第2話


 えっ、とオルハは驚いた顔をした。

「アミア様の新しいご友人の方かと……違うのですか?」

「違うわよ! 私今こいついること気づいたもん! あんたいつからそこいた⁉」

「一番最初からおられましたが……」

「私がおはよーって来る前⁉」

「はい……。十分前くらいに表からこんにちはーって入って来られてそこの席に座られたので、てっきりアミア様が朝食にお呼びになったのかと」


「呼んでないわよこんな奴!

 だれだー! てめーっ! 人ん家の団欒にさも当然みたいな顔で参加しやがって!」


「俺はラムセスだ。心配するな。お前らがサンゴール王国関係者なら、俺に朝食を食わせてもバチは当たらないぞ! というかお前何回か俺と明らかに会話しただろ。その時気づけよな」


「……ラムセス……?」


「まさか、賢者ラムセス様ですか?」


「まぁ、自分で自分を賢者なんて自称するほど落ちぶれちゃあいないが、まあ凡人が俺を賢者と呼びたい気持ちは分からんでもない」


「あのサンゴール宮廷魔術師の?」


 アミアカルバもさすがに驚いたようにオルハを見た。

 彼女はこくこく、と頷く。

「あのサンゴールの魔術の教本読んでると常に名前が出て来る?」

「だと思います」

「偉人じゃん!」

 オルハは慌ててもう一度頷いた。


「申し訳ありません、ラムセス様とは知らず、わたくし昨夜の残りで作ったスープを出してしまいましたわ」


「……いやオルハ……気にするとこそこじゃないから……」


「いや気にしなくていい。俺は【天界セフィラ】に体が適応してからは、食事はあんま取らずに行ける体になったんだよ。

 今日は食べてみる気になったから食ってみたが、スープは美味かったぞ」


 にこっとラムセスは笑う。


「そういやさっきから聞いてたら、お前はあのメリクの弟子のエドアルトとかいうやつの母親なのか」


「は、はい。オルハ・カティアと申します。アリステアの神官をしておりましたが、アミアカルバ様とはアカデミーで知り合い、従者として長く仕えさせていただきました」

「へー」

「息子のエドアルトは魔術を勉強していますので、貴方様のことを尊敬しておりますわ」


「ああ! あいつは魔術を操る才能はゼロだな!」


「うっ!」

「ゼロとか言うんじゃないわよ。せめてあまり魔術師には向いてないとか剣の方が輝くなとか言ってあげなさいよ」

「いえアミア様……魔術に対する息子のことは分かっておりますので……」



「――ただ、時々メリクと魔術のことについて話してるのを聞くことがあるが、あいつ魔術の知識はなかなかいいものを持ってる。それに好きなんだろうな。魔術のことも。ああいう奴は学ぶのには向いてる」



