時間チクチクとっている。


 休みもほとんどなく働いて、岩のようにかたくなった肩、視力低下、みぎうでけんしょうえんなやまされ、隣街からミリアの治癒を求めて、一時間以上かけてこの診療所へ通ってくる。


「どれ、相変わらずひどい腱鞘炎だね。ミリア、カリナさんの肩、腕、それとがんせいろうの方にも軽く治癒をかけてくれ」

「はい、分かりました」


 ミリアはいのるように手を組むと、りょくを手のひらへ集中させる。ほどよく魔力が集まったところでそれをかんませるように放出した。


「はぁー、気持ちいいねぇ。ミリアちゃんは治癒士の中でもかなりのうでまえだよ。わたしゃミリアちゃんなしじゃやっていけないよ」


 ミリアの治癒はちょっとした評判になっていて、カリナの他にもわざわざ遠くの街からミリアの治癒を求めて通ってくる患者も少なくなかった。


「カリナさんは根を詰め過ぎですよ。仕事の合間にストレッチはしてますか」

「なかなかねぇ……。納期がせまっているとつい……」

「いつもの湿しっやくを出しておくから。長くげんえきを続けたかったらこまめに体を動かすこと。そして無理はせぬように」

「はい、ありがとうございました」


 カリナはドリトンへ頭を下げながらまくっていたそでを下ろし、しんさつしつを出る。


「お大事に。次の方どうぞー」


 ミリアは室外で待つ患者へ声をかける。太い木の棒をつえ代わりにしながら、左足に負担をかけないようにして入ってきたのは、えんとつそうのトムだ。

 トムは仕事中、足をすべらせて屋根から落ちた。屋根と言っても一階の屋根からだったため、とっさにひさしつかんで直接落下はまぬがれた。

 しかしその時に左足首を痛めてこの診療所へ運び込まれたのであった。


「これは?」

「いてててっ!」

「ふむ、これは?」

「うがっ!」


 ドリトンのしょくしんもんぜつするトム。


「ふむ、これはねんではなく骨折してるな。ミリア、トムの足首のしょうえんと、骨折は軽くつなぐ程度でかけてくれ」

「はい、分かりました」


 ミリアはトムの左足首に軽くれ、治癒魔法をかけた。顔をしかめて痛みをこらえていたトムの表情がやわらぐ。


「はぁー、ミリアちゃんの治癒は最高だなぁ。ねぇ、ミリアちゃんはお休みの日は何やってんの? 今度遊びに行こうよ」


 おとしごろのミリアにこういうおさそいは多い。しかしミリアは医師か医師見習いの男性以外はお断りしている。けっこんしたら夫と二人で診療所を開き、生活していきたいと考えていた。


「行かないわよ。小さくてもいいから、私はドリトン先生と奥様みたいに診療所を開くのが夢なの。医師か医師見習い以外の人はお断りよ」

「ちぇー、ミリアちゃんつれないなぁ」

「これ、親代わりのわしの前でうちのミリアを口説こうとするな」


 ドリトンが苦笑いしながら言った。ミリアが生まれる前から世話になっている、尊敬するドリトン先生から『うちのミリア』と言われてミリアのほおゆるむ。母親が亡くなり、てんがいどくの身となったミリアを支え、めんどうを見てくれたのはドリトンとその妻のタニアだった。

 ミリアにとって二人は本当の祖父母のような存在となっている。


「なあ先生、折れてんの一気に治してくれねぇか。俺かせがなくちゃなんねぇんだよ。たのむよ」


 折れたままではしばらく仕事ができない。だからもっと治癒魔法をかけて一気に治したいとトムは言うが、ドリトンは許さない。


「馬鹿者、屋根から落ちるなんて気が緩んでいるからだ。これにりて今後はしんちょうになりなさい。それにミリアの魔力だって有限なんだぞ。明日また来なさい」

「うぃーす」


 左足首に湿布薬をられ、いっしょに包帯で巻かれると、再び木の棒を杖代わりにしてトムは退室した。


 ミリアは次々におとずれる患者に治癒魔法をほどこし、かなりの人数をこなす。つうの治癒士ならとっくにへばっているところだが、ミリアはまだゆうだ。平民でありながら彼女のりょくりょうは多い。そのことを知っているのは亡くなった母親と、ドリトン、そしてタニアだけだった。


