スポーツの物語集

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強豪王朝ハラスメント

第1話 黄金州の王朝

春が来るより先に、彼らは勝っていた。

季節が回るのではなく、結果が先に置かれていて、そこに暦が追いつく。そんな感じだった。


黄金州戦士達は、今年も圧倒的だった。

圧倒的という言葉は便利で、思考を止めるのに向いている。けれど、実際に起きていたことは、便利さよりもずっと不快だった。勝つ。勝ち続ける。勝つことが予定されているみたいに勝つ。


彼らの勝率は更新された。

更新された、というのも嫌な言い方だ。スマホのOSみたいに、更新すれば当然良くなる、みたいな顔をしている。けれどスポーツの勝率は本来そんなふうに上がらない。人間が走って、跳んで、外して、崩れて、どこかで躓く。その躓きの偶然が、競技の骨だったはずだ。


今季の黄金州には、その骨が見えなかった。

正確には、骨が折れない。骨が折れないというのは、折れるほどの衝突が起きないという意味でもある。相手が衝突する前に、彼らは位置を変えてしまう。こちらが怒る前に、彼らは笑ってしまう。


中心選手のカレーは、史上初の万票MVPに選ばれた。

万票、という響きは拍手に似ている。拍手は人を祝福するが、同時に話を終わらせる。異論の余地がないということは、会話の入口が塞がれるということでもある。


僕はカレーが嫌いではなかった。

彼のプレーは美しいし、努力の跡も見える。あの距離からボールを放るというのは、ただの奇跡ではなく、反復の産物だ。努力は尊い。だからこそ、僕は困っていた。尊いものを嫌う理由が、僕の中に見当たらなかったからだ。


嫌いなのは、黄金州そのものでもない。

強いこと自体は、むしろ健全だ。弱い者が勝つことだけが物語になるなら、それはそれで不公平だろう。問題は、強さが長く続きすぎることでもなく、強さが語りを占拠してしまうことだった。


レギュラーシーズンの後半になると、会話が単調になる。

職場の休憩室で、誰かが言う。「今年も黄金州で決まりじゃない?」

それに別の誰かが答える。「いや、さすがに今年は…」

その「さすがに」の後ろには、何も続かない。続かないのではなく、続ける材料がない。


反論の可能性がないから、反論は形式になる。

形式だけが残ると、会話は儀式になる。儀式は人を落ち着かせるが、僕は落ち着きたくなかった。スポーツは落ち着くために観るものじゃない、と一応は思っていた。


テレビをつけると、黄金州の特集が流れる。

ネットを開くと、黄金州の切り抜きが流れてくる。

街のどこかで、黄金州の帽子を被った少年が笑っている。

その笑顔が悪いわけじゃない。悪いのは、僕の側だ。僕はその笑顔の正しさに、少しだけ息が詰まる。


「すごいね」

僕も言う。ちゃんと言う。

すごいのは事実だからだ。


けれど「すごいね」と言うたびに、僕は少しずつ何かを失っていく。

何を失っているのかは、うまく説明できない。説明できないものは、だいたい大事だ。大事なものほど、説明の外に追いやられる。そういう理屈を僕は知っているふりをしていた。


ポストシーズンが近づくと、空気が変わる。

変わるというより、固まる。柔らかい不安が硬い確信に変わっていく。黄金州が勝つ。たぶん勝つ。きっと勝つ。勝つのが自然だ。


その「自然」という言葉が僕を苛立たせた。

自然という言葉は、努力と偶然を一緒くたにする。自然という言葉は、争いの手続きを省略する。スポーツの面白さは、手続きの中にあるのに。


プレーオフの初戦が始まった。

相手は悪くないチームだった。むしろ良いチームだった。守って、走って、工夫していた。会場の歓声も、最初はちゃんと揺れていた。


それでも黄金州は勝った。

勝ち方が綺麗すぎた。

僕はその綺麗さに、どこかで既視感を覚えた。映画のラストを先に知っているときの、あの感じに似ている。泣ける場面が泣けない。笑うべき場面で笑えない。結末を知っているからではなく、結末が「正しい」からだ。


勝つべき者が勝つ。

そういう正しさは、人生では貴重だ。人生には正しさが少ない。だから、スポーツの正しさは救いにもなる。


けれどスポーツは、救いだけでできていない。

救いが過剰になると、息ができなくなる。


二回戦も勝った。

三回戦も勝った。

カレーは笑っていた。チームメイトも笑っていた。相手チームの選手が、最後に肩を落とす姿だけが、僕にとっては少し現実味があった。


僕は思った。

今年も、という季節が始まった。


それは絶望ではない。

絶望なら、まだ感情がある。

これはもっと乾いたものだ。


たとえば、電車の遅延情報を見ているときに似ている。

「運転見合わせ」の文字が出ている。怒る前に、理解してしまう。怒りは出遅れる。理解が先に来ると、人は感情を置き忘れる。


「まあ、そうだよね」

と僕は言ってしまう。


言ってしまうことが、いちばん嫌だった。


試合のあと、スマホに通知が来る。

黄金州が勝った。

カレーがまた記録を更新した。

解説者がまた「史上最高」と言った。


僕は通知を消す。

消しても、何も消えない。


画面を閉じると、部屋は静かだった。

静かすぎて、自分の呼吸が聞こえた。

呼吸が聞こえるというのは、心が落ち着いている証拠ではない。落ち着いていないときにも、人は呼吸をする。


僕はただ、次の試合の時間を確認した。

それが習慣だからだ。

習慣は人を生かすが、ときどき人を腐らせる。


ポストシーズンはまだ始まったばかりだった。

けれど僕の中では、もう終わりかけていた。


黄金州が勝つ。

誰も悪くない。

だからこそ、僕は少しだけ嫌になる。


嫌になる自分を、僕は嫌っていた。

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