「えっ」

 ラムセスは無遠慮に片足を椅子に上げて、頬杖をついた。

「本当ですか?」


「ああ。真面目そうな奴だなあ。性格が出てるよ。

 魔術を操るってのは、大部分生まれ持った才だ。

 これはない奴を責めたって仕方がない。

 あいつ魔術師じゃないんだろ?」


「はい。剣士です」


「そうか。剣士なのに魔術をあれほど知識として学ぶってのは感心だ。

 魔術師が魔術を学ぶのは当たり前だが、そうでないものは魔術を学ぶ必要はないと思ってる奴がこの世は大半だけどそうじゃない」


 学生時代、そう言ってまさに魔術の授業をサボってサンゴール王国に遠駆けしていたアミアカルバは閉口した。


「魔術は知識だからな。

 つまり、知識として魔術を知っているだけで意味が大いにあるものだ。

 旅をする者なら、例え自分が魔術を使えなくたって知識を持ってれば味方を導いてやることもできるし、危険を避けてやることも出来る。

 魔術の知識は学ぶだけで意味があるからな。

 魔術を操れない欠点なんぞ、魔術への好奇心が満ちていることに比べれば些細なものさ。 その点あいつは十分合格点だ。あいつは学ぶ才能はある」


「まあ。偉大なるラムセス様にそのように言っていただければ喜びますわ。

 昔からあの子は自分に魔術が使えないことを気にしていたので」


「魔力を行使できないのは可哀想だけどなー。まあけどそれで魔術と関わりたくないと思うどころか、知識だけでも知りたいと思えるのはいいことだ。

 もし魔力が使えてたら、あいつそこそこの魔術師になったかもしれないぞ。

 まあ俺ほどじゃあないけどな!」


「エドってそんなに魔術に興味があるの?」

 アミアカルバが首を傾げる。

「あの子蘇ってから、キースや姉さんによく剣を鍛えてもらってるって聞いたけど」


「私も、人一倍魔術が使えなかったので、一生懸命気にして勉強しているとは思っていましたけど、どちらかというと自分の苦手を克服しようと頑張っている印象でした」


「そうなのか? 目を輝かせてメリクにいつも色々聞いてるぞ。

 魔物にも詳しいし。魔術の知識を知ってると、魔物を上手く御したり制したりも出来る。

 魔術師じゃあないが、あいつは剣士として魔術の知識を無駄に死なせてない所がいい」


「あ、ありがとうございます。その言葉を聞けばどんなに喜ぶでしょう」


「サンゴールには魔術学院が出来たと聞いたが、正直あそこまで質のいい教育をしていたとは驚きだ」

「あら。エドはサンゴールの魔術学院は出てないわよ」

「? そうなのか?」


「はい。息子はアリステア王国で学び育ちました。十四歳の時、剣の修行の為に諸国を旅に出たのです。

 その旅の途中で偶然メリク様に会ったようですわ」


「なんだそうなのか。じゃあメリクの方が魔術学院出身なのか?」


「出身っていうかね……。……つーか何よあんたさっきから……やたらメリクのこと聞いてくるじゃない! メリクのこと聞いて何をするつもりよっ! 何企んでんの⁉」


「別に企んでないぞ。興味あるだけだ。分からん事色々あるからな。

 とりあえず、なんでお前の息子がメリクなんだ?」


「……メリク様はリングレー王国のヴィノという村出身なのです。

【有翼の蛇戦争】終結直後、あのあたりはエルバト王国の残党兵が荒らし回っていて、治安が乱れていました。

 メリク様の故郷も、襲われてしまったのです。

 メリク様はたった一人、偶然にも生き残ったところを、サンゴール王国に帰る途上立ち寄ったアミア様が見つけ、助けてサンゴールに連れ帰ったのです」


 アミアカルバは紅茶を飲んだ。


「……不思議とあの時のことは、鮮烈に記憶に残ってるわね」

「はい……。わたしもです」


「なるほど戦災孤児だったのか。……けどお前サンゴールの王妃なんだろ? 身寄りのない孤児をなんで王宮に連れ帰ったんだ? 普通孤児院だか教会だかに預けるもんだろ」


「いいでしょ別に! 私が見つけて連れ帰ったんだから私が引き取って育てたのよ」

「あの形式ばったサンゴール王宮がよくそんなこと許したな」

「許さなかったわよ。しょっちゅう反対されたわ。でも私は手放さなかったの。

 理由はあんたに言うほどのことじゃあないから言わないけどね。

 夫のグインエルは早世したし、王弟のリュティスは玉座に座れるような状態じゃなかったし、私にはサンゴール王国においては継承権を与えられない娘しかいなかったから、相当反対されたけどね!」


「そんなの当たり前だろ。犬猫じゃあるまいし。お前バカなんじゃないか?」


 呆れたように言ったラムセスに、アミアカルバは額に青筋を立てながら微笑む。


「あら。私の耳がおかしくなければ、今どんな賢者だろうと所詮サンゴールの宮廷魔術師が、サンゴール王国最長在位を叩き出した女王陛下をバカ呼ばわりした気がするけど気のせいかしら?」


