第2話 妹の胸の内 


 彼に連れられるまま、アスケルは馬車に乗らされていた。手綱を引くのは彼。どこから手に入れたのやら、大層立派な馬車を持ってきた。豪華な装飾のなされた車室、それを引く馬は高貴な白馬だ。アスケルと彼は、車室の外につけられた御者席に乗りこんだ。


 アスケルは行き先が分からない。彼に聞いても「秘密♩」と、もったいぶるだけだった。彼は妙に楽しそうだ。アスケルは不安になってきた。


「ねぇ、アスケル?」

「はい?」

 

 考え事の最中に話しかけられ、アスケルは間抜けな声を出してしまった。


「イロアスって呼んでいいからね。」

「おっ、おう。」


 ウィンクをしながらイロアスは言う。これだけ気さくな人物だが、皇太子を皆殺しにした大罪人だと思うと、アスケルはどうしても萎縮してしまった。


「はいこれ。」


 そんなアスケルの気持ちなどよそに、イロアスは何やら上品な香りのする服を渡してきた。どうやら、貴族の執事が着るような、端正な給仕服のようだ。


「着替えだよ。あっ、もしかしてサイズ合わなかった? 一番でかいやつぬす…貰ってきたんだけど。」


 突然のことで呆気に取られているアスケルを見て、イロアスが慌てたように言う。鉱山から出てきた服で外を出歩けば、嫌でも目立つだろう。そのカモフラージュのようである。盗んできたと言われた気がしたが、アスケルは聞かなかったことにした。


「ありがとう。」

「どういたしまして。着替えが見られるのが恥ずかしかったら、車室で着替えてね。」

 

 車室へアスケルが入ると、イロアスは満足そうな表情になった。


 給仕服に着替えながら、アスケルは思う。人当たりのいいこの男が、皇太子を殺した大罪人だとは、にわかに信じられない。だが、鉱山で見た彼の振る舞いは、強者そのものだった。有無を言わせない絶対的な力。それを感じた。これほどの男が殺人を犯し、しかも捕まったことがアスケルは不思議でならなかった。


「ねぇ、アスケル。妹は借金の担保として、貴族に引き渡されたんだよね。」


 着替えを終えて御者席に戻ると、イロアスが遠い目をしながら話しかけてきた。


「そうだ。借金を返し終えたら、解放されるはずだ。」


 借金はアスケルの母が負ったものであった。父親に騙されて多額の借金を背負い、母親は自殺。借金を返せないところに貴族のダインが取り立てに来て、妹を担保として奪って行った。


 妹は村一番の美人で、彼女もそれを自覚していた。よく「兄さんはこんな美人な妹を持てて幸せね。」と言い、二人で笑い合っていた。貧しくも、幸せな生活だった。


「その前に、君が捕まったと。」


 へましたね〜と、イロアスが笑う。アスケルは少し不快な気分になりながら、言い返した。


「俺は貴族の命令で、密売をしてたんだぞ。ここら一体で影響力のあるダインってやつのだ。憲兵隊も買収してるから安心しろって言われたのに、憲兵の奴ら、俺のことつけてやがった。」


「そうなんだ。確かに、ここら一体は警察組織も貴族の管轄下にある。貴族と癒着している彼らが、それを告発するなんて変だね。」


 言われてみればそうだ。憲兵隊がアスケルを摘発するということは、賄賂を受けているダインに喧嘩を売ることになる。そうなれば資金援助は絶たれ、憲兵隊にも害が及ぶ。善の意識が芽生えたとでもいうのだろうか。


「捕まったのは君だけだしね。」

「なんでそれを…」

「着いたよ。」


 問い詰めようとしていたときに、馬車が急に止まった。アスケルは思わず前につんのめり、馬車から落ちそうになった。


 急に止まるなよと思いながら顔を挙げると、


「おぉ…。」


 そこには、いかにも貴族が住んでいそうな豪邸があった。目の前には背丈の何倍もある正門。そこから覗く中庭は多種多様な花で埋め尽くされ、中心には噴水が陣取っている。噴水を中心に左右対称に庭が造られていて、建物も左右対称のシンメトリーだった。


 あまりの豪華さに見惚れていると、正門がゆっくりと開いた。中から貴族の娘らしい、華やかなドレスに身を包んだ人物が出てくる。その人物の顔を見て、アスケルは言葉を失った。


 まさか……、いや……、でも、あまりに……。


 アスケルの胸中は大混乱だった。


「ナタリー様。お迎えにあがりました。」


 絶句していたアスケルをよそに、イロアスが馬車から降りて深々と頭を下げる。その所作は、いかにも執事らしかった。


「ちょっと遅いじゃない。この私を待たせるとはいい度胸ね。」


 イロアスをゴミを見るような目つきで一瞥いちべつするその人物は、アスケルの妹、ナタリーであった。しかし、数年ぶりの再会というのに、アスケルは一瞬誰だか分からなかった。


