第1話 同期完了

 アパートの扉を開け、誰もいない部屋に向かって俺は言う。

 アルバイトを終え、俺はいま帰宅した。靴と服を脱ぎ捨て、ゲーミングチェアに腰掛け、パソコンの電源を入れ、起動を待つ。ここまでなんの思考もしないでこなせるいつものルーティンである。

「なんか面白いスレッド立ってねえかなあ」

 パソコンをすることは某巨大掲示板の閲覧だ。今の時代ショート動画で楽しめるものをわざわざパソコンで、しかも専ブラから現地に出向いて観戦する俺の姿は、非常にクールと言えよう。

 そんな歪んだ選民意識に浸っていたが、パソコンが起動していないことに気づく。

 再度電源ボタンを押し込むもファンは回らないし起動音もしない。

 そして驚くことにモニターに映し出されているのは白黒の砂嵐であった。

「おいおい……うそだろ……ブラウン管かよ……」

 俺は慌てて配線の確認、電源の確認、確認できるところをすべて確認するも異常なし。

 スマホを取り出し、症状を検索。対処方法として再起動を推奨する記事ばかりで役に立たない。

 そこで俺は最近話題のAIに問いかけた。

『パソコンの電源が入らない。モニターには砂嵐が映る。どうすればいい?』

『考えられる原因は、ケーブルの接触不良、GPUの故障、ドライバの不具合です。再起動を……』

 そんなのは100回やっている。呆れながらスマホを閉じた。

 万策尽きる。

 俺は椅子に深く沈み込み、明滅し続けるモニターを呆然と見つめた。

 ザーッ、ザーッ、ザーッ。

 砂嵐の音が、やけに規則的に聞こえる。

 アナログ放送なんて終わって久しいのに、どうしてこんな音がするのだろう。

​ ……いや、違う。

​ ふと、違和感が喉元までせり上がってきた。

 モニターの枠が、ない。

 砂嵐が、モニターの外にはみ出している?

 違う。机が、壁が、俺の手が、すべて白と黒のノイズに侵食されている。

「な、なんだこれ……パソコンじゃなくてイカれてるのは俺の方だってのかよ」

 焦っていた。どうしようもなく焦っていたし、とてつもなく怖かった。しかし俺は誰も見ていないというのに必死にその感情を隠すかのように冷静につぶやいた。俺自身を落ち着かせるためだったのかもしれない。

 世界そのものが、解像度を失って崩壊していくような感覚。

 冷静にどうするべきかを考えようとするも、その思考さえも「ザーッ」という音にかき消されていく。

 このまま死ぬのだ。

 そう思うとひどく怖くなった。あたりを見渡すが完全にノイズに包まれており、自分が今どこを向いているかもわからなかった。

「――ザッ、……ザ、……ますか?」

 ノイズの中から言葉のようなものが聞こえた。

 いや、正確には聞こえた気がした。実際にはノイズしか聞こえないのだがノイズの中に言葉のように意味があるように感じられたのだ。

 俺は必死に目を凝らした。視界を埋め尽くす砂の嵐、その一点。モニターがあったはずの場所に、ノイズの渦が収束していく。

 感覚が戻っていく。

 そしてモニターの中の混沌とした白と黒の粒が、ある「輪郭」を描き出す。

 それは、どうしようもなく、少女の形をしていた。

​「――あ! 繋がりましたね!」

​ 唐突に、世界の色が戻った。

 いや、画面の中のノイズは消えていない。

 モニターの中で、砂嵐で構成された少女が、パチパチと弾けるような音を立てて笑っていたのだ。

​「おめでとうございます! 初期同期、完了です!」

​ 可愛らしい声だった。

 けれどその声は、スピーカーからではなく、俺の脳の芯から直接響いているように聞こえた。

 ニコっと笑うその笑顔は、画素が荒すぎてモザイクのようにも見えるのに、なぜか俺には、この世のどんな映像よりも鮮明に見えてしまった。

​ 俺は、ただ口を半開きにして、その「現象」を見つめることしかできなかった。

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ノイジーミラージュ・システマティック~Info-Entity girl~ L_ありす01 @L_Alice_01

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