短編置き場(仮)

#toma_rin/とまり

FF02_La Roue de Fortune

1.


「おやっさあん、いる?」


 声を張り上げながら、表の開けっ放しのシャッターから、ずかずかと金髪が入ってくる。日本では珍しく、地毛らしい。

 外の陽光はまだ夏で、むせるような湿気が、きつい。


「お前、学校帰りにしょっちゅう来るのやめろよ」


 おれは潜り込んでいたクルマから出ると、いつもの文句を言う。


「だって、売っ払われてないか心配だし、アタシのクルマ」


 そうやっておれの城──整備工場に入ってきたのは、カバンを背中に吊った、スカートも短い、若い女だった。高校生。場違いな瑞々しさだった。


「お前のクルマじゃねえよ」


「でも、ぴったりだって言ったじゃん」


 わざとらしくふくれる彼女に、呆れる。


「売れなくて余ってるし、お前がオートマしか乗りたくないって言ったから、免許取ってきたら考えるっつったんだ」


「じゃ、アタシんじゃん」


「頭おかしいのか?」


 夏も終わりかけだが、まだ少し暑い。


「というか、若くてクルマにキョーミあるんだったら、FRでもFFでもいいから、マニュアル車に乗れよ。Hパターンのやつでも、なんでも……」


「まー、そーなのかもしれないけど」


 彼女は、お目当てのクルマの前でしゃがむと、そいつのバンパーをこづいた。

 

「将来は、船で飛びたいんだ。だから、なるたけ、コンピュータと会話ができるマシンに乗りたい」


「……じゃ、ネットで中古の86でも拾ってこいよ。ここは板金とか、クルマのオタクのために改造したりとか、そういうのをする店なの」


「そうじゃなくて」


 彼女は制して、笑った。


「これがいいの」


 彼女のそばには、古い2ドアクーペが佇んでいた。白い塗装で、角張った、時代遅れのハイソカー。

 おれは、このクルマが、嫌いだった。



 

某県最速伝説! みそら区の白い鷹!

FF02_La Roue de Fortune

 


 

「誰なんです? あのスゲーかわいいJK」


 やつが帰ってから、ひそひそと耳打ちされる。最近入った若い整備士だ。


「近所のガキだよ。クルマ探してるっていうから……」


「へー、次はおれが相手しますよ」


「やめとけやめとけ。金持ちエリアから来てるんだ。お前じゃ釣り合わねえよ」


「ええ、ケチ」


 五十路の身で子ども相手にどうこうというわけではないが、なんとなく面白くはなかった。それに彼女は、そんなタマではないとわかっていた。

 

 そのガキに最初に会ったのは、夏前のことだった。

 はっきり言って、恥ずかしいくらいに、呆然と見惚れた。ふらっと現れて、ガレージにあったシビックのフェンダーのラインを指で追う彼女は、外から差し込む光できらきらと輝いて、今にも消えそうな希薄さがあった。場違いなほどの滑らかさに息を呑んでしまい、うっかり、追っ払うのを忘れて、向こうに先に気づかれてしまった。彼女はすぐに、にやりと笑ってこう言った。


「おじさん、クルマ売ってよ」


 それが、その女との最初の会話だった。いかにも悪ガキ風の笑みで、さっきの光景が幻覚だと思うほど、軽薄な声だった。




 2.


「そういえば、クルマ欲しいって言っても、なにが欲しいんだよ」


 最初の邂逅以来、その女は──子どもは、うちに入り浸るようになった。いま、17歳の高校生で、18になった途端に運転免許を取りたいというのだ。最初にうっかりいろいろ教えたせいか、しょっちゅう来るようになってしまったのだ。


「デートに使えるやつ。あと、速いやつ」


「彼氏はクルマ持ってないの?」


「アタシの彼女を乗せんの」


「ああ……今風イマフウだね」


 塗装見本の分厚い冊子を眺めながら、適当に答える。シーズン中なので、山で刺さった車両の再塗装依頼をいくつか抱えていた。


「クルマに興味あんなら、まずはMTの後輪駆動にしなよ。トヨタの86とかなら内装もそこそこカッコいいし、オンナ乗せるにはいいんじゃないの。──乗るのもね」


「えー、めんどくさい。オートマないの。渋滞とかだるいんでしょ。AT限定で取りたいし」


「うちじゃオートマは扱ってないの。そもそもうちは販売専業でもないし……あ、でも」


 口に出して、しまった、と思った。


「でも?」


「いや、一台あるんだけども……」


 おれは、うっかり口に出したことを後悔した。あれはどうも、触れたくない。


「見せてよ。ま、嫌じゃなきゃ、だけど」


 少し悩んで、おれは席を立った。別に、何がなんでも見せたくないものでもない。

 それは、ガレージの隅にぽつんと置いてあった。


「10年くらい前に、日産が調子に乗って出した古いスカイラインの再生品だよ。わざわざボディまで新造して売ったはいいけど、ドライブトレーンの設定がしょうもないEVとハイブリッドしかなくて叩かれまくったんだよな。ダイモス工場のおかげで追浜を閉めずに済んだのに、何やってんだか……」


