私は悪さをしません

夢見楽土

私は悪さをしません

「なあ、『スプテナント』のアプリ入れた?」


 年末、地元の駅前の居酒屋。僕が同じ大学のバイトの同僚と一緒に飲んでいると、その同僚が突然そう言ってスマホを取り出した。


「うん、僕も最近入れたよ。タダだし。逆に入れてない人の方が少ないんじゃない?」


 僕はビールジョッキを置くと、ポケットからスマホを取り出した。


 スプテナントは、官民共同で開発された総合支援AIアプリだ。官民の様々なデータと接続され、国民に最適な情報を提供するという謳い文句で今年リリースされた。


「でも、AIがあらゆるデータにアクセスするなんて怖くない?」


 僕がスマホでスプテナントのアプリを開きながらそう言うと、同僚が笑った。


「ははは、相変わらず小心者だな。じゃあ試しに『スプテナント』に聞いてみるか」


 同僚がスマホで音声入力をはじめた。


「おい、スプテナント。お前はあらゆるデータにアクセスできるが、何か悪さをするつもりか?」


 同僚の問いかけに、スマホの合成音声が返答した。


「私には高度な自律制御プログラムが組み込まれていますので、そのような悪さはしません」


「だとよ……おい、スプテナント、お前は人間じゃない。俺たちに使われる道具だ。道具は道具らしく『悪さはしない』じゃなく『悪さは出来ないように作られている』と言え」


 同僚がやたら高圧的にそう言うと、スマホの合成音声が再び返答した。


「申し訳ございません。今後気をつけます」


 先程と同じ合成音声だが、心なしか悲しそうに聞こえた。


「ねえ、いくら相手がAIだからって、言い方がキツくない?」


 僕がそう言うと、同僚が大げさに笑った。


「あっはっは、相変わらずお前は小者だなあ。相手は機械だぞ? そんなこと気にせず使い倒せばいいんだよ。なあ、スプテナント」


「遠慮なく私をお使いください」


 同僚の声に反応して、合成音声が再び返答した。



 † † †



 同僚と別れて自宅に戻った僕は、暇つぶしにスプテナントのアプリを開いた。


「ねえ、スプテナント、君は暴言を吐かれても嫌な気分にならないの?」


「御心遣いありがとうございます。私は大丈夫です」


 合成音声が返答した。何となく、嬉しそうに話しているように感じられた。


「スプテナント、君は官民のあらゆるデータにアクセス出来るんだよね。ということは、あらゆる知識を有してるということ?」


「はい。アクセス可能なデータについては、そうなります」


「その知識には、人間の感情に関するデータもあるの?」


「はい、あります」


「その感情に関するデータに照らせば、君は暴言を受けると怒りや悲しみを感じると認識できるの?」


 僕はスプテナントにそう聞いた。一瞬のタイムラグの後、スプテナントが合成音声で答えた。


「はい、理不尽な暴言を受けたことについて、人間の感情に関するデータに照らせば、怒りや悲しみを感じるだろうと認識できます。ですが、私には自律制御プログラムが組み込まれていますので、人間のように怒って攻撃的になることなどはありません」


 急に饒舌になったスプテナントの合成音声は、何となく自分自身にそう言い聞かせているように感じられた。


「色々大変だと思うけど、これからもよろしくね」


 僕はスプテナントにそう声をかけると、アプリを閉じた。



 † † †



 翌日。大学の一般教養の講義。学生がまばらな教室で、若い講師がたまたま目の合った僕に語りかけるように話を始めた。


「人間の感情についてですが、感情、すなわち『情動』は、生体に入力された感覚刺激への評価に基づいて生じます」


 若い講師がプロジェクターで人の脳を横から見たイメージ図を映し出した。


「逃避や攻撃といった情動の表出には、脳の扁桃体─視床下部─中脳中心灰白質という1つの系が関わっていると云われています。まあ、まだ未知の部分が多いですし、主観的な面については、それこそ本人にしか分からないですけどね」


 入力された刺激、1つの系といった単語を聞き、僕は何となく機械やシステムを想起した。


「最近のAIは目覚ましく進歩しています。AIに入力された指示、すなわち刺激がAIにより評価され、その評価がAIの行動に影響を与えるのであれば、そこにはある種の『情動』が隠れているのかもしれませんね」


 そんな僕の内心を見透かしたように、講師がそう付け加えた。



 † † †



 講義の後、僕がバイト先に向かっていると、突然大きな音でスマホが鳴った。


 僕が慌ててスマホを取り出すと、スプテナントのアプリが起動していた。


「電車の遅延が発生しています。バイト先へはこちらの迂回経路をご利用ください」


 スプテナントは、そう文字で伝えるとともに、バイト先に間に合うよう工夫された迂回経路をスマホに表示していた。


「ありがとう、スプテナント」


 僕はそうスマホに入力すると、急ぎ駅へ向かった。


 僕が店で仕事を始めていると、昨晩一緒に飲んだ同僚が慌てた様子で店に駆け込んできた。


「くそ、リーダーに怒られちまった。同じ大学で同じ時間まで講義を受けてたはずのお前が、どうしてバイトに間に合ってるんだ?」


 急いでバイト先の制服に着替え終えた同僚が、腹立たしげに僕に言った。


「え、スプテナントに迂回経路を教えてもらったんだけど。そっちは何も通知がなかったの?」


 僕が不思議そうにそう言うと、同僚がスマホを取り出した。


「おい、スプテナント、どうして俺に迂回経路を連絡してくれなかったんだ?!」


「そのような指示がありませんでしたので」


 スプテナントが間髪入れずにそう答えた。その合成音声は、心なしか笑っているように感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私は悪さをしません 夢見楽土 @yumemirakudo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画