子供部屋、カーテンの先の未知

羽柴56

カーテン越しの境界線

 俺の名前は雛川 修(ひなかわ おさむ)。中学二年。成績は良くも悪くもない。帰宅部だ。

 晩飯の席のこと、親父の「再婚する」という突然の言葉。

 俺は箸を止めることもなく「あっそ」と味噌汁を啜(すす)り聞き流す。

 うん。最近の出し入り味噌は手間が掛からず美味い。良い時代だ。

 以前から父にいい人がいるのはなんとなく察している。

 後はお互いの紹介とか、そんな顔合わせのワンクッションの後に一緒に住む。当然そうなるだろうと思っていた。

 この時はまだ数カ月は先の話だろう。そう、たかを括(くく)っていたのだ。


「来週から一緒に住むから、この家に家族が二人増えるぞ!」


「は?」


 しかしこの父親は俺の予想を盛大に裏切り、とんでもない事を言い出す。


 再婚なんかは好きにすればいい。

 俺ももう中二だ。新しい母親との距離感は開けるだけだ。

 しかし、多少の心の準備というものは必要だ。


 更にその上で、もう一人、連れ子がいるというのだ。


「どこの部屋に住むんだよ?」


 我が家は賃貸マンション。

 3DKの間取り。一つは父、もう一つは共用部の倉庫、そして最後の一つが子供部屋だ。


 共用部の片付けがめんどくせーなぁ、とか考えていたら、そこは変わらず倉庫にするつもりらしい。


「いやいやいや! じゃあどうすんだよ?」


「子供部屋でいいだろ。広いし余裕だろ?」


「はぁ? やだよ」


 親父は子供のプライバシーなど、存在しないと思っているようだ。

 これは話し合わねばなるまい。


 しかし、クソ親父は結局一度も取り合うことはなかった。

「半年後には大学で出て行くそうだから」

 この一点張りだ。

 会話する気のない父に憤り、結局新しい母親が来る日の朝まで喧嘩をしていた。


 次の週の土曜日。当日。

 新しい「家族」――母親の恵さんと、その娘の雪音さんは引っ越し業者と共に現れた。

 連れ子がいるとは聞いたが、女とは聞いてない。

 ここまで説明なしで進めてきた親父に、怒りは最高潮に達していた。

 しかし、怒りに呑まれかけていた心は、彼女の美しさに引き戻された。


 初顔合わせの後、すぐに親父と恵さんは二人で買い物に出かけていった。

 雪音さんと俺を残し、鼻歌混じりに車のキーを取り出す姿に拳が震える。

 俺は無言で睨みつけるが、気にした様子はない。

「あとよろしく!」

 と言う我が父親の一言に、震えは止まり、脱力感だけが残った。


 怒りに燃える俺とは違い、雪音さんは俺の部屋に荷物を置いて、片付けを始める。

 俺は彼女が悪いわけでもないのにイラつきを抑えられず、スマホを片手にベッドに寝転んだ。

 黙々と、私物を広げる雪音さん。

 1時間ほどが経ち、片付けが終わる。

 雪音さんの私物は、畳一畳分ほどのスペースに収まった。

 そして床に寝転んだ雪音さんは、口を開いた。


「かぁさん酷いでしょ? 君のお父さんも酷い? いや、酷いかぁ! あはは」


「笑うとこ?」


「笑うしかないんじゃない?」


「そう……なんだろうね。別に干渉してこないのは良いんだけどさ」


「興味がないのは違うって?」


「んっ!?」


 図星だ。構ってほしいわけじゃない。ただ興味を持ってほしいのだ、自分のことを。

 子供じみた葛藤を指摘され、俺は顔を赤くした。


「うっぜぇ」

 

 俺は消え入りそうな声でそう呟くと、壁を正面に向け、ソシャゲを起動した。


 クスクスと笑う雪音さん。


「私もその気持ち解るよ。同じだったから。でも大学のお金は出してくれる、一人暮らしもさせてくれるってなったら、どうでもよくなっちゃった」


「俺はまだ高校もある」


「頑張りな〜、少年。私も耐えたんだし」


「はぁ……めんどくせ」


 俺のその言葉に、またクスクスと彼女は笑った。


 この日から、俺はこのお姉ちゃんと同じ部屋で暮らす。


 親父たちが帰り、仕切りのカーテンが取り付けられる。

 あの親父が多少は考慮したことに吃驚(びっくり)した。


 流石になにも手伝わないと親父がキレそうなので、渋々荷物整理を手伝う。

 そんな作業中、恵さんが話しかけてきた。


「修くん? すぐにお母さんと呼ばなくても良いからね? 少しずつ家族になりましょう?」


「ええ、あぁ、はい」


「よろしくね」


 気のない返事をすると、すぐに父の隣へ戻っていちゃつき始める。

 おしどり夫婦というのだろうか。

「親のそういうのを見るのはきつい」と友人が言っていたが、これは確かにきつい。……きついな。


 助けを求めるように雪音さんを見ると、黙々と作業を続けていた。


(あぁ……見なきゃいいんだ)