「別に俺の女王陛下じゃあないからな。

 それに俺はいかにもサンゴールの宮廷魔術師だったが、最終的にすべての任を辞して国は去った。

 だからサンゴールの権威なんぞ、少しも関係ないね」


「ぐぬぬぬ……なんかむかつくわねこいつの言い方はっ」

「お前が手元で引き取って育てたってそれどれくらいのことを言ってんだ?」

「お前って言うんじゃないわよ。あと指差すな」


「メリク様は……国を出る前まで、王宮にはいらっしゃいました。

 宮廷魔術師になられ……【知恵の塔】に所属されて、立派に任を務められていました」


 アミアカルバが少し口を閉ざした心境を察して、オルハが代わりに話した。

 とはいえオルハ自身、当時はアリステア王国にいたので当時のサンゴールの事情などを全て側で見ていたわけではない。


「ふーん。メリクは宮廷魔術師って感じじゃあないけどなー。

 まあ、それはいいが、んじゃその立派に任を務められていたメリクがなんで国を出て不死者封印の旅なんかしてるんだ?」


「それを言うならあんただってよく喋る赤毛の分際でまだ魔術師の身分が低い時代に、宮廷魔術師として王のそばに侍るほどの任に着いた賢者様のクセに、なんだって国を飛び出したりしたのよ」


 アミアカルバは痛い所を突いたつもりだったが、ラムセスは少しも堪えなかったようだ。



「俺は元々宮廷生活が大嫌いだったんだよ。城へは最後の最後まで出向かなかった。

 城下町も嫌いだったからザイウォンとの国境ギリギリらへんにある森の屋敷で暮らしてた。

 俺が城に住み着いたのは【連立の業火ファナフレム】と【黄金の壁メルドノア】の二つの魔術を生み出すたかだか三年くらいのことだ」


「え? そうなの?」


 アミアカルバさえも知らなかった。


「そうだよ。当たり前だろ。あんな格式ばった小うるさい連中がいるところ、三年いた俺は頑張った方だ」


「けどあんたが宮廷魔術師として行った神儀の記録とかはもっと前に見たことあるわよ」


 魔術師ラムセスはその卓越した魔術師としての技量と知恵により、当時のサンゴール王国では大神殿所属の神官にしか許されていなかった神儀を幾つも行っている。


 主に結界形成の神儀がそれで、本来ならまだ信頼ならざる種であった魔術師に託されるものではなかったが、当時の大神殿を統括する大神官よりも強力な結界をラムセスが張ることが出来たため、例外的に認められたのである。


 その時は例外でも、魔術師ラムセスの魔術が尊ばれたことが、後のサンゴール王国における魔術師の台頭に影響を及ぼしていることは間違いない。


「当時のサンゴール王国は不死者の活発化する周期に在り、国中の古い結界が壊れかけていた。

 実力がないくせに格式ばかり高いサンゴール大神殿の連中が各地で結界を築いていたが、同じようにそこ百年ほど王家に優れた術師が生まれなくなっていたサンゴールの各地の結界は時の劣化に晒されて、形ばかりの神官が張った結界じゃ一向に封じ込められなかった。


