第9話
二人が訪れたのは、国境付近にある寂れた町の「冒険者ギルド出張所」。 受付に浮かぶタグは『#怠慢』『#汚職』『#万年人手不足』。
「ギルド設立の登録をしたいんだけど。名前は『データベース』」
紡が無機質に告げると、受付の男は鼻で笑った。 「お嬢ちゃん、ギルド設立には最低5人の構成員と、金貨50枚、それから設立者の『ランク証』が必要だ。まあ、俺の女になるなら——」
紡はため息をつき、受付に置かれた「ギルド規約」の分厚い書類に指を触れた。
(……規約、ね。画数が多いわ。でも、ここの『5人』という数字(タグ)を書き換えるのは簡単……)
紡の編集: 『#構成員:5名以上』 → 『#構成員:2名以上』 さらに、設立費用『#金貨:50枚』 → 『#金貨:5枚(特別割引適用)』
「もう一度、その『規約』とやらを確認したら? 目が霞んでるんじゃない?」
「あぁん? ……あ、あれ? おかしいな、2名からOKになってる。……それに、今ちょうど『期間限定・新人応援キャンペーン』で、設立費用も10分の1だ。……なんでだ?」
受付の男が首を傾げながらも、書き換えられた「世界のルール」に従って手続きを進めていく。
「……よし。これで受理されたわ。むらさき、あんたは『副ギルド長』ね」
「えっ!? 僕がですか!? ……でも紡さん、ギルドの『ランク証』はどうするんですか? 設立者はBランク以上じゃないと……」
「そんなの、今から拾いに行けばいいだけよ」
紡はギルドの掲示板に目を向けた。そこには、数十年誰も達成できていない『#未解決』『#難攻不落』のタグがこびりついた【S級依頼:古龍の討伐】の依頼書が。
「……むらさき。さっきの『龍殺しの牙(錆び包丁)』、出番よ」
「……あれが、古龍」
森の奥の断崖絶壁。ひゅーっと下から冷たい風圧が駆け抜けて、紡の短い黒髪を激しく揺らした。
そこには、数百年もの間、雲を割り山を削り続けてきた生ける天災——『蒼天龍』が鎮座していた。
むらさきは、手にした「折れた錆び包丁」を握りしめ、あまりの威圧感に喉を鳴らした。一方の紡は、どこか遠くを見るような目で、龍の頭上に蠢く膨大な文字列を解析していた。
『#古龍』『#蒼天龍』『#物理無効』『#魔法反射』『#絶対防御』……
(……多いわね。一文字ずつ消してたら、私の魔力が先に枯渇するわ)
紡はひび割れた丸眼鏡——『#真実の眼』をクイと押し上げた。修復された眼鏡越しに見る世界は、もはや単なる風景ではなく、脆弱なタグの構造体だった。
「むらさき。あんたは私の合図で、あの龍の眉間にその包丁を突き立てなさい」
「えっ!? で、でも紡さん、あれには魔法も剣も効かないって伝説で……」
「伝説なんて、誰かが勝手につけた『#キャッチコピー』よ。今から私が、その前提を書き換える(デバッグする)から」
紡は空中に指先を滑らせた。ターゲットは古龍そのものではない。古龍を古龍たらしめている、その「属性」だ。
「……っ、はい!」
むらさきが地面を蹴った。紡を背負い、弾丸のような速さで龍の懐へと突き進む。 龍が異変に気づき、咆哮を上げる。本来なら近づく者すべてを粉砕する衝撃波。だが、紡が空間の「属性」に指を走らせた。
『#突風』→『#微風』
衝撃はそよ風に変わり、二人は龍の巨大な前足へと着地する。 だが、古龍の表面を覆うのは、神の加護すら弾く『#絶対防御』の輝き。
(……触れなきゃ書き換えられない。なら、やることは一つ)
紡はむらさきの背から飛び降りると、龍の硬質な鱗に直接、白く細い指先を叩きつけた。 その瞬間、龍の膨大な魔力と紡の意識が直結し、視界がタグの激流で埋め尽くされる。脳が焼けるような熱。
(……画数の多い文字は無理。今の魔力で、この巨大なシステムを書き換えるには……二文字が限界!)