 治癒魔法を使える者というのはとても希少である。もしミリアの魔力量が多いことが周囲に知られてしまえば、その有益な治癒魔法と、魔力量の多い子を産ませるために貴族に囲われてしまうおそれがあった。


 だからこそドリトンはミリアに一度で治すような魔法の使い方はさせないし、りょうぶんかつして行っていた。


 医師のドリトンがしんさつして、必要最低限の治癒魔法をミリアがかける。ちょう簿付けや備品の管理をタニアが手伝う。こんなふうにしてミリアは、大好きなドリトンとタニア、そして気心知れた患者たちと、いそがしくもじゅうじつした日々を過ごしていた。


 診療所での仕事は外来患者の治療ばかりではない。

 週に二日、ドリトンとミリアは午前だけ訪問しんりょうへ出る。病状が重く診療所まで足を運べない患者の家や、おかかえの主治医を持たない下位貴族のおしきへと出向く。


 ミリアの本心としては貴族の屋敷になど行きたくもなかったが、何せお貴族様だ。彼らが診療代をはずんでくれるおかげで、貧しい人たちから診療代がはらわれなくても、がおで「お金はできた時でいい」と言ってあげられるのだ。

 だからどうしても貴族の訪問診療をけることはできなかった。


 ミリアは診療所を出る直前に鏡の前に立つ。まゆずみを手に取り、頰の高いところに点々とそばかすをく。そしてったいくろぶちメガネをかけた。

 

 この変装は、貴族のお屋敷に訪問診療へ出かける際、少しでも貴族に興味を持たれないようにするためのものであり、ナタリアがやっていたことだった。 

 ミリアは鏡に映る自分の姿をながめながら亡くなった母親のことを思い出していた。


『貴族には絶対近づいちゃダメよ』


 これはナタリアがくちぐせのようにミリアに言い聞かせていた言葉だった。


 幼いころばくぜんと貴族はこわい存在なのだという程度にしか考えていなかったが、ミリアが大きくなるにつれてうすうす気が付く。


 自分の魔力量が貴族並みに多いことや、父親について何一つ教えてくれなかったこと、そしてナタリアが以前、貴族のお屋敷でやとわれていたことなどから一つの答えに辿たどり着く。


 ――お母さんは貴族の男の人に見捨てられたんだ。


 ミリアがそう考えるのも当然で、事実はそれに近かった。



*****



 ナタリアがマイワールはくしゃくで専属の治癒士として働くようになったのは、ナタリアが今のミリアと同じ十八歳の頃だった。


 こうれいとなった前伯爵のために一日二回、ひざこしに治癒魔法をかけるために雇われ、じょと同等のたいぐうで屋敷に個室もあてがわれていた。


 もちろん前伯爵以外にも体調をくずす家の者がいれば治癒魔法をかけ、頼まれれば伯爵家の者でなくても治癒をすることもあった。


 ある日のことだった。当代伯爵であるトマソンがペーパーナイフで指を切った。夜もけ、ナタリアはたくを終えてベッドへ入る直前だった。


「ナタリアさん! 起きてますかっ! だん様が指を切られて血が止まりません! 至急治癒を!」


 とびらを強くたたき、あわてた様子でナタリアを呼ぶのはこの家のしつだった。


「は、はい! 今すぐ参ります!」


 ナタリアは急ぎから仕事着へとえ、簡易治療セットを抱えて部屋を出た。執事に案内されたのはトマソンのしつしつで、トマソンはソファに座り、血のにじむハンカチで指先を押さえていた。


おそい! 呼び出してからどのくらい時間がったと思っている!」


 トマソンはナタリアをりつけるが時間にすれば五分ちょっとだ。夜中に年若い女性を呼びつけておいてその言いぐさはどうかと思うが相手はにんだ。傷口からしたたちる血にあせりを覚えたのだろう。


「申し訳ございません。旦那様、患部を心臓より高い位置にかかげて、傷口の手前をぎゅっとけていただけますか」

「ああ、こうか」

「はい、結構でございます。お手を失礼いたします」


 ナタリアはトマソンの目の前でひざまずき、祈るように手を組むと血の滲む指先へ魔力を馴染ませた。


 トマソンは少しっていた。


 目の前には若く美しい女がここよい治癒魔法をおのれの指先へかけている。

 いつもはきつくげられた茶色い髪は下ろされ、緩く一つに結ばれている。湯浴みを済ませたばかりなのかふわりとせっけんの香りがすると、トマソンの理性はどこかへ消えて失くなっていた。


