上へ上へ

宮塚慶

上へ上へ

 ほのかに夕日の朱色が差した空は、この世界のどんなものよりも美しい。

 志島しじまメイは心の底からそう思う。

 目の前に広がるのはどこまでも続く空と、太陽に照らされて果てしなく輝く海。そして――水底から生える鉄塔やビルの残骸たち。

 かつてはこの下にも人々が住んでいたんだよ、と御伽話おとぎばなしでも語るように祖母が教えてくれたのを思い出していた。


 学校からの帰り道。メイは秘密の絶景スポットへ一人足を運び、至福の時を過ごしていた。

 セミロングの髪を振り乱し、風を受けることで今を感じられる。

 昔話はよく分からないけれど、此処に来ることで古い時代へ郷愁きょうしゅうを覚えることができた。


「うわっ、メイかよ」


 見渡す景色にうっとりしていると、雰囲気を乱すガサツな声が呼びかけてくる。

 メイはむすっとした顔で後ろを振り返った。


「なーに水澤みずさわ。アンタこそ」


 同級生の男子生徒、水澤キョウがそこにいた。着崩した制服と短い髪が特徴の、少し粗暴なごく普通の少年。

 梯子を昇り、メイと同じ鉄塔の天辺てっぺんに乗り込んでくる。

 幼馴染だが互いに特別な感情は抱いていない。

 数少ない学生仲間として奇妙な友情こそ感じているものの、この世界の行く末を思えば他人に興味を持つこと自体馬鹿らしいとメイは考えている。


「お前、此処知ってたのか。俺だけの秘密基地だと思ってたのになあ」

「ひみつきちぃ? 高校生にもなって、ガキみたいなこと言うんだね」


 メイが小馬鹿にした言い方をしてみるも、キョウは気にすることなく隣へ歩み寄ってきた。

 ドカッと座り込んで胡坐をかく。

 此処からの景色は最高だし、他に知っている人が居てもおかしくはない。

 だが大人は日々忙しくしているので、こんな辺鄙へんぴな場所を探そうとする人間は学生ぐらいしかあり得ないのも事実だった。


「というか、アンタ景色とか見て面白がるタイプだったんだ」

「悪いかよ」

「別に、どうでもいいけどね」


 本当にどうでもよかった。

 この景色を美しいと思っても、わびしいと思っても、何も感じなくても。

 どうせこの感情を未来に持っていくことはできないのだと彼女は知っている。


「……メイは、進路希望出したか?」


 ふと、奇妙な質問が彼女の耳に届いた。

 キョウへ視線を移すも崖下がいかを見下ろしている彼の顔は伺い知れず、メイは言葉の意味を理解しかねる。

 ――進路希望。

 たしかに学校でそんなものを出せと言われた気がする。忘れていた。


「出してない。どうでもよくない? そんなの」

「なんだよさっきから。どうでもいいばっかだな」


 その返答を、メイは意外な言葉だと感じた。


「何? 水澤は出したの?」

「おう! 宇宙移民支援団に入って、みんなを外の世界に連れ出してやるさ」


 満面の笑みで彼女を見上げるキョウ。

 その顔は夕日に照らされているだけではない眩しさを伴っていて、メイは気圧される。


「……へえ」


 それしか言葉を返すことができなかった。

 この星は、もうすぐ海面上昇の波に沈む。過去の人類がもたらした環境開拓は、最終的に現代を生きる人々の暮らしを滅ぼすことでフィナーレを迎える。

 そんな中、宇宙移民というアイデアは偉い人たちによって提唱されていた。

 けれど気候変化による海面上昇は人類の予測をはるかに超える速度で進んでおり、今更宇宙へ捌け口を求めようとしても手遅れだと多くの人が考えている。メイもその一人だった。

