第4話 狩られる側だったという自覚

城門を離れてしばらく歩くと、周囲の景色は急速に変わっていった。整備された道は次第に荒れ、足元には石と土が混じる。やがて舗装は完全に消え、背の高い木々が視界を覆い始めた。王都近郊とは思えないほど、森は深く、静かで、そして不気味だった。


 足を踏み入れた瞬間、空気が変わる。

 ひんやりと湿った気配が肌にまとわりつき、音という音が吸い込まれていく。遠くで何かが動く気配はあるのに、姿は見えない。その不自然さが、かえって神経を刺激した。


 私は歩きながら、これまでの出来事を何度も反芻していた。

 婚約破棄。

 即断された裁定。

 即日追放。

 護衛なし。


 どれか一つなら、まだ説明はつく。

 だが、すべてが重なったとき、そこに偶然が入り込む余地はなかった。


「……最初から、助かる前提じゃなかったのね」


 呟いた声は、木々の間に吸い込まれて消える。

 その言葉を口にした瞬間、胸の奥に冷たい理解が広がった。


 違う。

 生き延びられては困るのだ。


 だから護衛を付けない。

 だから街道を使わせない。

 だから、この森へと追い込む。


 ここで死ねば事故。

 魔物に襲われれば不運。

 誰の手も汚れず、王国は「問題」を処理できる。


 私は、追放されたのではない。

 狩られる側に回されたのだ。


「本当に、よく考えられているわ」


 怒りよりも先に湧き上がったのは、皮肉な感心だった。

 これほどまでに綺麗に整えられた排除なら、確かに証拠は残らない。


 そのとき、前方の空気がわずかに歪んだ。

 背筋が反射的に強張る。


 ――来る。


 姿は見えないが、気配だけで分かる。

 一体ではない。複数だ。


 私は足を止め、ゆっくりと息を整えた。

 これまで、この力を使うことは固く禁じられてきた。危険すぎる、制御できない、公爵令嬢にふさわしくない。そう言われ続け、私は自分の力を「なかったもの」として生きてきた。


 だからこそ、王国は私を恐れた。


「……でも、もう関係ない」


 ここにいる私は、守られる存在ではない。

 生き残るために、力を使わなければならない存在だ。


 胸の奥に沈めていたものに、そっと意識を向ける。

 封を解く感覚は、長く閉じられていた扉を押し開くようだった。


 次の瞬間、空気が震えた。


 低い咆哮とともに現れた魔物たちは、距離を詰める間もなく動きを止める。重力が増したかのように、その身体が地面へと叩きつけられた。悲鳴は上がらない。ただ、圧倒的な力に屈する気配だけが残る。


 静寂が戻る。


 私は大きく息を吐き、ゆっくりと周囲を見渡した。

 倒れ伏した魔物たちは、もう動かない。


「……やっぱり、そういうこと」


 確信が、静かに胸に落ちた。


 私が追放された理由は、罪ではない。

 陰謀に巻き込まれたからでもない。


 存在そのものが、危険だと判断されたからだ。


 だからこそ、王国は私を消したかった。

 それができないなら、自然に消える場所へ追い出すしかなかった。


 私は夜の森を見据え、再び歩き出した。


 彼らが望んだ結末は、私の死。

 だが、私は生きている。


 この先、何が待っていようと関係ない。

 私はもう、彼らの想定の中にはいない。


 ――王国は、致命的な誤算をした。


 その代償を理解する日は、そう遠くない。

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