下暗し青春

@yakinasu02

第1話 後ろ髪

 私の高校生時代を思いかえすとよくもまぁあれだけ不幸になれたものだと感心する。あの頃の私といえば、父に「鏡を見てこい人でも殺したのか」と言われるほどに陰鬱とした顔をしていた。休み時間と言えば本を読むか、寝るか、あるいは寝たふりをするかで、いいかげん枕にしている腕が疲れたときなどはできるだけ誰にも会わないように校内を徘徊していた。


 一見すると何とも悲惨な高校生時代に見える。事実あの頃は私は鬱に悩み、体調を害し、泣きながら下校していた。しかし振り返ってみると私ほど奇妙な高校生活を過ごした人間も稀であったと思う。ほんの少し何かが違えば、誰もが羨むような青春がそこにはあった。私はただ気が付かなかった―。




 私の人生のハイライトは中学生時代であった。中学校から始めた剣道では初心者ながらめきめきと実力を伸ばし、団体戦ながら全国大会に出場した。このことは今なお私の誇りである。毎日の登下校は同じ剣道部の男女仲良し5人組で共にし―我々をいたく気に入った交通整理のじいちゃんがことあるごとに学校に連絡を入れて褒めるものだから、職員室でもちょっとした有名人だった。小学校の時に入っていた野球のクラブチームのおかげで、一緒になる隣の小学校にも既に友達がいた。そのおかげで交友関係にも困らず順風満帆な中学生時代を過ごしていた。そう、順風満帆すぎたのだ。私の高校時代における最初の失敗は、あまりに輝かしすぎたの中学生時代の栄光に後ろ髪をひかれていたことであった。


 私がもし高校の入学式を控えた若人に向けて一言アドバイスをするならば、とりあえず最初のクラスミーティングで本を読むことは辞めた方がよい。この時の私には油断があった。中学生時代の幸せからくる圧倒的な自信。かつての友人達に対する信頼。とにもかくにも、この私が友達作りに失敗するとは露に一つも思っていなかった。仮にそうなったとして―学校が離ればなれになろうとも、親友同士の友情は不変であり”そこ”さえ揺るがなければ問題はないと信じていた。


 古より「油断大敵」という言葉があるが、この時の油断が私の3年間に暗い影を落とすことになった。私は後に、これを激しく悔やむことになる。この時私がするべきであったことは、とにもかくにも前後左右の人間に話しかけることであった。先生にうるさいと怒られてもいいし、むしろ怒られた方がよかっただろう。


 話は少し移るが、この誰もが緊張する最初の自己紹介で神がごとくふるまいを見せた女史がいた。席をぐるぐる移りながら自己紹介するというものがあったのだが、その時彼女は自分のリュックサックにあるマークを指さし


「これ何のマークかわかる?」


と聞いてきた。それは他でもない、かつて松井秀喜も所属したNYヤンキースのロゴであった。


「知ってるよ。ヤンキースでしょ。」


と答えると


「私、野球好きなんよ。知ってるってことは野球好きなん?」


と尋ねてきた。「そうだ」と答えた私に対して


「じゃあ、私どこファンでしょう?」


と返してきたその時には、彼女のその緻密に練り上げられた戦術に感嘆せざるを得なかった。自分の趣味を会話のきっかけとして開示しつつ相手に探りを入れ、自分への質問に誘導することによって会話のキャッチボールを成立させた。まさに完璧という他になかった。


 かの女史は別格とはいえ、良い第一印象を獲得するに向けて皆各々に武器を用意してくる中私は全くの丸腰であった。すでに過ぎた時への余韻に浸り―次の舞台への準備を怠っていた私は、初日にして大きく出遅れることとなる。




 私の高校生時代においてまず話すべきことは剣道部でのことだろう。それなくしては話が前に進まないほどに剣道は私の高校時代のすべてであった。そして、そのことこそが最大の問題であった。私が進学先にこの学校を選んだ理由は二つあり、その一つが「進学校の中では剣道部が強い」ということである。稽古の質は受験前の学校見学で拝見しており、また中学時代の剣道部の同僚からも悪い情報は聞かなかった。


 この時の私の目標は「中学生時代の剣道部の同僚に勝つ」というその一点のみであり、それ以外のことは何一つ頭になかった。かつての同僚たちは良き友人であったし、目標であったし、そして何より私の師匠達であった。初心者ながらに県で一番強い連中を捕まえて「初心者扱いするな!俺はお前たちに勝ちたいんだ!」と喚く姿は滑稽であり身の程知らずにも程があったが、そんな私に彼らは稽古をつけてくれた。


 余談であるが、少し中学校の時のことを語ろうと思う。剣道部の同僚である彼らは小学生の時から地元の道場に通ういわゆる”経験者”で、私と違い部活での稽古の後にさらに道場での激しい稽古があった。


 部活で顧問に「県内の”学校”で一番厳しい稽古」を受け、その後には「県内の”道場”で一番厳しい稽古」が容赦なく襲い掛かる。故に彼らとしてはできるだけ部活の稽古はサボりたい。顧問も毎日は部活に来ないものだから、そんな時にはゆるゆるとした雰囲気の稽古になるのは至極当然のことであろう。


 しかしながら、道場に行っていない私は彼らに対して「もっと本気でやってくれ」「真面目にやろう」と懇願していた。思い返すとなんて無邪気でひどいお願いをしていたことだろう。なんとしても稽古をしたい私と、何としても部活でくらい稽古をサボりたい彼らとの間での交渉は幾度となく重ねられた。


  その折衷案として採用されたのが「負け残り戦」であった。ルールは単純で一本取ったら勝ち、取られたら負け。そして取られた方は相手を変えてもう一戦、勝った方は休憩である。5、6人くらいこれをでやった。これはなかなか良いシステムであった。彼らは、私のことを早々に倒して休んでしまいたいと思っている。何より初心者の私に負けるなんてことは彼らのプライドが許さない。私はボコボコにされ続け、連戦に次ぐ連戦を引き受けけることになった。私からすれば、絶対に負けるわけにいかないと思っている強者―そんな相手と真っ向から戦える最高の環境であった。


 相手は県内トップクラスの相手であるから最初は全く歯が立たない。しかしこれがだんだん勝てるようになってくる。まるで相手にならなかったところから一日に一回勝てるようになり、4周に一回勝てるようになり、2周に一回は勝てるようになっていった。こうして私は強くなった。




 このことから学んでしまったことがある。「”本気で”努力すればできる」という成功体験と、目標に向かって真っすぐに努力する」その瞬間のえも言われぬ高揚感である。それは時として非常に美しく眩いほどに正しい一方で、愚かな幻想でもあり残酷なほどに誤りもであった。

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2025年12月20日 12:00

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