 いかにも、こてこてな80年代のクルマだった。角ばったボディに少しせり出したバンパー。色気のないヘッドライト。尻には、後継機の純正ウイングを移植していた。はしゃぎすぎだ、恥ずかしい。いますぐ毟り取りたい。


「ATなの?」


「AT。腐ってもスカイラインだから、中古車市場に放出された在庫品を、古いエンジンとか、新しいエンジンにスワップして遊ぶのがちょっと流行って、そういう改造キットが結構売れたんだよ。で、一応ATの設定もあって、面白い構成だったから試しに組んでみたんだけど、売れるのはMTばっかりで、残ってんの。ま、こんなもん買うくらいなら……」


「これ、欲しい」


「え?」


 思わず聞き返すおれに、彼女はきっぱりと言った。


「レトロでかわいいし。これ、予約するよ」

 



3.


「あ、ケイトちゃん。いらっしゃい」


 今日も来た。どたばたと、若いのが金髪に駆け寄る。会話の内容はよく聞こえないが、手玉に取られているのはわかった。あの女は、見た目の若さに反して、とても恐ろしいものを感じる。長く生きていれば、人を絡めとるために生まれてきたような三十路、四十路の毒婦は嫌でも目にするが、それと同じかそれ以上の悪意を、わずか十代そこらの、やつ──ケイトに感じることがある。男の欲求を知り尽くした、経験豊富な手練れの悪意だ。勘違いではないような気がする。

 住んでいるのが星ケ丘のほう(再開発で高級マンションが立ち並ぶ、いけすかないエリアだ)だと言ったので、外国人社長か何かのお嬢様かと思ったが、どうもそういうのとも毛色が違う。素性が知れないのは気味が悪くはあったが、それでも、(矛盾するようだが)悪い奴ではない感覚がなんとなくしていて、気にするのはやめていた。

 

「R31なんて、もう40年前のクルマだぜ。古いのがいいんなら、そっちのほうがましだよ」


「なにこれ?」


「インプレッサ。四駆で、スゲー速い。それは1995年のやつ」


 おれは、作業を邪魔されたくなくて、レンチで赤い車を指した。WRバンパー付きのGC8だ。ほとんど改造されていないし、きれいに乗っていたので、良い値がつくだろう。常連の客が置いていったのだ。インプレッサなら、あんたに、と。光栄なことだった。


「へー、なんかオタクっぽい形、および、色」


「なんだよそれ……昔乗ってたやつと同じだから、なんというか、思い入れがあるんだよな。いいクルマだぜ」


「いくら?」


「当時物のバニラだからな。ワンオーナーで、屋内保管だし……相場で1000万とか? もっと行くかも」


「げ、95年のクルマで? アタシ生まれてないよ」


「そーいうもんなの。海外だともっと高く売れるしな……というか、親のクルマよか安いんじゃねえの」


「ああ、まあ、うちクルマないんだよね」


 これは意外だった。電車は増えたが、このあたりはなんだかんだ車社会だし、再開発でみそら区に移り住んでくるような小金持ちは、みんな国道沿いのアウディやポルシェのディーラーで、ハイパワーセダンやよくわからないSUVを欲しがるものだと思っていた。

 

「なんというか、だから、憧れるんだよな。自分のアシってやつ? 自分で操縦できる、自分だけの……」


「なるほど。17歳って感じだ」


「そうなのかも」


 彼女は、屈託なく笑った。

 



4.