 顔はぶくぶくに太り、突き出た腹からはへそがのぞいている。腕は丸太のように太いが、それが筋肉ではないことは一目でわかる。あまりの変貌ぶりに、アスケルは絶句していた。


 そんなアスケルをよそに、イロアスはナタリーを車室へエスコートすると、そのまま車室へと入ってしまった。御者席後ろの窓から顔を覗かせると、「できるでしょ? 馬をよろしく♩」と言って、窓を閉めてしまった。


 アスケルはどこへ向かえばいいかも分からなかったが、とりあえず馬車を走らせることにした。


 適当に街道沿いを行く。馬車を見た街の人々は、皆目を伏せるように建物の陰に隠れてしまった。強制労働での囚人服ほどではないが、皆ボロボロのみすぼらしい服を着ている。この馬車にトラウマでもあるのだろうか。


「ナタリー様。ご報告したいことが。」

「何?」


 背後の車室から、イロアスの声が聞こえる。振り向くと、窓は少し開かれ、中の声が聞こえるようになっていた。窓から見えたイロアスの表情には、うすら笑みが浮かんでいた。


「お兄様のアスケル様が…、強制労働の末……亡くなりました。」


 イロアスが大ぼらを吹いた。アスケルは驚いて、思わず手綱を強く引いてしまった。そのせいで、馬が興奮してスピードを上げる。妹のために必死で働いていた自分を殺されて、アスケルは少し不快な気分になっていた。妹も悲しむだろう。ここで、「生きてました!!」と、窓を開けて登場でもしようかと考えていた。


「本当!!」


 ナタリーが心底驚いたような声を上げた。だが、聞き間違いかもしれないが、その声に哀しみの色はなく、喜んでいるかのように聞こえた。ナタリーは窓に背を向けているため、アスケルは妹の表情を確認することはできない。


「はい。劣悪な環境下での労働に耐えられず、自ら首を吊ったそうです。」


 好き勝手言ってくれる。妹を救うためにここまで耐え忍んできたんだ。犯罪に手を染め、人だって何人か殺した。強制労働ぐらいで死んでたまるか。アスケルは少々怒っていた。


 しかし、妹のナタリーは、とんでもないことを口にした。


「よくやったわ!」


 その言葉に、アスケルは耳を疑った。またも手綱を強く引いてしまい、馬がさらにスピードを上げる。気づけば街を抜け、草原のど真ん中を突っ走っていた。


「ダイン様に掛け合った甲斐がありましたわ。人手を減らすのは渋っていたけど、私の体をあげるといったら簡単だったわ。所詮、男なんてこんなものよね。」


 聞きたくもないことを妹はペラペラとしゃべる。


「どうせなら処刑してしまった方が良かったのですが、流石に密売だけでは無理だとと言われてしまいましたから。」


「ダイン様はね、看守にあの男に強く当たるように指示してくれたの。優しいわよね。」


 ナタリーは興奮した調子で続ける。


「ほんと、よかったわ。私の美貌を持ってすれば、貴族界に入り込むなんて絶やすきこと。もう、あんな暮らしはごめんだわ。」


「残念だけど、あの男には地獄に行ってもらわないと。私のためにね。本望でしょ。」


 アスケルは耳を塞ぎたかったが、手綱を握っていてどうしようもなかった。


「あと、もう一つ。」


 イロアスが話を割った。


「遺言があります。」

「いらないわ。そんなもの。」


 ナタリーは一蹴する。


「まぁまぁ、聞くだけですよ。」


 興味なさげなナタリーなどお構いなしに、アスケルは嘘っぱちを述べた。


「『ナタリー、愛している。救えなくてすまない。』、だそうです。」

「馬鹿ね。死んでくれてありがとうって言ってやりたいわ。」


 ナタリーは即座に吐き捨てた。


 アスケルは、馬車ととめた。


 現実は、こうだった。妹は、俺を売った。自分の幸せのために、俺を地獄に落とそうとした。俺は、あいつのためにどれだけのことをした。賞金稼ぎとして、犯罪者を何人も殺した。犯罪者相手だったとはいえ、殺人鬼に成り下がった。罪悪感に苛まれた。違法薬物の密売にも手を染めた。手をかけた薬には中毒性があって、中毒によって何人も死亡している。それを知っていても、妹のために、俺は無我夢中だった。


