第5話


(え? 今の冗談だったんだ……)  あまりに真に迫った悪だくみ顔に、むらさきは喉まで出かかった「魔物……」という言葉を必死に飲み込んだ。


紡は村の人から譲り受けたボロボロの古文書――この世界の教本を眺めていた。


(……この文字、『#豊穣』の一部に似てるけど、横棒が一本多いな。読み方は……『レ・ギウス』?)


 その瞬間、脳内にスマホの通知音のような音が響く。


【新規語彙を登録:知力が5上昇しました】 【累計知力が一定に達しました:魔力最大値が10上昇しました】


(なるほど。この世界の『概念(タグ)』を理解すればするほど、私のスペックも上がるわけね。効率がいい。でも、手当たり次第に読むには、この世界の語彙力が圧倒的に足りないわ)


 紡は次に、村の小さな道具屋で見つけた分厚い『大陸共通語大辞典』を思い出す。だが、その上に浮かぶタグはあまりに無慈悲だった。


『#超希少本』『#価格:金貨30枚(ぼったくり)』


(金貨30枚……。今の全財産で買えるのは、表紙の『#皮』の部分だけね。やっぱり、この世界でも知識は金で買うものらしいわ。……むらさき、悪いけどもう少し稼ぐわよ。辞書代のために)


「もちろん、紡さんのために精一杯、獲物を狩ってくるよ!」


 自信満々に牙を覗かせるむらさきに、紡は待ったをかける。


「いえ、狩るのは『タグ』よ。不治の病とか、呪われた武器とか。不都合を抱えてる金持ちを『編集』しに行くわ」


「それで、あんたは何が得意なの?」


 唐突な問いかけに、むらさきは背筋をピンと伸ばした。


「……得意、なこと。……以前は黒い炎で何もかも燃やすことしかできませんでしたけど、紡さんに書き換えてもらってからは、その、体がすごく軽いんです。あと……」


 むらさきが馬車の外、遠くの茂みを指差す。


「あそこの茂みの裏に、隠れている野兎の心音が聞こえます。たぶん、すごく足が速い個体です」


 紡はむらさきの頭上に浮かぶタグを凝視した。 『#野生の勘』『#隠密』『#神速』……。


(なるほど。呪いを解いたことで、獣人本来の身体能力がバフ(強化)されたわけね。しかも……)


 紡はむらさきの隣に浮かぶ、以前は読めなかった複雑な文字列に目を向けた。


『#暗影歩法(アンエイホホウ)』


【新規語彙を登録:知力が3上昇しました】


(また上がった。やっぱり、この世界の未知の文字を認識するだけで、私の処理能力(ステータス)は底上げされる)


「いいわ。むらさき、あんたは私の『目』と『足』になりなさい。私は馬車の揺れで二度寝したいから、周囲の警戒と、美味しそうな獲物の確保は任せるわよ」


「はい! お任せください、紡さん!」


 ぶんぶんと尻尾を振って、今にも馬車から飛び出しそうな勢いのむらさきを眺めながら、紡は手元のスマホ(鏡)を操作した。


(私の知力は上がってるけど、それをアウトプットするための『語彙』が足りない。『#火』を『#水』に変えるのは簡単だけど、もっと複雑な、例えば『#不治の病』を『#完治』に変えるには、医学的なタグ構成を知る必要があるわね……)


「……やっぱり、辞書が必要だわ。それも、ただの単語帳じゃない。この世界の理が詰まった、最高級のやつが」


 紡は「二度寝」と宣言した舌の根も乾かぬうちに、空中に指を滑らせた。  旅の資金繰り、辞書の入手、そして自分たちを「ゴミ」と捨てた連中への、次なる『タグ付け』。さらには、むらさきのパスワード付きタグの解析……。


「退屈はしなさそうね」


 紡は満足げに目を閉じ、新しい相棒の心地よい鼓動を背中に感じながら、深い眠りへと落ちていった。

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