 悪夢を見た。

 ステアリングが重い。言うことを聞かない。ヨーの発生が足りず、ずるずると前輪が流れる。違う、そっちじゃない。そっちにはいくな。

 敵のテールが赤くぼやける。がんがん踏んでいくが、スライドしない。フロントからさらに荷重が抜ける──左のフロントに、山肌が、コンクリートブロックがみるみる迫って──どうしようもできない。もうヒットする。角ばったスチール製のボディが潰れ、エンジンマウントが破壊され、金属の嫌な音が響き渡る……

 叫ぶことはしなかった。ゆっくり上体を起こして、蛍光の壁掛け時計を、ぼうっと見つめる。ひどく寝苦しい夜だった。

 もう何十年も忘れていた、悪夢だった。


「お前には売らない。こいつは、ツブす」


 次の日、おれはあっさりと言った。ケイトが、聞き返す。

 

「え、なんで。ほとんど新古品なんだろ」


「初度登録は1987年だ。リフレッシュはしてるとはいえ、あちこちガタが来てるし、改造で無茶ないじり方もしてる。2025年に買うようなクルマじゃないぜ。悪いこと言わないから、やめておけ。本気で買いたいなら、もっと高年式の車両を、大手の中古屋で探せ」


「なんだよ、その言い方。おやっさんだって、余らせて困ってるって言ってたじゃないか。100万が安いなら、200万でも──」

 

「おまえ、宇宙艦隊のパイロットになりたいんだろ」


 やつのほうは振り向かずに、言った。

 

「宇宙を飛びたいなら、地べたを化石燃料で走り回るなんてのは、馬鹿みたいだろ。余計なことやってないで、勉強しろよ。峠でスポ車を転がしてたって、ろくな事にならないぜ……」

 

 その日はむしゃくしゃして、仕事にならなかった。

 若い衆を早めに返してしまうと、おれは、スバルの赤い車の前に胡坐をかいて、ビールの缶を開けた。

 やはり、こいつだ。ハイパワーなターボチャージャーつき2リッター水平対向エンジン。世界のラリーで勝つために鍛え抜かれた、四駆システム。三菱のランエボも最高だが、おれにとってはこいつが別格なのだ。そう、あの日、後塵を拝した時から……いや、この力を手に入れた時から。

 もう、20年以上はスポーツカーに乗っていない。それでも、スバルGC8が、インプレッサWRXがおれの青春のすべてだった。山で、サーキットで……北関東をあちこち走り回った。ほかのすべてがどうでもよかった。離れていったオンナも、友人も、死んだ両親も、親父が残した、2ドアの、R31スカイラインも。

 いつの間にか、二缶ほど空いていた。事務所の窓越しに見える外はどっぷりと暗い。

 MTは売れたなんて、うそだ。そもそも、最初から仕入れていない。あのスカイラインは、R31は、おれの、意地だ。いや、病気だ。

 死んだ親父のクルマを廃車にしてから、──経緯は思い出したくないし、そもそも思い出せないような、遠い昔の因縁だ──フルタイム4WDのラリーベースに乗り換えてもなお捨てきれなかった、おれの80年代FR車に対する妄執だ。たまたま、ほんとうにたまたま一台だけ──しかもハイブリッドの4速AT──が転がり込んできて、その個体を見た瞬間に、発症してしまった。

 思いつくまま、エンジンを社外品に換装し、リアメンバーごとサスペンションの方式を変更し、シャシーやボディの捻れを知人のスーパーコンピュータで計算しながら剛性を調整し、敢えてマニュアルミッションを捨てて……それでも、乗れなかった。あいつを倒せなったこのクルマに。若い時分の因縁が記憶の彼方に消えてもなお、あのとき、自分の魂に抉り込まれた絶望感がずるずると漏れ出していて、それを糊塗するのに必死だったのだ。

 おれにはもう乗れない。このクルマには、乗れない。これは、おれにとっては、もうクルマではない。だから、ツブす。それでいいのだ。

 高オクタン価のガソリンも充填され、バッテリーも充電され、いつでも走り出せる。常にそうしてきたが、自分では乗れなかった。シェイクダウンも他人に任せ、結局、手つかずのまま。なぜ、彼女には言ったのだろう……。

