第21話 静御前
静御前
「……寒うございますね」
そう言うと、冬の都の風が、白い小袖の裾をすくった。
裸足の足裏に、石畳の冷たさが沁みる。
「黙れ」
そう言ったのは、誰だったか。
家臣か、見物人か、それとも――運命か。
「……黙れ、ですか」
私は、ふっと息を吐いた。
「舞え、と言われれば舞い、
黙れ、と言われれば黙る」
唇に、かすかな笑みが浮かぶ。
「……都は、忙しいですね」
あの人が、いた頃。
「静」
義経さまは、私の名を、いつも少しだけ急いで呼んだ。
「……何でしょう」
「無事でいろ」
その言葉に、胸がざわついた。
「……それは、命令ですか」
義経さまは、困ったように笑う。
「……願いだ」
その声が、今も耳に残っている。
「……行かないで」
そう言ったのは、私だった。
「……一緒に、逃げられませんか」
義経さまは、首を振った。
「静」
「……はい」
「お前は、舞え」
その一言に、すべてが詰まっていた。
「……私は」
喉が、ひくりと鳴る。
「……あなたのために、舞ってきました」
「だからだ」
義経さまは、目を伏せる。
「お前は、生きろ」
その言葉が、刃のように、胸に残った。
都。
「……舞え」
そう言われた時、私は、足の震えを止められなかった。
「……ここで?」
太鼓の音が、腹に響く。
「……源義経を慕う舞を、見せよ」
空気が、凍る。
「……ああ」
私は、目を閉じた。
「……分かりました」
舞う。
足裏に伝わる、板の冷たさ。
袖が、空気を切る。
鈴の音が、かすかに鳴る。
「……しず……」
誰かが、囁いた。
「……しず」
私は、歌う。
「
しづやしづ
しづの苧環
繰り返し
」
声が、震えそうになる。
「……源義経を、恋い慕う」
ざわめき。
「……やめよ!」
誰かが叫ぶ。
「……なぜ?」
私は、舞いながら問い返す。
「……舞とは、心を隠すものでは、ありません」
「……女が、言葉を持つな」
誰かが吐き捨てる。
「……では」
私は、微笑んだ。
「……なぜ、舞わせるのですか」
言葉が、空を裂いた。
舞い終える。
息が、白い。
「……怖くなかったか」
問われる。
「……怖かったです」
正直に答えた。
「……でも」
胸に手を当てる。
「……怖くても、舞いました」
捕えられ、流される。
「……義経さま」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「……私は、舞いました」
海の匂い。
潮の湿り気が、髪に残る。
「……あなたが、生きろと言ったから」
腹の奥が、きゅっと痛む。
「……この命も……」
そっと、撫でる。
「……一人のものでは、ありません」
最後に。
「……静御前とは」
誰かが言う。
「……義経の女」
私は、首を振る。
「……いいえ」
静かに、言う。
「……私は、舞った者です」
「……声を持って、舞いました」
後に、人は言った。
――悲恋の舞姫。
――哀れな女。
けれど、その時、
静は、泣き伏してはいなかった。
寒さの中で、
恐れの中で、
それでも――
自分の声を、舞に乗せていた。
静御前。
それが、
誰かの影にならなかった女の名。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます