私の哲学

Wshin 俊介

第1話 運とは何か?

『運とは何か?』

この話に至った発端は、年末宝くじの広告だ。

宝くじが当たるのはくじを買った人達のなかで一番運がいい人。

ではまた問う。

『運とは何か?』


私は昔、母親から教わった。

運は、みんな平等だと。


一体どういう意味なのか?そんなはずはない。気になって聞いた。

母親は言った。

人間は、みんな同じ量の運を持って、生まれる。

いや、生まれる前から決まってる。

ただその運がいつ、どのくらいの量が使われるのかは、人によって違う。

だから、

Aは生まれる前に使われる。だからお金持ちの家に生まれた。

Bは中年のころにまとめて使われる。だから会社でうまくいった。

Cは細かく分割されて使われる。だから平穏に過ごした。


だから運は不平等に見える。


これは、私が10歳になる前に聞いたことだ。

20代になったときにまた聞いてみた。

母親はそんな話したっけ?と言っていた。



ここからは私の運の解釈だ。


事故にあって体が不自由になった人がいる。重い病気になって満足な生活ができない人がいる。大きな災害にあって大切な人を失った人がいる。

その人は不運だったのか?

不運とは?

私は単なる運のマイナス版だと考える。

つまり運がプラスなら、不運はマイナス。


こう考える人がいるだろう。

事故にあう要因、例えば、交通量の多い場所を毎日通る人と、家から出ない人では事故にあうが違う。

病気になる要因、不健康な食生活、親からの遺伝。つまり人によって病気になるがちがう。


こう考えるとよくないことは一見 運、不運とは関係ないように見える。


だが結局、事故にあうか合わないか。病気になるかならないか。は運、不運で決まる。


親がこの病気を持っていた。子供に遺伝する確率は50%。

この50%が当たるか当たらないかは?


そう、 運、不運だ。


ここでいったん私の運、不運についての話は区切る。



次に出てくる問いは、


『不運が尽きる保証がない世界で

   人はなぜ前に進むのか?』


私は、人間の欲求や今までの人生で手に入れた何の根拠もない考えが、そうさせると考える。


お金持ちになりたい。だから宝くじを買って一発逆転を狙う。だから進む。

今回は不運だった。だから次はいいことがあるはずだ。だから進む。


こんな考えを持っていると次の問が出てくる。


『では、欲求がなくなったら、

  人間は進まなくなるのか?』


この答は簡単だと思う。

 人間から完全に欲求が無くなることは、ほぼない。

どんな善人だろうと、どんな悪人だろうと欲求はある。

例えば経済的に成功した人、皆には人助けになるような製品が作りたいとか言っているが、内には、ほぼ必ず、お金持になりたい。みんなに認められたいといった欲求があるはずだ。


この話『運とは何か?』という問いの答えではないが一つこれを読んでいるあなたにアドバイスを。


欲求を、抑えようとするな、正当化しようとするな

使え。

「金持ちになりたい」それでいい。

その欲求を、行動に変える、技術に変える、積み上げに変える

それができる人だけが、

運や不運の議論を現実で回収できる。


運をつかむ方法は

まず進むこと。進まなければ運も不運もない。

何か欲しいなら進む。


宝くじで他の人と同じ運の量が使われるとする。でも一枚くじを買った人と1000枚くじを買った人とでは1000枚買った人の方が有利になる。

つまりは、進むことで確率を上げれば、使われる運の量が少なくても宝くじに当選することができる。

そう、私は考える。


私は私の考えを読んでくれたあなたを応援します。


ぜひ一緒に頑張りましょう。

私はこの世界が好きです。

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