 俺は身の回りの土地が不死者に荒らされるのが嫌だったから、結界を張ったんだよ。


 街の者には感謝されたが、そのことがサンゴール王宮の耳に入って、是非城に来いと呼ばれたんだが面倒臭かったのでずっと無視してやった。

 最後の方は半ば強制的に連行されそうになったもんだから、城からの使者に痛い目を合わせてやったこともあった。

 それで困り果てた王が差し向けたんだよ」


「差し向けたって……誰を?」


 ラムセスは食卓に飾られた白い、美しい花を花瓶から一輪取った。



「サンゴール史上、最も美しく、聡明な王妃と言われたあの人をだよ」



 アミアカルバとオルハは驚いた。

「たかが一人の魔術師を城に招くために、王妃がそんな辺境に?」

「そうだ。しかも俺と城の者達の関係は最悪になっていたから、供の者もつけずにたった一人でクロンメルに現われた」


「へぇ~~~っ 私は好きで城を抜け出してたけど、サンゴール王族の出不精って筋金入りだと思ってたのに。それに矜持の高さも」


「あの人は当時の慣例に従って、サンゴール王国七大公爵家から降嫁した王妃じゃない。

 王の強い要望により、辺境の一領主の許から嫁いだ。

 だから下らない格式や慣例には縛られていなかった。

 それにいざとなれば自らが率先して困難の先頭に立つ、抜群の行動力もあったからな。

 お前の言う通り、あの人はたかが一人の魔術師を城に招くためにやって来て、そいつに頭を下げて、助けてくれと頼んだよ」


 当然だが、城の公文書にそんな記録は一つもない。


「なんでそこまでのことをしたのかしら?」


「王が病気で倒れたんだよ。

 結界は崩壊し、各地で不死者が暴れ出してた。

 頼みにしていた大神殿もサンゴール騎士団も無力で、打つ手がなかった。

 国の将来を憂いた心労だったけど、重病でね。

 それであの人はなりふり構わず行動したんだ。

 

 俺が気に入ったのは、城に来てくれと一言も言わなかったことだ。


 あの人は城でも限られた者しか見ることを許されない、国の結界の在り処を書いた地図を持って来て、危機に瀕している場所を俺に教えた。

 そして結界を張り直してほしいとそのことだけを誠実に訴えたんだ。

 俺もお気に入りの薬草の森を王宮の連中には燃やされたりして激怒していたので、最初は奴らの自慢の王妃の髪でも燃やしてチリチリにしてやろうかと思ったんだけどな」


 ぶう、とアミアカルバが吹き出した。


 ラムセスは当時を懐かしむように笑っていたが、


「ま、やめといてやったよ」


 やがて指で持っていた白い花を美しい水差しに挿して手放した。


「へぇ~~~~あんたと当時の王妃に、そんな逸話があったとはねえ……その王妃があんたをよく評価したっていうのは記録に残ってて知ってたけど」


「とんでもない。――おれが、その王妃の人柄を気に入ってやったんだよ」


 ラムセスは微笑んだ。


「……なんか、またリュティスとは違う種類の唯我独尊男が出て来たわね……。

 サンゴールの魔術師ってこんな奴しかいないのかしら?

 なんか腹立つわぁ~~~~~」


「まあそういうことで、俺は王妃に頼み込まれて仕方なく三年くらい城で過ごしただけだ。

 元々城の守りとなる魔術が出来ればとっとと城は去るつもりだった。

 地位については俺がありがたがるだろうと思った連中が、俺を城に繋ぎ止めようと勝手に寄越したものだ。

 例えば俺のような才能を持った魔術師を野放しにして、他国に流れたりしたらマズいからな」


「自分で言うかしらそういうこと」


「蘇ってから俺自身の記録を読んだことがある。

 ある日突然出奔したとか書かれてて、爆笑したよ。

 自分たちの国が賢者ラムセスを繋ぎ止められなかったって、そんなこと書けなかったんだろうな。

 おかげで俺はその後世界中を旅して不老不死の秘術を見つけて生き続けてることになってたり、他の国に仕えて見たこともない姫と結婚し、国の危機を救った英雄になったりしてて、面白い」