 俺は妙な納得感を得て、作業に没頭した。

 夜の20時頃、やっと一段落がつく。

 汚れた身体を順番に洗い流しながら、出前の寿司が来るのを待った。


 女性陣が先、親父、最後に俺。

 まだ出前は来ない。

 雪音さんと二人、子供部屋で待った。


 湯上がりの雪音さんの姿はカーテン越しのシルエットしか解らない。

 しかし、新しく増えたシャンプーの香りと、朧げな影で想像を掻き立てられる。

 股間がむず痒くなるのを感じる。


 中学生男子には、異性とカーテン一枚の先で暮らすなど拷問でしかなかった。

 俺は逃げるように、スマホに目線を落とす。


 ブラウザアプリを開いて閉じる。開いて閉じる。開いて閉じる。

 ソシャゲを開いて、ホームとステージを行ったり来たり、行ったり来たり。

 また別のゲームを開く。閉じる。開く。閉じる。

 俺は布団を頭まで被り、自分の鼻息の音に包まれ、落ち着こうと必死だった。


 そんな中、「ピンポーン」とインターホンの音が鳴る。

 俺は「はっ!」と目を見開いた。

 慌てて廊下へ出る。

 不埒な考えを向けたことが後ろめたくて、俺はその場を逃げ出したのだ。

 息も絶え絶えの俺の姿に、親たちは目を見開いた。


「どうした? 修?」


「いや、腹減ってさ……。はは」


「中学生だもの! いっぱい食べないとね?」


 そう言ってその場はごまかした。


 届いた寿司は美味かった。


 ある程度食べ終わると、「私、勉強あるから」と雪音さんはさっさと部屋に戻った。

 俺は後について行かなかったのを後悔した。

 いちゃつき始めただけなら良かった。

 あろうことか、そのまま今後の生活のルールを決め始めたのだ。


 ルールなんか、勝手に決めてくれ。

 どうせ俺の意見なんか通るはずがない。

 逃げようとする俺を捕まえて、親父は「一緒に暮らすんだ。お互いの尊重が必要だろう?」とのたまった。

 どの口が言うのかと喧嘩腰に返しそうになるが、まだ初日だ。我慢する。我慢してる。まだ。


 やはり、尊重はされた。

 恵さんの意見は。

 共働きの中、子供たちにほとんどの家事が割り振られていく。


 俺が「雪音さんは良いのか?」と言うと、「あとでお前たちで決めていい」と、ありがたい「子供を尊重した」お言葉を頂いた。


 机の下の右手で、中指を突き立てた。


 不快な時間が終わり、歯磨きをしに洗面所に行くと雪音さんと鉢合わせる。

 どうやら同じく、歯磨きをするつもりだったようだ。


「逃げてごめんね?」


 なんのことかと一瞬思ったが、恐らく先ほどの役割分担と名ばかりの家事の押し付けのことだ。

 どうやら雪音さんは、先のいらいらする時間を予想してさっさと離れたらしい。


「まぁ良いよ……」


 俺は少し拗ねたが、悪いのは彼女ではない。

 彼女は俺より少し背が高い。

 俺のその言葉の後に、急に顔が近づいてくる。

 そして気づけば、頬と頬が交錯して、俺は抱きしめられた。

 男とは違う甘い匂いに、頭がくらくらとする。

 初めて嗅ぐ「女性」の強烈な匂いに、俺の意識は遠くなっていく。しかし次の瞬間――。


「すねないでよ」


 そう耳元で囁くと、彼女はぱっと離れた。


「ふふっ、お先に歯磨きどーぞ!」


 そう言って部屋に戻る雪音さん。

 俺はその後ろ姿を見送り、暫く動けずにいた。

 歯磨きの最中も上の空で、歯磨き粉がパジャマに掛かった。


 夢見心地の頭は、そのまま部屋に戻っても元に戻らず。

 深夜、雪音さんがカリカリと勉強をする音が響く中、眠りにつくまでの記憶がなかった。


 鮮烈な姉という「未知」との出会い。

 その出会いが、俺の日常を少しずつ変えた。



――

短編三話構成です。

何卒よろしくお願いします

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