童女に絆された人喰い妖怪
明日葉 晴
前編
──あの坊主め、絶対に赦してやるものか。
夕暮れの鬱蒼と茂る森で、怨嗟の言葉を吐きながら女が足を引き摺って歩いていた。女の胸の中央部分はぼっかりと穴が空いており、その穴からとめどなく鮮血が流れている。
ぽたり、ぽたり、ぽたり。
血の滴る音が幾度となく響き渡る。失血死してもおかしくないほどの出血量、そもそも彼女の胸には大事な臓器となる心臓がない。本来なら即死であろうに彼女は未だに生き続けていた。
彼女──カドネと呼ばれる女は妖怪であった。
それも人を喰らう妖怪。己の栄養のために、愉悦のために、時には癇癪を起こしたために人を殺し喰らってきた。
……だからこそ、彼女は僧侶に襲われたのだ。心の臓を穿たれ絶体絶命の中で逃げられたのは奇跡に近い。最もこのままだと死は目前と迫るばかりであるが。いくら妖怪であろうと心臓を失くしたのは致命的だったようで、このまま生命維持に回している妖力が尽きてしまえば死んでしまうだろう。
「人間は……どこかに…………いない、ものですかね………………」
カドネは途切れ途切れの願望を口にしながら足を運んでいると、ぱきりと乾いた小枝が折れる音が聞こえてきた。
音のする方へ視線を向けると1人の童女がそこにいた。
目を引くミディアムウェーブの金髪に透き通った蒼碧の大きな瞳。随分な小柄で襤褸から見え隠れする白い四肢はすぐにでも折れてしまいそうだ。
カドネの本音を言えば、可食部の多い大人が良かった。こんな子供では腹を満たすどころか妖力の回復は微々たるものだろう。所詮は柔らかいだけが取り柄の肉塊では自身の危機を脱するには心もとない。
だが、ないものねだりしても仕方ないのも事実なので、カドネは童女を喰らおうと手を伸ばせば、童女の方から自身に飛び込んできた。
「死んじゃダメだよ!」
童女はそう言ってカドネにしがみついた。自分が血に汚れることも厭わずにただ嫌だ嫌だと首を左右に振っている。その様子にカドネは面を食らってしまった。
相手から来られたのも想定外だが、それ以上に童女の瞳に浮かぶ大粒の涙に目を奪われてしまう。
だってそれは──自分のために流されたものだ。
これまで涙は飽きるほど見てきた。恐怖、憤怒、悲哀、他にもたくさんの感情によって零れ落ちていた弱者の証明。そんなものをカドネの死を感じ取って流しているのは初めてのことだった。
「ここで待ってて!」
「……あっ」
「絶対に、ぜーーったいに助けるから!!」
カドネが呆気にとられていると、童女は去ってしまった。
喰らえば良かったと後悔しても遅い。どうして気が抜けてしまったのかをカドネは自分でも分からないでいた。ただ見ていることしか出来なかった。そんな余裕なんてないことを他ならぬ自分がよく知っていたはずなのに。
カドネの顔に乾いた笑みが作られる。
「……本当に、情けない最後」
立っていることもままならなくなり、カドネはその場で膝から崩れてしまった。ここが自分の墓場なのだと諦観する。
しかし、数十分後のことだ。先程の童女が様々な食料と綺麗な晒木綿を腕いっぱいに抱えて戻ってきた。
底抜けの優しさがカドネの元へ訪れた。
こうして、カドネは童女──ひかりと出会ったのだった。
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