 ひかえているはずの執事は血でよごれた家具をくための手配をしていてこの場に居ない。


 こんな時に、こんな深夜に、二人きりになってしまう運の悪さ。


 さらにナタリアの不運はこれだけで終わらなかった。夜遊びから帰宅したはくしゃくじんに見つかり、かんだかせいを浴びせられながら追い出された。


 ナタリアは体をいされ、それと同時に職と住む場所を失ったのだ。


 ――なぜ、なぜ、こんな目にわなければならないの……。


 彼女は身も心もぼろぼろになりながら行く当てもなく夜の下町を彷徨さまよう。そして辿り着いたのが【治癒士募集中】の紙がられたブルックナー診療所だった。


 そしてナタリアがブルックナー診療所に住み込みで働くようになって三カ月が経った頃、にんしんが発覚したのである。


 彼女は相手の男がだれなのかは決して口にしようとしなかったが、生まれてきたミリアの魔力が貴族並みに高かったこと、そしてナタリアがここへ来る直前まで貴族の屋敷で専属の治癒士として働いていたことから、おおよその事情を察してドリトンとタニアはせんさくすることはしなかった。

 ただ不運な若いむすめを、そして生まれてきたとうとい命を、できるだけ支えてやろうとそう思うのであった。


 月日が経ち、ミリアが十二歳になった頃、とつぜんの不幸が訪れた。


 魔力のかつが原因でナタリアが亡くなったのだ。使い過ぎで起こる魔力の枯渇は、生命のに必要な魔力まで使い果たすと死に至る。診療所の休憩時間、ミリアに留守を任せ、ナタリアが一人で市場へ買い物に出かけた日のことだった。


 貴族の乗る馬車の前に幼い男の子が飛び出した。

「危ない!」という悲鳴のようなさけごえの後、その幼い男の子は風にう落ち葉のように宙を舞った。ぎょしゃは慌てて馬車を止めようと速度を落とした。


「構うな。面倒だ、行け」


 馬車の窓から冷めた声で言い放つ貴族の男。馬車は再び速度を上げ、何事もなかったかのように走り去っていった。


 ナタリアはそれが許せなかった。


 身動みじろぎさえしない幼い我が子をきしめながら泣き叫ぶ母親のそばへ、ナタリアは急ぎった。


「私が助けるわ! 絶対に!」


 ――許せない、あのれいこくな態度も、人を人と思わないいも!


 魔力量がそう多くないナタリアはひたすら治癒魔法をかけ続ける。彼女の魔力量では手に負えないほどの重傷だったが、あきらめる訳にはいかない。全快できなくとも、せめてこの命だけは繫ぎ止めたかった。

 しかし治癒魔法をいくらかけても手応えを感じない。ナタリアは己の命をけずるように魔力を失っていった。


 ――せめて別の治癒士のところまで間に合うように!


 ナタリアが限界を感じた時、ようやく男の子が意識をもどした。


「早く、この子を病院へ!!」


 そう言うと同時にナタリアの意識が遠のいた。甲斐あって子どもの命は助かったものの、その代わりというようにナタリアの命が危機にひんした。


「ナタリアさん! だいじょうか!」

「こりゃまずい! 魔力の枯渇ってやつじゃないのか!」


 その場に居合わせた近所の人がナタリアを診療所までかつんでくれた。


「お母さん! いや! 目を開けて!」

「ナタリア! しっかりするんだ!」


 ミリアとドリトンがどんなに声をかけてもナタリアは反応せず、見た目はきず一つないのに顔は土色で呼吸が浅い。


「お母さん! お母さん!」


 ミリアはありったけの魔力を使って何度も治癒魔法をかける。魔力の枯渇に治癒魔法をかけても魔力が回復する訳ではないのだが、そうせずにはいられなかった。


 何度目かの治癒魔法をかけた時、せきが起きた。ナタリアがわずかにまぶたを持ち上げたのだ。


「お母さん!」

「ミリア……ごめんね……お母さん、どうしてもあの子を助けたかったの……」

「うん、分かってる! お母さんも死なないで!」

「貴族のせいで不幸になる人を見たくなかったの……。ミリア、貴女あなたも貴族には近づいちゃダメよ」

「うん、うん、近づかない!」

「貴女は、幸せに、なるのよ……」


 そのままナタリアは瞼を閉じ、二度とその瞳を見せることはなかった。




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