 アミアカルバは半眼になった。


 確かにエデン大陸各地に賢者ラムセスのその後とされる伝承が残っている。


 辺境の小国などには、本当にラムセスがやって来て王女と結婚したために魔統となったと公文書に残している場所も、冗談ではなく結構残っているのである。


「全部デタラメなわけね?」

「当たり前だろ。俺はちゃんと王妃には挨拶をして、王妃に見送られながら城から去ったんだ」

 アミアカルバは溜め息をついた。


「……なるほどね……。確かに、それじゃああんたとメリクじゃ、全く状況が違うわ」

「アミア様……。私がお話ししましょうか?」

 友を気遣ってそんな風に言ったオルハに、アミアカルバは笑みを向ける。



「ありがとうオルハ。でもいいのよ。

 私も最近メリクと再会して、娘と再会して、随分吹っ切れた感じなの。

 だって、あの子たちいつも笑って楽しそうに過ごしているんだもん。

 きっとああやって、ずっと旅してたんでしょうね」


 くすくすとオルハは笑った。

「……はい」


 アミアカルバにとって、ミルグレンのその後はやはり気掛かりだったのだ。


 それが共に数奇な運命により再会した娘は、生前と変わらない奔放なところはあるものの、城にいた頃より遥かに人として自立し、仲間(と言ってもメリクに対してだけだが)の身を気遣い、身の回りのことも自分できちっと出来るようになっていたのである。


 ミルグレンはいつ自分が死んだかを、アミアカルバに決して話そうとしない。


 しかし今のミルグレンの姿はアミアカルバの記憶の中の娘と、ほぼ変わらないため、今の姿は死んだ時の姿に近いのだろうと思っている。


 つまり、早世したのだ。


 エドアルトとは北嶺遠征で離ればなれになり、彼は命を賭して【次元の狭間】を閉じた。


 エドアルトはだから、ミルグレンとメリクの最後を知らない。

 ミルグレンもメリクの最後を知らないらしいと、

 エドアルトからオルハが聞いていた。


 だからミルグレンとメリクの『最後』は、本人しか分からないのである。


 

 アミアカルバに分かるのは、彼らが三人で旅をしていた時、ああいう風にいつも明るく笑い合って助け合って過ごしていたのだろうということだった。



(だから私は、メリクには感謝しているのよ)



