第03話「巨大ダンジョン蜘蛛脚のズワイガニ風岩塩添え」

 横2メートル、高さ3メートルほどの重い扉が、地響きを立てながら開いた。

 秘密基地――忍がそう呼ぶ場所は、かつて『オーガの王』が根城にしていた巨大な石造りの遺構だ。

 推定500平方メートル、5LDKという豪邸並みの居住空間は、太古の魔術師の研究施設だった名残か、天井に『偽物の空』が投影されている。

 今は、鮮やかな夕日が、広大な室内を照らしていた。


「よーし、しろまる。まずは風呂だ」


 獲物の蜘蛛の脚をダブルベッドほどもある『宝箱』に放り込む。

 脚を一本、ついでに大きな宝石がちりばめられたティアラや宝剣を取り出し、浴室へ向かった。

 浴槽は廃材の寄せ集めだが、魔術師の遺産である「源泉かけ流し」の魔石のおかげで、常に清潔な湯が溢れている。

 忍は湯船に浸かりながら、蜘蛛の脚を手に取った。

 表面に生えた毒性のある鋭い毛を、ナタで丁寧に削ぎ落としていく。

 小気味よい音が響く中、忍はふと、水面に映る自分の顔を見下ろした。


「……おじさん……、おじさん……かぁ」


 女子高生に言われた一言が、胸の奥でささくれている。

 ナタにお湯をかけて流し、自分の頬に当てた。

 蜘蛛の脚を解体するのと同じ精密さで、無精髭をきれいに剃り落としていく。

 少しだけ若返った顔を覗き込み、久しぶりに指を折って自分の年齢を数えてみた。


「……え? もう32……33歳になるか。まぁ高校生から見たら、おじさんなんだろうなぁ」


 ダンジョンに籠ってから、もう10年を超えている。

 ふと暗い表情になった忍に、しろまるが寄り添った。


「いや、心配すんな。そんなに気にしてないよ」


 しろまるのふわふわの毛にお湯をかけ、優しく洗う。

 気持ちよさそうに尻尾を揺らしたしろまるは、洗い終わると犬のように体を振って、水分を飛ばした。

 忍もティアラや宝剣をざっとお湯ですすいで風呂から上がり、カーテンの端切れで体を拭く。

 脱ぎ捨てていたパーカーの匂いを嗅いで「……まだいけるか」と独りちると、同じ服を着てキッチンへと向かった。


 巨大な寸胴でお湯を沸かし、蜘蛛の脚を一本、一塊の岩塩と一緒に放り込んでゆでる。

 その間に、テーブルの上に二人分の大きな皿を並べて、一つにはティアラと宝剣を乗せた。

 しろまるの身体をカーテンの切れ端でワシワシと拭き上げる。

 真っ白な毛玉がふんわりと仕上がったことに満足したころ、蜘蛛脚が鮮やかな赤色にゆであがった。

 もう一つの皿に盛り付け、ナタで殻に切れ込みを入れる。

 中から顔を出した真っ白な身にごくりとつばを飲み込むと、ソワソワしているしろまるにうなずいた。


「じゃ、いただきます」


 言葉を待っていたしろまるは、ティアラと宝剣に食らいつく。

 どこに口があるのかわからないが、うれしそうに尻尾を揺らすのを見て、忍もプリンとした蜘蛛脚にかぶりついた。

 甲殻類特有の濃厚な甘みと潮の香りが、口いっぱいに広がる。


「ラッキーだったなぁ、蜘蛛こいつ、普通はもっと深いところにしかいないのに」


 あふれる蜘蛛汁を手の甲で拭きながら、至福の表情を浮かべる。

 しかし、一口目を飲み込んだ後、忍は満足からくるものではない溜息をついた。


「……くそぉ。ポン酢だなぁ。これぜったいにポン酢が合うのに……」


 ちょっとした文句はあるにしても、蜘蛛脚だけで腹いっぱいになると、そんなものは忘れてしまう。

 食後、忍は書きかけの大きな革製の地図を作業台に広げた。

 今日「散歩」した通路のルートをおおざっぱにメモし、まだ真っ白な南側のエリアを指でなぞる。


「しろまる、明日はこっちの方、行ってみるか」


 頬にふわふわとすり寄るしろまるをなで、忍は少し考える。

 その後、作業台の明かりを消すと、大きく息を吐いた。


「……今日は人と会話したから疲れたな。地図作りはお休みだ」


 読みかけの文庫本を手に、いそいそとベッドへ潜り込む。

 何枚も重ねたスポンジマットは、お世辞にも寝心地が良いとは言えないが、以前使っていた薄い寝袋よりはだいぶマシだった。


「南側行くついでに、上層まで行って不法投棄穴チェックするか。スプリングマットあるといいんだけど……」


 お腹の上にふわりと乗ったしろまるを撫でながら、ランプの灯でソードアートオンラインの16巻を読み進める。

 もう何週目だろう。

 ここから先は手に入っていない。

 地上から不法投棄されるごみの中から続きを見つけたいのだが、この生活でそんなにうまく行く事はないということも、忍はよく知っていた。

 やがて、小さなあくびを漏らし、本に丁寧にしおりを挟んでランプの灯を細める。

 偽物の星空にやさしく見守られながら、忍は静かに目を閉じた。


 この時、彼はまだ知らない。

 地上のSNSでは「#浦安の謎のおじさん」というワードが世界トレンド1位に駆け上がり、自分のパーカーの型番からナタの出自、持っていた文庫本までを特定しようとする「特定班」が血眼になっていることを。

 最強の引きこもりの平穏な夜が、今、終わりを告げようとしていた。

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