第7話 名を持たぬ者
谷を越えた先の土地は、王国の地図から意図的に空白にされている場所だった。
正式な街道はなく、行政の手も届かない。だが、だからこそ――人は集まる。
違法とされた者。
追われた者。
王国に属さない選択をした者。
彼らは皆、この「境界」に流れ着く。
霧が薄く立ちこめる中、私は足を止めた。
背後でエドガルが息を潜める気配がする。
「……誰かいる」
そう囁いた瞬間、前方の空気が割れた。
「正解だ、お嬢さん」
木々の影から現れたのは、三人。
軽装だが、動きに無駄がない。武器は見せていないが、隠し持っているのは明白だった。
「ここは王国領だ。通行理由を聞こう」
形式ばった口調。だが、その目は試すように鋭い。
「なら先に聞くわ。あなたたちは、王国の人間?」
その問いに、男はわずかに笑った。
「だったら、もうお前は縛られてる」
その返答で十分だった。
私は一歩前に出る。
「私は、王国から追放された元貴族よ」
空気が、はっきりと変わった。
三人の視線が、警戒から興味へと移る。
「……面白い肩書きだ」
「でしょ?」
私は静かに続ける。
「追手にも確認されている。今後、この辺りは“掃除”される可能性が高い」
男たちは、互いに視線を交わした。
この土地にとって、それは死活問題だ。
「目的は?」
「交渉」
即答だった。
「私には力がある。王国が恐れる程度にはね。代わりに、あなたたちの“場所”と“情報”が欲しい」
沈黙が落ちる。
霧の向こうで、さらに多くの気配が動いた。
――囲まれている。
だが、敵意はない。
「……度胸は認める」
先頭の男が、ゆっくりと息を吐いた。
「ついてこい」
案内された先には、想像以上に整った集落があった。
簡素だが機能的。見張り、補給、連絡。すべてが合理的に配置されている。
「ここは?」
「名前はない。名を持てば、支配される」
その言葉に、私は納得した。
中央の建物で迎えたのは、一人の女性だった。
年齢は私より少し上。だが、その眼差しは鋼のように揺るがない。
「話は聞いた。追放令嬢」
「その呼び方、あまり好きじゃないわ」
「なら名を名乗れ」
一瞬、迷い、そして答える。
「……アリア」
仮の名だ。
だが、今はそれでいい。
「私はセラ。この境界をまとめている」
セラは私を真っ直ぐに見据えた。
「力を見せろ」
私は一切の前置きなく、地面に意識を落とした。
揺れは最小限。それでも、空気が軋む。
集落の者たちが、一斉に息を呑む。
「……十分だ」
セラは静かに頷いた。
「交渉成立だ、アリア。ここは一時的にお前の居場所になる」
私は初めて、心から息を吐いた。
王国でもない。
逃亡者でもない。
――第三の場所。
「ただし」
セラは言葉を続ける。
「私たちは、利用される気はない」
「対等でいいわ」
そう答えると、彼女はわずかに笑った。
「いい顔だ。王国は、厄介な女を手放したな」
私は集落を見渡し、確信する。
ここからが、再編だ。
私はもう、独りではない。
そして王国はまだ、知らない。
自分たちが切り捨てた存在が、
新しい勢力の核になったという事実を。
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