 ミルグレンは国を出てメリクに再会し、幸せになったのだ。


 幼い頃からの恋心が成就したという結末でないにせよ、それは間違いないのだと思える明るさと強さが、今のミルグレンにはある。


「込み入った話になるけど、いいわけね?」

「いいよ。今日はそれを聞きに来たんだし」


 オルハが立ち上がり、テーブルの片づけを始めた。


「……メリクは城で引き取ったあと、急激な環境の変化にも負けず、素直でいい子に育ってくれたわ。

 それだけじゃない。勉強のできる優秀な子だったの。

 あの子は当時最年少で宮廷魔術師になったわ。十六歳でね。

 あんた、魔術学院のことは聞いてる?」


「当時の最高学府だって聞いたよ。爆笑したけどな」


「そうよ。当時のサンゴールの魔術学院は大陸に名を馳せる名門だった。

 私の『養子格』だから優遇されて入学したんだろうと思う連中は山ほどいたけど、あの子は本当に魔術師として優れてたの。本物よ。

 私にとっては息子同然に育ててきた子だったから、そりゃあ嬉しかったわよ。

 でもそれが、問題だったの。


 うちのミルグレン知ってるでしょ。私のたった一人娘。

 あんたも知ってる通り、サンゴールの継承権は女にはない。

 私は継承したけど、あくまでも早世した王グインエルの遺言があったから、例外的な措置よ。

 私の次は『サンゴールの王統の男子に継承させる』と誓文も作られていたしね。

 だからミルグレンには継承権はないの。

 つまり私が在位の間、再婚してそいつとの間に男子を儲けるか、ミルグレンを結婚させてその婿に継承させるか、もしくはその間に出来た男子に玉座を譲るしかなかった」


 ああ……、とラムセスは分かったようだった。


「あいつメリクの弟子その2だと思ってたが、そういうことだったのか」


「あの子は昔っからメリク一筋なのよ。飽き性でワガママで集中力の無い子だったけど、メリクへの恋心だけは結局揺らがなかったわね」


 綺麗に片づけたテーブルを布巾で丁寧に拭きながら、オルハが穏やかな表情で頷いている。


「あの子は昔っからメリク様大好きー! だったから、余計メリクには注目が集まっちゃったのよね。

 それでいてそのメリクが他の同年代の子爵たちなんぞお話にならないくらい魔術師として優秀だったもんだから、普通は平民出身のメリクが王座に着くなんて正気の沙汰じゃない邪推だけど、現実味帯びちゃったのよ」


 ラムセスは腕を組みつつ首を傾げた。


「メリクに王位継承の可能性が出たのか?」

「あの子が玉座に座って政をしたがる奴に見える?」


「いや全然。」


「まーそういうことよ。私だってね、メリクがミルグレンともっと強く恋愛し合ってて、尚且つ例え自分に合わなくても、ミルグレンの為に玉座に座ってくれることを前向きに考えてくれるようだったら、平民出身だとか言ってる奴らをぶん殴ってでもどこかの有力貴族の養子にして娘婿にしたわよ。私はそれで良かったんだから」


「つまりメリクがあいつとの結婚は考えられないって相当拒否したのか?」


「あんたそんなことあの子の前で言うんじゃないわよ。激怒したあの子に大弓で矢を打ち込まれてケツが痔になるわよ」


 アミアカルバの軽口をラムセスは聞き流した。




『……許してください……リュティスさま……』




 意識の無い、理性を制御できない眠っている状況で、泣いていたその姿を思い出す。



(でもどうだろうな。そんなに好きなら、いっそ王女と結婚して側にいりゃ良かったのに。

 奴が王弟だったら、国のことで相談も出来るし助言も得ることも出来る。

 そりゃ嫌いな奴とは結婚したくない気持ちは分かるが、あの弟子その2のことはそれなりに可愛がってるように見えたが)



「ちょっとあんた聞いてんの?」


 アミアカルバがそこにあったリンゴを掴んでラムセスに向かって投げた。

「ん?」

「ん? じゃないわよ。あんたが聞いたんでしょ。ありがたくもサンゴールの王妃様自ら話してやってんだから聞きなさいよ」


「お前がサンゴールの王妃って……俺のいない間にサンゴール王妃の顔面偏差値随分下がったなあ~~~~」


「てめー! 今なんつった⁉」


 アミアカルバが殴ろうとした拳をひょいっと避け、ラムセスは椅子から立つと、窓辺のソファに寄り掛かる。


「つまり自分がそこにいると、あいつが玉座に着くんじゃないかと色んなやつの警戒心を煽るから城を出て行ったってことか?

 でもそれなら城だけ出ればいいんじゃないか?

 それともメリクが城に出入りしなくなっても警戒されるほど、当時のサンゴールは人材不足だったのか?

 というかメリクってそんなにすごい魔術師なのか?」


「だから最年少で実力で宮廷魔術師になったって言ってたでしょ。すごいわよ」


「そんなに特にすごいと思うような感じしないけどなー」


「あんたみたいなことをメリク相手に言って舐めてかかった奴が文字通りプライドけちょんけちょんにされるの山ほど見たことあるわ。

 言っとくけどメリクが今大したこと無いように見えるのは目が見えないからよ!

