白い繭の祈り

青羽 イオ

第1話 葉

 あたたかさは、音になった。


 くしゅ、くしゅ。


 誰かが紙をめくるような、かすかな気配。

 細い息づかい。


 光はない。

 けれど、わたしにはわかる。

 そこに、ひとがいる。


 ──ひと。


 それがなんなのか、まだよく知らない。

 でも、その気配はどこか懐かしくて、わたしをやわらかく包む。


 ときどき、わたしの世界が震える。

 すると、何かが運ばれてくる。


 ちいさな、葉のかたちをした命。


 口はない。

 それでも、わたしはそれを受け取り、食べる。


 ──たべる。


 この世界で、わたしに許された、ただひとつの行為。

 それが、わたしが生きていると知る瞬間だった。


 気配の主は、少女だった。

 たぶん、まだ幼いひと。


 わたしの名前も、姿も知らないのに、

 まるで話しかけるみたいに、そっと指を差し出す。


 声は出さない。

 でも、そのまなざしは静かで、やさしい。


 雪みたいに。

 何も求めず、ただ降り積もるみたいに。


 少女は縁側にすわって、雪がとけていく様子を見つめていた。

 指先に落ちる白い滴が消えるまで。


 わたしも、それをじっと追っていた。

 外の世界から切り離されたように、そこだけ時間が止まっている。


 少女が葉を置く指を、いちどだけ止めた。

 爪の先が赤く、かじかんでいる。

 葉が一枚、膝の上に落ちて、少女は黙って拾い直した。


 ある日、外の通りで、ひそひそ声が聞こえた。

 村の老婆たちの声だった。


 ──この家の婆さまは、子を産めなかったんだよ。

 ──だから、あの子を預かったんだとさ。


 わたしには、その意味がまだわからない。

 けれど、その言葉は雪といっしょに、わたしのなかでとけていった。


 家の奥から、かすかに香の匂いがした。

 木の乾いた匂いと、湯気の匂いのまじった、消えきらない匂い。


 少女は、葉をくれた。

 夢の名残を、そっと分けるみたいに。


 何も語らず。

 何も拒まず。


 その指だけが、世界とわたしをつないでいた。


 雪の向こうから、何かが降ってくる。


 言葉ではない。

 けれど、たしかに、わたしのなかに届く。


 ──たべなさい。

 ──いきなさい。


 誰の声でもない。

 それでも、その声は、葉といっしょに置かれていた。


 同じ手で。

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