【掌編集】たとえカタチが違っても
椎那渉
蕾(桜の木と樹木医)
うちの神社には、何年も花を咲かせたことがない桜の木が一本だけ神社の端に植えられている。祖父のまた祖父の祖父…もっと前から植えられていたらしいその桜は、有名なソメイヨシノや八重桜とは違う品種なのだと言う。山桜の一種、としか残されておらず蔵で見つけた文献も相当古いもので、信憑性はやや薄いけれど。
『なんで花が咲かないのに切らないの?』
『あれはご神木なんだよ。花が咲かずとも、存在していることに意味がある』
子供の頃、何も知らない俺が親父に聞いて返って来た答え。当時はその言葉の理由が理解できなくて、ただ頷くことしか出来なかった。
『存在するだけで価値があるなんて、どうせ詭弁だろ…』
地元の人から親しまれている程度の小さい神社は、社や建物の維持費・必要な物品などを寄贈してくれる氏子の力がないと存続できない。その中には件の桜を何としてでも咲かせようとする人もいて、その人が多額の寄付をするお蔭で切り倒せないだけなのだろうと当時は思っていた。その人の計らいで沢山の樹木医や専門家がやって来たが、結局なぜ花が咲かないのかは分からず仕舞いで帰って行くだけで、後にはぽつんと残された桜の木が寂しそうに見送るだけだった。
なんだか不憫だな、と想いながら俺はその桜の木の幹を撫でてやるくらいのことしかできないでいた。切り倒して健康な枝で接ぎ木してやった方がいいのではと思ったけれど、子供の頃から見て育ったので愛着が湧いていたのだろう。いつしか俺にとって、その桜が満開の花を咲かせることが自分の夢になった。調べるにつれ、かつて一度だけ花を咲かせたことも知る。その時は桜に宿る妖怪だか妖精だかが手を貸したらしいが、眉唾なお伽噺を信じる気は一切起きなかった。
いつの間にか弟が始めた神社のPR動画配信で少しずつ神社とその桜の知名度が上がり、尤もそうな理由をつけてやって来るオカルト好きがたまに神社を訪れるようになった。敷地内での画像・動画の無断撮影は禁止にしているけれど、SNSの投稿までは止めていない。それのお蔭なのか仕業なのか、わざわざ社務所まで撮影の許可を貰いに来る人も居るくらいで、その度に神主である弟は撮影料として五千円の寄付をお願いしていた。それくらい余裕だと快く寄付してくれる人もいれば、「なら良いです」と二度と来なくなった人もいる。後者は話題性のみで動画配信している事で有名な人で、その動画の影響で神社の境内が荒らされたらたまったものではない。兄のアップロードした動画に「咲かない桜なんて切り倒せ」「切り倒した後の祟りがあるかやってみろ」などという辛辣なコメントを残す特定の人もいて、俺は腹立たしさしか抱いていなかった。
「ひとの気も知らないでさ…なぁ、おまえもそう思うだろ?」
子供の頃に手の平を当てていた木の幹に、診察用の聴診器を軽く当てる。木の幹を喰らう虫が食事中なら音がするし、なければほぼ無音に近い。この木は樹齢が高いものの食害もなく健康そのもので、花を咲かせないのは移り変わる環境に対応できなかったから...と言う仮の診断を出すしかなかった。神社の後継ぎを弟に任せ、高校の頃から地元の造園業者や植物園でのアルバイトを続け、農大を出て独学で捥ぎ取った樹木医の免許。ひとえにこの木一本を生かすために長い間やってきたようなものだけれど、微塵も後悔していない。
そんな矢先の春だった。俺が樹木医になって十年が過ぎようとした、ぽかぽかと温かい陽光が差す日に。その桜の木が蕾をつけた。
× × ×
まさか、とその神社の樹木を管理する樹木医、
「そうか、おまえはまだ、咲けるんだな…良かった」
「何が良かったって?」
急にすぐ傍から声を掛けられ、櫻城は持っていた木槌を落としそうになる。声の主を探すとすぐ頭上の太い枝の上からで、そこには見かけたことのない青年が腰掛け両足を交互に揺らしていた。
「こら、木の枝に座るんじゃない!」
「はぁ?おれがおれを好きにしちゃいけないのかよ」
むっとした様子の青年に、櫻城は白髪交じりの髪を掻き上げて自分を必死に落ち着かせる。まさかとは思うが、本当に桜の妖精ないし妖怪が現れたのだろうかと青年をじっと見上げる。四十歳を手前にして、まさかこの日が来るとは思わなかった。
「お、おまえは…」
「霞。…確か、あんたにそう呼ばれてたな」
揺蕩うような乳白色の長い髪を風に躍らせ、霞と名乗った青年が笑う。紅色に彩った爪で膨らみ始めた蕾を突くと、瞬く間に花びらが開いた。
「…こいつら、おれとあんたの子だからな」
「はぁ…⁉」
「せいぜい面倒見てくれよ。旦那」
「もう見てるだろ!」
まったくもう、と溜息をつくと頬に触れる優しい感触に視線を上げる。先程まで視界にあった蕾が徐々に膨らんだのか、弾けるように花を咲かせていた。櫻城の頬に触れていたのは、咲き始めた満開の桜の花だった。
「ははっ…!あいつ、いいセンスしてるじゃねぇか」
自分で気づかないうちに流していた涙をぬぐい、櫻城は霞色に染まる大木をじっと見上げた。彼はすでに見えなくなっていたが、なんとなくこの花びらたちと共に笑っているような気がした。
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【掌編集】たとえカタチが違っても 椎那渉 @shiina_wataru
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