婚約破棄された悪役令嬢は追放された ――それは国が私を恐れたからです

@Aihon

第1話

王城の大広間は、夜の宝石箱のように眩しかった。

 天井から吊るされた無数の水晶灯が光を反射し、貴族たちの衣装と装飾品をきらめかせている。建国記念舞踏会――王国で最も格式高い夜だ。


 私は、その中心に立っていた。


「エリシア・フォン・クラウス」


 王太子レオニス殿下の声が、場違いなほど冷たく響く。

 ざわめいていた空気が、一瞬で静まり返った。


 嫌な予感は、ずっとしていた。

 それでも、ここまで露骨だとは思っていなかった。


「貴様との婚約を、ここに破棄する」


 言葉が落ちた瞬間、大広間が波打つ。

 驚き、興奮、好奇心。

 そのすべてが、私へと向けられた。


「な……」

「公衆の面前で?」

「やはり、というべきかしら」


 私は、ただ王太子を見つめていた。

 彼の隣に立つ伯爵令嬢リリアーナは、震える肩を押さえ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。あまりに完成された“被害者”の姿だった。


「理由は明白だ」


 王太子は、まるで台本を読むように言葉を続ける。


「エリシアは、リリアーナに対し、長期間にわたる嫌がらせを行っていた」


 どよめきが起きる。

 けれど、その反応すら――どこか予定調和に見えた。


 私は気づいてしまったのだ。

 この場にいる多くの貴族が、すでに結論を知っていることに。


 驚いている者はいる。

 だが、誰も「本当に?」とは言わない。


「証拠は?」

「確認はしたの?」


 そう問う声が、一つも上がらない。


 ――整いすぎている。


「何か、言い分はあるか」


 王太子の視線が、私を射抜く。

 その奥に、微かな躊躇が見えた気がした。

 けれど彼は、目を逸らさなかった。


 私は一歩、前に出る。


 言おうと思えば言える。

 反論も、弁明も、真実も。


 だが、そのすべてが無意味だと、私は悟っていた。


 これは裁きではない。

 排除だ。


 だから私は、ゆっくりとドレスの裾を整え、深く一礼した。


「……承知いたしました、殿下」


 その言葉に、ざわめきが一段大きくなる。


「反論しないの?」

「さすが悪役令嬢、開き直りね」


 王太子の眉が、わずかに動いた。

 想定外だったのだろう。

 私が騒がず、取り乱さず、涙も見せなかったことが。


 彼は一瞬だけ口を噤み、それから冷たく言い放った。


「では、これにて終わりだ」


 終わり。

 あまりにも簡単な言葉。


 私は顔を上げ、初めて周囲を見渡した。

 貴族たち、騎士たち、聖職者たち。


 ――全員が、知っていた。


 今夜、この婚約が破棄されることを。

 私が“ここから消える”ことを。


 胸の奥が、静かに冷えていく。


 けれど同時に、はっきりと理解した。


 これは私が「捨てられた」夜ではない。

 彼らが、危険だと判断した夜なのだ。


 私は小さく微笑んだ。


 ――そう。

 ならば、選択を誤ったのは、あなたたちのほう。


 この国はまだ知らない。

 自分たちが、何を手放したのかを。

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