サムライよ、ダイヤモンドヘッドを見よ ①
あらためてこんばんは。
夏乃といいます。
今、病室の車椅子の上でこの文章を書いています。
ミステリのジャンルに Armchair Detective、すなわち「車椅子探偵」あるいは「安楽椅子探偵」というものがあります。
ハードボイルドな探偵がタフネスと肉体を武器に事件を解決するのと違い、彼ら安楽椅子探偵はその頭脳と純粋な推理力で、部屋にいながら事件を解決します。
まあ今の時代だと、ネットなどでどうにかなってしまうような気もしますが。
とにかく彼らは、それぞれ難病であったり凶悪事件に巻き込まれた結果だったりで、椅子から立ち上がることができません。
代わりに研ぎ澄まされた頭脳を駆使するのです。
私は残念なことに、研ぎ澄ますほどの頭脳のない凡人です。
前項でも書いた通り、猛スピードの車に撥ね飛ばされ、ぶつかった衝撃で骨が三本へし折れ、体は華麗に宙を舞いました。
しかし今流行りの異世界に行くこともできず(いや、行きたくもないのですが)、しばらく病室のベッドあるいは車椅子生活と相成りました。
動けなくなると、動けていた頃の記憶が眩しく蘇るもので、いくつかの旅の記憶を回想してみようと思ったわけです。
国内はあちこち、海外は少し。仕事でもプライベートでも回りました。
無垢で無力な幼児の頃に住んでいた街。
恋と仕事と家庭、すべてが辛くなって一人で彷徨った北の荒野と無人の島。
怪我からくるメランコリックで始めた故に、「孤愁」などという副題を付けた物語ですから、孤独感満載のこの辺りから書こうと思っていたのです。
しかし、どうにも脳が「体が痛いんだから、あまり鬱々した気分になるような記憶は後回しにしないか」と拒否します。
なので、誰もが知っている観光地のお話にします。
Armchair Detective だったら、くるりと振り向き、少し勿体つけて口を開くところですね。
もちろん私はただの怪我人ですので、面白い話はできませんし、難事件の解決もできないのですが。
では、本編スタートです。
場所は――ハワイ、オアフ島。
時は平成。
伝説のバブル景気は遥か昔に過ぎ去ってしまったが、まだまだ円高。国内旅行より海外旅行の方が安く済むと言われていた時代。
他の海外リゾートに比べたら決して安くはなかったのだが、それでもまだワイキキ・ストリートに高級ブランド品を買いに行く日本人客は多かった。
さすがにワイキキ・ビーチやダイヤモンドヘッドに死ぬほど憧れる日本人はもういなかったが、それでも観光地としては一級だった。
みなとみらいのほど近くに、当時の私が勤めるオフィスはあった。
ロケーションは最高にお洒落だが、お台場や東京の湾岸地域ほど気取ってはいない。
今はもうないが、熱帯魚なども扱っているホームセンターもあった。
そこに、まるでコミックの中にしか存在しないような「生き物大好きだからやってます」的な JK バイトの子がいた。
たまに気まぐれでコリドラスやらネオンテトラを買いに行くと、「かわいいですよね、この子」などと目を輝かせる。
どこのジュブナイルから出てきた子なのかと、こちらが目を丸くしてしまいそうになる。
みんな、パンを咥えて走る女の子や、家に食事作りに来る後輩JKは架空の存在だと思っているかもしれないが、この頃までは実在した。
なぜ絶滅してしまったのだろう。
まあ、それはともかく。
そんなやりとりを客としてしている余裕があっても、一等地で商売が成立していた時代。
平和な時代の平和な場所。
そこ自体が今の私にとっては十分にサウダーデを感じる場所なのだけれど、まあそれはまたいつか話そう。
今はすべてがなくなってしまったが、そんな場所だった。
営業会社ならではのドロドロや危機一髪などは日常的に当然あった。
しかしそれでもまあ、充実した日々だった。
早めに家を出て、サンドイッチを齧りながら少しオフィスの周辺を歩く。
そしてしっかりと戦闘態勢を整えてから出社する日々。まだまだ若かった。
ロケーションが良いというのは営業にも有利ということ。私のいたオフィスも全国的に見てもそれなりの数字を上げていた。
そして現在のように 24 時間サービスが当たり前という時代でもなかったので、大型連休などは大体そのまま皆休んでいた。
営業マンは私を含め 30 人程度。
全国トップレベルこそいなかったが、皆そこそこの数字を挙げており、それなりに平和にやっていた。
その年は、全国表彰者が 3 人も出たというので、ご満悦の所長が用意してくれたのが、大型連休中のバカ高い料金で行くハワイ旅行だった。
「用意」であって「ご招待」ではなく、まあ多少の補助はしてくれたものの、費用はこちら持ち。
今の Z 世代であれば「はい結構です、却下」と言えるのだろうが、当時の営業マンは断れない。
声をかけられた三人は、栄光ある海外研修旅行への抜擢者となった。
元々の各自の予定はすべてキャンセルさせられ、ハワイ航路についたのだった。
哀れな表彰者三名。
トップの、常におっとりしたイケメンで新婚の「先輩」。
同僚で、無知無学だが非常に頭の回転が早く人懐こい二位の「チャラ」。
それから運悪く、その年度の三位に入ってしまった私、「夏」の三人だった。
その他に所長と奥さん、小学高学年の所長の娘さん姉妹の四人が同行した。皆ハワイは初めてだった。
初めての地というのはそれなりにワクワクするもので、経緯はどうあれ私たちは、初日にホテルに着いたら何をするかをあれこれ話したものだった。
空港に到着。ツアーバスに乗る。
時差ボケがひどい。
やけに乾いたフルーツバスケットをコンダクターが配り、これが朝食だと言う。
まあいい、ホテルに着けばもっと何かあるだろう。
そんなふうに考えていたが、バスはホテルに直行しなかった。
「降りろ降りろ」
ハイテンションの所長が全員をバスから降ろす。横で夫人が二人の娘を手招きする。
それぞれバレエとクラシックピアノを嗜んでいるというお嬢さん二人。モスラの映画の双子みたいに、目をキラキラさせながら手を繋いで見上げている。
「ハワイに着いたらまずこれを見るのがしきたりなんだぞ、お前ら」
所長に言われ、営業組三人は眠い目で見上げて溜息をつく。
「この木なんの木、の日立の木だっ」
目の前には、コマーシャルで何度も見たあの木がそこにあり、所長一家はすごいすごいと飛び跳ねている。
「それってすごいの?」
「いや、まあコマーシャルの通りだけど」
「うーん、なんかこう、海外来た感じしないよな」
不思議な木よりも食事か睡眠が欲しかった。
しかしそれでも、じわじわと普段の日常とは少し違う感覚は込み上げてくる。
「まあこういうの、悪くないよね」
誰かが言った。私ではなかったと思う。
その時の自分と今の自分は境遇も人間関係も全て変わりすぎていて、記憶の中の自分ももはや他人のような存在に思えてしまう。
あの時、皆に混じって少し苦笑いしながら、木をぽかんと見つめていた自分。
確かに存在していたはずなのに、まるで他人の記憶のようだ。
バスはホテルへ。
我々は少しの休憩後、ワイキキへ行く。
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