 残った時間をどう生きるか。

 此処に生きるほとんどの人はそれにしか興味がない。

 だから、まるで実現可能な未来のように語られるキョウの夢に彼女は驚いた。


「水澤は、まだ未来を信じてるんだ?」


 やや皮肉っぽくメイが言う。キョウはフッと息を吐きだした。


「信じてない」

「は?」


 またしても予想外の返事。メイは面食らってしまう。


「じゃあ、進路って何なの」


 問いかけに対してキョウは伸びをしてから、その場にごろんと寝ころんだ。

 断裂のあるコンクリートの上に寝るのは危ないぞと思いながら、メイは彼の答えを待つ。

 キョウは視線を逸らさず、まっすぐ彼女を見ていた。


「何もしなくても世界は滅びる。なら、残った時間をどう過ごすか決めなきゃならねぇってことだよ」


 さっきから、彼の言うことはよく分からない。メイは首をかしげる。


「それが、進路に向けた勉強なの?」

「ああ。どうしたって終わりかもしれないが、何かしなけりゃ始まらない。なら俺は、万に一つでも未来が創られた時、なにかを掴めるようにしたい」

「未来が、創られる……」


 この世界が終わりを一〇〇パーセントの事実だと思っていたメイは、はじめてその可能性を口にした。

 海は彼女らの足元までせり上がってきている。生まれた時に暮らしていた家は海面ギリギリにあって、もはや住めなくなったので引っ越した。

 そうして上へ上へ逃げて、最後は追い詰められて終わりなのだと思っていた。

 けれど、辿り着く地面が無くなった先には空が広がっている。宇宙も広がっている。

 キョウがそこを見ているのだと知った時、メイは自然と口を開いていた。


「……あたしも、そこへ行けるかな」


 囁くような言葉だったが、キョウは聞き逃さない。


「さあな。お前、真面目に勉強してなかったし」

「何なのアンタ。そこは、メイならできるよーって男らしく言いなさいよ」

「俺に言われて嬉しがるたまじゃないだろ」

「ま、そりゃそうだ」


 二人は目を合わせ、それから大声で笑い合う。

 このやりとりで初めてメイは自覚した。

 不貞腐れていた癖に、自分はまだ何処かで未来を望んでいる。上へ上へ、遥か高みを目指す気概が残っていたのだと思い知った。


「けどさ。上を見るってのは良いもんだぜ? 今まで見えてなかったものが見えたりする」


 何の憂いもないキョウの言葉。

 これまで意趣返しのようなことしか言わなかったメイだが、それには真正面から答えた。


「上か。良いこと言うね、水澤」


 彼女の言葉に、キョウは口の端を綻ばせる。


「今も、これまでにない景色が見えてるしな」

「? 何それ?」


 言ってから、キョウの視線がメイの足元……よりも少し上に向けられているのに気がつく。

 下から見上げる彼の視線は、メイのスカートに注がれていた。

 彼女は慌てて自身の服の裾を手繰り寄せる。


「あ、アンタねぇ!」


 拳を握るメイを見て、キョウは急いで立ち上がった。

 報復を受ける前に軽やかなステップで鉄塔の梯子へ手を掛け、するすると滑り降りて行く。


「じゃあな、メイ。真面目に勉強しろよ!」

「うるさい! 二度と顔見せんな、バーカ!」


 騒がしい同級生が去っていくと、絶景スポットには再び静寂が満ちてくる。

 いや、キョウが降りて行った先には町が広がっている。小さいながらも彼女らが住むかけがえのない町。そこから聞こえてくる喧噪に耳を傾け、改めて理解した。

 この世界にはまだ生きている人がいて、誰もが営みを続けている。

 滅びを待つ世界で、命の脈動が存在していることを再認識した。


「あたしも。未来、つくってみるか」


 独りちるメイ。

 自分に何ができるのかはまだ分からない。けれどあの馬鹿な幼馴染が、未来で何を成すのか見てみたい。

 広がる絶景に向けて、両手の人差し指と親指で額縁をかたどる。

 キラキラと太陽光を反射する海面に、宇宙の星空が重なって見えた気がした。


 鉄塔の上に、先ほどより爽やかな風が吹き抜けた。

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