 なのに……、それなのに……。


 アスケルは御者席から飛び降り、装飾豪華な車室の扉を蹴破った。


「え…、に…兄さん? なんで……。」


 ナタリーが目を見開いている。死人が蘇って、震え上がっているようだ。向かいでは、イロアスが満面の笑みを浮かべている。


「怒ってるね〜。」


 揶揄からかうような口調でイロアスが言う。人をもてあそぶようなその態度に、アスケルは苛立ち、思わずイロアスをにらみつけてしまった。


「そう怒るなよ。おかしくってな。ついつい。」

「何がおかしい!!」

「まあまぁ、落ち着いて。」


 そう言いながら、イロアスはあるものをアスケルに手渡した。


「はい、あげる。」


 それは、一本のナイフだった。いつの間に手に入れたのやら、ありふれたサバイバルナイフだった。


「気持ちのままにね。」


 アスケルはナイフをじっと見つめる。今まで使ってきた大剣とは大違いだ。これでは賞金稼ぎの首はおろか、獣だって仕留められない。


 だが……。


「兄さん……。」


 顔を上げ、愛すべき妹の顔を見る。かつての美しい顔立ちは失われ、見るに耐えない風貌に変わり果てた妹。


 このナイフで、十分だった。


「うあぁぁぁぁ!!!」

「ギャァぁぁぁぁ!!!」


 男の悲しきうなり声と、女の哀れな断末魔が辺りを包んだ。アスケルは何度も何度もナイフを振りかざす。怒りのありったけをナイフにこめた。


「兄さん……。」

「死ね!!」

「兄さ……。」

「死ね!!」

「にい……。」


 死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!死ね!!


 もはや、アスケルではない。怒り、憎しみ、恨み、憎悪。それを具現化した怪異だった。


……………………………………………………………………………………………………


「はぁ……はぁ……。」


 どれだけの時間が経っただろう。窓の外は闇に包まれていた。虫のさえずりが聞こえる。


 ナタリーは生き絶えた。苦しんで苦しんで死んだ。


「満足?」


 アスケルを見せ物でも見るかのように、優雅に鑑賞していたイリアスが話しかける。


「最悪だよ。俺はなんのために……。」


 アスケルは絶望に打ちひしがれたいた。妹のためにありとあらゆるものに手を染めた。あの辛い鉱山での日々も、妹を思えばなんてことなかった。苦しくても、いつかの幸せのために耐え続けていた。それなのに。


「でも?」


 イロアスは期待のこもった眼差しでアスケルを見つめる。その目は、無邪気な子供そのものであった。自分の好きなものを友達に薦め、その反応を伺っている。まさに純情な子供の瞳であった。


「最悪で……、最悪で最悪で最悪で……、最っっっっ高の気分だ。」


 アスケルは涙を流しながら満面の笑みを浮かべた。


「でしょ?」


 イロアスもにこりと笑う。


「殺すの楽しいでしょ。でも、相手を選ばないといけないよ。善人を殺したら僕たちは悪人だ。」


「それを、僕は学んだ。」


「だから、悪人を殺すの。悪の敵は正義。悪には何をしたっていい。だって、僕らは悪を成敗する正義の味方なんだ。」


 イロアスが落ちていたナイフを拾う。


「だからね……。」


 笑顔でアスケルの方に向き直った。


「!?」


 アスケル何が起きたか分からなかった。痛い。痛みを感じる部位へ目を向けた。


 ナイフだ。アスケルがナタリーを刺したサバイバルナイフがある。アスケルの胸に深く突き刺さり、黒の柄の部分しか見えない。


 き込んだ。血が飛び散った。


 前を見る。生き地獄から助け出してくれた男が、笑っている。


「密売はいけないことだからね。成敗成敗♩」


 悪魔。アスケルはそう思った。現世に降臨してしまった、悪魔。絶対的な力を持ち、私利私欲で命を奪う、悪魔。そう思った。


「バイバイ。かわいそうな悪者さん。」


 イロアスはナイフの柄をもち、グッと押し込んだ。ナイフは背中から飛び出し、カランカランと明るい音を立てた。アスケルの絶望と苦痛で歪んだ表情と対照的に、イロアスは心底楽しそうだった。


……………………………………………………………………………………………………


 世界は闇に満ちている。知らないところで人が死ぬ。


 しかし、混沌には必ず光が現れる。だが皆、光が眩しければ眩しいほど、光の源を目にできない。飛び出た光だけ見るのだ。


 だから、過程はどうだっていい。好きなように、やりたいように、やればいい。


 結果が良ければ、それでいい。


 それが、イロアス・シャルルの生き方である。


 国王は失態を犯した。殺すより、生き地獄をみせたほうがいいと思ったのだろうが、それは間違いだった。


 殺すべきだった。さっさとこの世から消さねばならなかった。


『殺したくなったら相手を選ぼう♩ 悪人を殺せばヒーローになれる♩』


 ダークヒーローの胸の内とは、そういうものだ。




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ダークヒーローの胸の内 青い葵 @aoinaaoi

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