 両目が生前通り見えりゃあんたなんか詠唱一つであの子は粉微塵に出来るわ!」


「あっはは! それは絶対に無理だな!」


 ラムセスがけらけらと笑った。

「こいつ腹立つわ~~~!」

「【魔眼まがんの王子】はどうしたんだ。あっちは相当な術師なんだろ」

「あら。リュティスを知ってるの?」

「この前お前らがバラキエルに遭遇した場所を見て来たよ。無茶苦茶にしてたのあの王子だろ。あいつはメリクとなんか関わってんのか?」


「関わってるといえば関わってるけど、関わってないっちゃなんも関わってはいないわ」


「? どういうことだ?」


 ラムセスが首を傾げると、アミアカルバは両肩を竦ませた。


「リュティスとメリクのことは私にはよく分かんないわ。わたし、魔術の授業もからっきしだったし」


 オルハが少しだけ困った顔をして笑いながらも、助け船を出した。


「……事実だけ申し上げますと、……お二人は魔術の師弟です」


(魔術の師弟?)


 その意味を、ラムセスはよく知っている。


「王宮にメリク様が来られたあと、しばらくリュティス殿下が魔術をお教えになっていたことがあります」


「しばらくってどれくらいだ?」


「なんと申しましょうか……その……話した通り、メリク様の身辺はあまり落ち着いていたことがありません。

 城をある一定、離れておられたこともあります。

 それでも精霊契約の儀まではこなされました。そう導かれたのはリュティス殿下です。

 魔術学院に入学されるまで、魔術のことをメリク様に教えられたのは殿下なのです」


 それを聞いてもラムセスの感想は「とてもそうは思えん」の一言だった。

 オルハには伝わったのだろう。


「リュティス殿下も多忙な方でしたから…………普通の魔術の師弟のようには行きませんでしたけれど、時間のある時は、メリク様に指導なさっておられました」


 時間のある時に弟子に教える魔術師など、聞いたことがない。

 ラムセスは理解した。

 名目上はそうなっていたが、正常な師弟関係ではないということだ。


 メリクのあの様子を見る限り、彼の方は師に依存や執着を見せているが【魔眼の王子】の方は、覚醒後もメリクの側にいるところを一度も見かけたことがない。

 

「よく分からんが……あの【魔眼の王子】にメリクはあんたの弟子かって聞いたらなんて答えると思う?」


 アミアカルバは溜め息をついた。


「ま、否定するでしょうね。――けど、メリクは絶対肯定するわよ。

 あの子はリュティスには感謝しか示さないの。

 ……そういう子なのよ。あの子は」


 アミアカルバはそれ以上話す気配がなかったので、ラムセスは続けた。


「サンゴール王国史をちょっと見て来たが、あいつの【魔眼】の凶性は相当なものだったらしいな。

 王位を継げないほどと書いてあったが、

 俺の生きた時代のサンゴールはさっきも言った通り、王族はみんな病弱で魔力も弱かった。【竜紋りゅうもん】は所有していたが、身体に竜の鱗のような痣が現われる、その程度のことだ」


