第10話 居場所という選択肢

夜の森は、昼間とはまったく別の表情を持っていた。霧がうっすらと立ち込め、木々の間を縫う月明かりが地面に不規則な影を作る。焚き火の炎が揺れるたびに、周囲の影が生き物のように踊った。


 私はその焚き火のそばに座り、静かに夜の空気を吸った。

 隣にはエドガルが座っている。森の暗闇の中で、彼の顔は緊張と疲労で少し青白く見えた。足を引きずりながらも、彼はここまで生き延び、私と共に境界にたどり着いた。


「……なあ、アリア」

 彼が低い声で囁いた。「ここに、残るのか?」


 私は火を見つめ、しばらく沈黙した。心の中で考えが巡る。

 王国から追放され、力を持つことを隠してきた日々。誰も信用できず、誰も頼れない世界で生きてきた私が、初めて自分の居場所を手に入れたかもしれない瞬間だ。


「今は……ここにいる」

 ゆっくりと答える。声には迷いはなかった。戻る理由も、他の選択肢も思い浮かばなかったからだ。王国に戻ることは簡単かもしれない。だが、そこで私を待っているのは、恐怖と支配、そして抑圧だけだ。


 焚き火の炎を見つめながら、私は心の中で誓った。

 ここで得た信頼、ここで築いた人々との関係は、決して無駄にはしないと。


 エドガルは私の言葉を受け止めるように静かに頷いた。

「王国に戻るつもりはないのか?」

 さらに問いかける声には、不安が混じっている。


「戻る理由はないわ」

 私は真っ直ぐに答えた。

 王国は、私を恐れ、追放した。信頼はない。守られるべき存在でもない。ならば自らの意志で生きる場所を選ぶのが自然だ。


 そのとき、向かいの焚き火の向こう側に座っていたセラが口を開いた。

「お前が来てから、境界は変わった」


 私は目を上げて彼女を見る。警戒心が少し混じる。

「悪い方向に?」


 セラは首を横に振った。「いい意味だ」

 静かに続ける。「皆が、自分たちの未来を考え始めた。お前が来るまでは、目先の生存だけを考える集落だったが、今は長期的な計画も芽生え始めた」


 その言葉に、胸の奥が静かに熱くなる。

 私は、守られる存在ではない。支配する存在でもない。

 ここで築くのは、共に考え、共に生きる信頼だ。


 焚き火の炎が揺れるたび、影が森の中で揺らめく。

 それはまるで、私たち自身の小さな世界の不安定さを象徴しているかのようだった。しかし、今は恐れではなく、希望が優先していた。


「ここは、私の居場所になるかもしれない」

 私は小さく呟く。火の揺らめきに合わせて、自分の決意を反芻するように。


 セラは穏やかに微笑んだ。「歓迎する。境界は、選んだ者の場所だ」


 その夜、私は初めて、安心して眠ることができた。

 だが同時に理解していた。

 この静けさは永遠ではない。王国は必ず、この変化に気づく。境界という新勢力の核に、かつて切り捨てられた令嬢がいることを。


 森の中、焚き火の炎が小さく揺れる。

 夜風が枝葉を揺らし、微かな音を立てる。

 私は深く息を吸い込み、身体を休めながらも、心の中で次の覚悟を固めていた。


 ここで得た信頼と居場所を、自らの選択として守る。

 必要ならば、全力で戦う覚悟も持つ。

 恐怖に怯えることなく、支配されることもなく、ただ自分の意志で生きるために。


 月明かりが森を淡く照らす。焚き火の炎がそれに揺れる。

 私は初めて、自分の選択に揺らぎがないことを感じた。


 ここが、私の居場所だ。

 王国の想定外に生きる、私の居場所。

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