第2話「ローマ軍指揮官カミルスの苦悩」

 紀元前三九四年の秋。場所は、ローマから西北の方角に位置する都市ファレリイから一ローママイルおよそ一五〇〇メートル離れた丘の上。


 その丘の上にローマ軍の陣営が構築されつつあった。柵やほりが、徴兵されたローマ人たちの手で迅速に作られていく。作業は東西南北全ての方角で、同時並行で進められていた。


「閣下。分遣隊がファレリイ周辺の略奪を終え、戻ってきました。『敵は門から打って出てこなかった』とのことです」


「そうか。ありがとう。これは長期戦を覚悟して――おい、そこっ! 手を休めるな!」


 部下の報告を受けつつも、閣下と呼ばれたその男は、設営作業に熱心でない兵士を厳しく叱責した。


「ふんっ。どうせウェイイで戦った時みたいに、戦利品なしで祖国に帰還させられるんだろ? あーあ、やんなっちゃう。カミルス将軍に指揮される俺たちは、なんて不幸なんでしょ!」


 ウェイイで戦った時、という言葉が、カミルスを一瞬戸惑わせる。しかし彼はすぐに将軍としての威厳を取り戻し、自分のそばに立つ護衛リクトルに命じた。


「その男を打ち据えろ!」


 護衛リクトルの動きは素早かった。彼は将軍を侮辱した男を瞬く間に捕縛し、そしてむちで彼を容赦なく打ち据える。


 その光景を見たローマ兵たちは恐怖した。そして、その男のようにはなるまいと思い、その後は作業する者の全てが黙々と作業に励むようになっていく。


「閣下。先ほどの男は指示通りに懲罰を加えておきました。しばらくは軽口を叩くこともできないかと」


「ありがとう……。しばらく一人になりたい。君、天幕の外に立っていてくれないか」


 カミルスは護衛リクトルにそう告げて、彼を天幕の中から去らせた。そして高官用の椅子に腰を下ろすと、自分に言い聞かせるように胸の奥でぼやいた。


 はたして、自分の行いは間違っているのだろうか。

 

 自分が考え、実行したことは、偽善に過ぎないのだろうか。


 だが、その疑念に答えてくれる者は誰もいない。


 親しい友人も、天上で我々を見晴るかす神々も。


「だが、それでも、子どもや女性、年老いた人々が争いの犠牲となるのは、神々もお望みではないはずだ」


 カミルスが属するフリウス氏族は、特に高貴な家柄というわけではなかった。その証拠に、カミルスより以前にローマで国家の要職を務めたフリウス氏族の者は知られていない。


 さて、その無名の氏族に生まれたカミルスはといえば、とかく慈悲深い人物であったとされる。


『武器を持たぬ者に危害を加えるな! 勝手気ままな略奪も許さん!』


 この言葉は、二年前にローマの将軍に選出されたカミルスが、ローマと敵対していた都市ウェイイを陥落させる直前に発せられたものである。


 戦争とはいつの世でも悲惨なものではあるが、とりわけ凄惨な光景が現出されるのは、陥落させられた都市の市内においてだと断言できよう。


 流血。暴行。慟哭どうこく嗚咽おえつ


 あらゆる惨劇が、敗れた都市のそこかしこで繰り広げられるのだ。


 だが、カミルスはそのような蛮行を押しとどめるべく行動する、古代にしては稀な素質の持ち主であった。


 なにせ、基本的にローマの将軍は「非武装者への攻撃禁止」を部下に命じないし、また、敵の都市を攻め落とした場合には恒例であった――――を禁じたりもしなかったのだから。


 しかし、そのカミルスの高潔な思想を、彼に率いられる兵士たちは理解しようとはしなかった。彼らにしてみれば」を指揮官カミルスに奪われたうえ、その指揮官カミルスの厳しい軍紀に怯えての行軍となるのだ。苦役と報酬の釣り合いがとれていない、と感じられても仕方がなかった。


 その結果が先ほどの兵士の愚痴である。カミルスはその行動を処罰したが、それは彼の言葉に苛立ったからというわけではなく、軍紀の緩みを恐れてのことであった。将軍への侮辱を看過しては、これから起こるかもしれない敵軍との会戦で、自分の指示に従わない可能性を考慮してのことだったのだ。


「しかし、戦闘は起こらぬだろうな」


 再びカミルスがぼやいた。


 今は秋だ。もうすぐ冬になる。冬になれば、冬越えの装備がないローマ軍は退却せざるをえない。おそらく敵のファレリイもそれを見越して打って出ないで籠城戦を選択したのだろう。


「まったく、賢い選択だ」


 敵を称賛しつつも、カミルスは自分の選択を、敗者に寛容であることがはたして賢い選択か否かを、天幕の中で考え続けるのだった。

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