「まー 羨ましいわ」

「あのまま竜の伝承は薄まっていくのかと思ったが、違ったな」


「リュティスの兄、つまり私の夫だけど。グインエルも体が弱かったわ。魔術が使えないほどにね。

 けど、父親のメルドラン王はリュティス同様強い魔力の所有者で、剣も魔術も扱ったわ」


「メルドラン王は【オルフェーヴ大戦】と呼ばれた戦いにサンゴール王国軍を率いて参戦なされた英雄なのです。魔術と剣をお使いになった、それはお強い方ですわ」


 オルハが温かい紅茶を淹れ直しながら、付け足した。


「サンゴールで行われた凱旋式をこっそり見に行ったことがあるわ。

 あの人を実際に見たのはそれが最初で最後になったけど……やっぱ迫力あったわね~」


「でも、姫様はメルドラン王の立派なお姿よりも、凱旋式に同席なさっていた幼いサンゴールの王子の方がお気に召したようですけれど……」


 くすくすとオルハが笑う。

 それがアミアカルバとグインエルの出会いだったのだ。


「だってあいつ、みんながメルドラン王の有難い演説や帰還の神儀をすんごい緊張してぴりぴりしながら聞いてる間爆睡してんだもん。笑っちゃったわ」


「メルドラン王の父親はどうだったんだ?」


「まあ、記録では優れた術師とは書いてあったわ。でもメルドラン王やリュティスほどではないわ。

 あの二人はサンゴール史の中でも、王家の内情が公文書と残されるようになった二百年代以降でも、ずば抜けた魔力を持っていたと分析されてる」


「根拠は?」


「張った結界。宮廷魔術師の本拠地である【知恵の塔】に記録が残っていたから。

 私はよく分かんないけど、結界の規模や、再構築の威力で分析できるらしい」


「ああ……結界ね」


 これにはラムセスは納得したようだ。


「――【エデン天災】は聖キーラン歴1000年の出来事だったな。……サンゴール王国史において最もたる魔力と呼ばれる王族がその時代の近くに生まれたことは、単なる偶然なんだろうか?」


 ラムセスはソファの上で胡坐を掻き、これは独り言として呟いたのだがアミアカルバは興味を引かれたようだった。


「……あんたやっぱ鋭いわね」


「ん?」


「そんなこと、考えたことも無かったわ」


「普通一番に考えることだろ。

 大陸史が始まって1000年に一度の天災と、古い王家の王族の魔力が最も強くなった周期が重なるなんて興味深い。

 尤も、それを確かめるためにはもっと遡って王たちを分析する必要があるが」


 呆れたように答えたラムセスに、アミアカルバは頬杖をつき溜息をついた。


「まあ確かに、後世の人間として振り返って見たからこそ分かることかもしれないけど。

 この時代は、あんたの時代とは違って宮廷魔術師は王の助言者から、明確な王の配下になってた。

 もし、あんたのような奴が王宮にいたら……リュティスも変わってたのかな」


「どういうことだ?」


「要するに、リュティスは平穏でいられたサンゴールの、異端としか見られなかったわけよ。

 彼の場合、両目に攻撃性が現われるっていうのも余計恐怖をもたれることに拍車を掛けちゃったのね。幼い頃から周囲に犠牲を出さないように押し込められ、怯えた人間達に世話をされて来た。

 それに父親のメルドラン王も、同類嫌悪なのか、リュティスを全く愛さなかったらしいわ。

 尤もそれは、彼のたった一人愛した美しい妻が、リュティスの凶性を世界で一番嫌っていたから彼女を気遣って、リュティスを遠ざけたとも言われてるけどね」


 アミアカルバの声には若干、侮蔑の色があった。


「恐ろしい【魔眼の王子】と呼ばれて大人になったリュティスは、玉座を任せられるような精神状態になかった。

 頑張ってたとは思うけどね。あの人は自分の力を暴走させるようなこと、疎んでたし。

 誰かがあんたみたいに、リュティスの力が強く生み出されたのには訳がある……そんな風に理解してやったら、……違ったかもしれないわね」




 魔の宿業を背負った、孤高の王子――。




「ああ、でも……リュティスはそれでも……。

 もしそれが真理ならば、ちゃんと自分の手で真理に辿り着いたわ。

 だって【エデン天災】の時、彼は王宮を離れ自らサンゴール王国軍を率いて国を守る為に戦ってくれた。

 異界の魔物には敵わなくても、本当に、よくやってくれたわよ。

 あの戦いで、遠征先のアルミライユ地方は【エデン天災】最大の激戦地と呼ばれたけど、リュティスは長い間持ち堪えてくれた。

 あのことで大陸中がサンゴール王国を信頼してくれたの。

 サンゴール王国の歴史ある魔統を。

 

 ……リュティスが死んだ後も、

 そのことは私が国を統治することにとても力になってくれた。


 彼はその力で戦って国を守って、

 最後の最後に自国の民からも称賛され、愛されたんだもの。

 きっとそのことに関しては、本望だったと思うわ」



 はい、とオルハが穏やかに頷く。



 ラムセスは最後のアミアカルバの言葉はほとんど聞いていなかった。






(…………そういうことか)




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