紡の指が、光る文字列を強引に掴み、引き抜く。 『絶』を捨て、『脆』を叩き込む。 『無』を弾き、『通』を流し込む。
『#脆対防御(ぜったいぼうぎょ)』 『#物理通(つう)』
「――今よ、むらさき!」
「おおぉぉぉぉ!」
紡が指を離した刹那、防御力の消えた鱗へと、むらさきの「錆び包丁」が深々と突き刺さった。かつて龍を屠った牙が、数百年ぶりに本来の役割を思い出したかのように龍の肉を割く。
「グガァァァァァァッ!?」
天災と呼ばれた龍が、初めて「痛み」というバグに悶絶する。 むらさきがトドメを刺そうとナイフを振り上げたとき、紡が無機質な声で制した。
「待って。殺すのはリソースの無駄よ。……これだけ大きな個体、素材(ドロップアイテム)にするより『設備』にした方が効率がいいわ」
紡は龍の鼻先に手をかざす。 古龍のプライドを粉砕する、最後の一撃。
『#従魔(じゅうま)』
「……これでS級依頼完了。ギルドランクも一気に上がるわね」
光が収まった後、そこには山のような巨体から、紡の足元に丸まるトカゲサイズまで縮小した『蒼天龍(元)』がいた。
国境のギルド出張所。 昼下がりの退屈な空気の中、受付の男は鼻歌まじりに書類を整理していた。
「……ま、あのガキ共も今頃、古龍の鼻息で消し飛ばされてる頃だろうよ。S級依頼なんて、身の程を知らねーから――」
その時、ギルドの重厚な扉が、無造作に蹴り開けられた。 入ってきたのは、返り血一つ浴びていない無機質な表情の少女・紡と、少し興奮冷めやらぬ様子の少年・むらさきだ。
「……戻ったわ。完了報告を」
紡がカウンターに、古龍討伐の依頼書を放り投げる。
「はあ!? 何が完了だ、このバカ……っ!」
男が嘲笑おうと顔を上げた瞬間、紡の肩に乗っていた「それ」と目が合った。 青く美しい鱗に、黄金に輝く瞳。サイズこそ手のひら乗りそうなトカゲだが、そこから放たれる圧倒的な「王」の威圧感。
「な……なんだ、そのトカゲは。……まさか、それが古龍だって言いてえのか……?」
「古龍(蒼天龍)は私の『#従魔』になったわ。……証拠が必要? むらさき」
「はい、紡さん!」
むらさきが懐から取り出したのは、蒼く発光する巨大な――成人男性の背丈ほどもある――龍の鱗だった。
「ひ、ひぃぃぃぃ!? 鑑定! 『#蒼天龍の真鱗』……本物じゃねえか!!」
男が椅子ごとひっくり返る。 ギルド内にいた数少ない冒険者たちも、その「鱗」と、紡の肩で欠伸(あくび)をする「トカゲ」を見て、持っていたジョッキを床に落とした。
「古龍が……懐いてる? あの『天災』を、ただのペットみたいに……?」
紡は男の驚愕を無視し、ひび割れた丸眼鏡を押し上げた。
「……約束通り、これで私はBランク以上(ギルド長資格)ね。さっさと手続きを済ませなさい。それともあなたの女にならないとダメかしら」
受付の男はダラダラと汗をかいた。むらさきが殺気を放っている。
「め、滅相もございません! 今すぐ! 今すぐS級達成の報酬と、ギルド『データベース』の本登録を完了させます!!」
男は震える手でスタンプを叩きつけた。 周囲の喧騒を背景に、紡はむらさきを見上げる。
「……むらさき、お疲れ様。さあ、拠点(家)に帰るわよ。このトカゲ、名前はどうする?」
「え、僕がつけていいんですか? ……ええと、青いから『アオ』……とか?」
「……安直ね。でも画数が少なくていいわ。今日からあんたは『#アオ』よ」
紡の肩で、伝説の古龍が嬉しそうに「キュッ」と鳴いた。 その光景を見て、ギルドの面々は確信した。 この世界に、理不尽なまでの「悪魔」が現れたことを。
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