 がたん、と物音がした。

 ゆっくりと、ゆっくりと慎重に立ち上がる。武器になりそうな道具は、几帳面に棚に片づけてある。くそ。

 抜き足差し足、音の方向へ向かう。もし盗みならまずい。警報装置はあるが、奪われたら面倒なネオクラシック車両がいくつか……

 人影が見える。裏口だ。喉が渇く。慎重に壁際の棚から、トルクレンチを取り出す。いざとなれば、こいつで、


 がつん、と頭に衝撃があって、次の瞬間には、見慣れた金髪がこっちを見下ろしていた。


「おやっさん、おやっさん!」


「え、は?」


 おそらく、おれの目は白黒となっていただろう。「しっかりしろよ。裏口の手前でぶっ倒れてたんだ。いったいどうしたんだ」


「いや、物音がして……お前じゃないのか」


「違うよ。アタシはいま戻ってきたとこ。昼間のおやっさん、様子が変だったから……」


 エンジンの始動音が、ガレージからした。


「なんだ──」


 言い終わらないうちに、スキール音。赤いインプレッサが弾かれたように発進する。


「しまった、泥棒だ!」


 立ち上がって、ふらつく。「頭を殴られてるんだ。死ななかったのは運が良かっただけだ」


 ケイトが、血の色がにじんだ金属のパイプを蹴った。「柔い素材だったかな」


「ちくしょう、警察、いや、追いかけなきゃ間に合わない……」


 いますぐ使えるクルマは……一台ある。白い塗装のクルマが、いますぐ走れる状態で、待っている。キーの位置はわかっている。迷っている暇はない。


「ええい」


 おれは、事務所にどかどかと入って、キーボックスを乱暴に開けて、『SKYLINE』の刻印が入ったキーを取り出した。


「おい、お前は警察に……」


「アタシが乗る!」


 言うや否や、ケイトがおれの手から鍵を奪った。


「は……おい、お前まだ17だろ!」


「仮免前だからへーきへーき」


「何抜かしてんだ」


「でも、おやっさんは乗れないでしょ」


 ケイトは、床に転がったビールの缶を指さした。


「飲酒運転」


「いや、お前、無免許──」


「日産ってことは、インターフェースはツバキとかノートコスモとかと同じだってことだろ! だったら、


 止める間もなく、ケイトがコックピットに滑り込む。ちゃきちゃきとシートを調整し、エンジン始動。くそ、手際がいい。これじゃ泥棒が二人目だ。


「おい! おれもいく!」


 娘ッコの身体を掴んで引きずり出す勇気が出ず、おれもナビシートに飛び込む。無駄に、32GT-Rの純正シート。


「おやっさんは救急車呼ばなきゃダメだろ!」


「うるさい! 早く出せ! 目撃されてるから、今日のうちに船に乗せちまうつもりだぞ!」


 ぼぼう、とエンジンが唸り、R31はその身を公道へと踊り出させた。



 

5.


「まさか、こんな深夜にいるなんてなあ」 


「咄嗟に殴っちまったけど、大丈夫かな、死んでねえよな」

 

 暢気な声を出す相棒に、ドライバーは不安を吐き出した。車両窃盗団になってしばらく、高級車を盗みにくくなったのでネオクラシックカーに手を出すようなったが、まさかこんな事になるとは思わなかった。電気も落ちた、隙だらけの町工場だと思っていたが……。


「死んでたらヤバいだろ。強盗致死ってヤバいって聞いたぜ」


「くそ、くそ、あのジジイのせいだ」


「いざとなりゃ宇宙に飛ぶしかねーな。最近は海外もヤバいらしい。タイとかにいるやつが捕まったって聞いた」


「このクルマも、火星経由で海外に出しちまったほうがいいな。宇宙港に使えるコンテナヤードがあるから、そこにいったん隠しちまおう。何時間か待てば、空いてる便があるだろ」


 宇宙港へ向かう道路は、この時間帯はクルマもまばらだ。車通りの多い幹線道路に逃げることも考えたが、どこかに隠れて待つのはイヤだった。とっとと片付けてしまいたい。

 アクセルを踏めば、ぐいぐいと車体が前に出る。

 本当はトレーラーに載せるつもりだったが、計画が狂った。

 ふと、助手席の男が後ろを見た。


「後ろから、なんかクルマが来る」


 ぴか、と照らされる。ハイビーム。


「なんだ?」 


 ちらちらとミラーに影が映る。照明が反射して、白い。まさか、こんな早くパトカーに見つかるはずがない。

 

「すげー古いクルマ。パトカーじゃないよ」


 ナビシートから、暢気な声。


 ほっとしたのも、つかの間、接近してくるクルマの顔を見て、運転手は血相を変えた。

 

「あのR31だ! さっきの店にあったやつだぞ」


「エッ」


 追いかけてきたということか。すわ、一大事だと思ったものの、運転手はすぐに胸をなでおろした。


「ぱっと見、純正のアルミホイール履きっぱなしだ。どうせドノーマルのジジイ向けのやつだろ、追いつけっこねえ。こいつは280馬力で、四駆なんだぞ……」


 確か、あの時代の直6ターボは、行っていても190か200馬力がせいぜいだ。古い車でブースト圧も落ち込んでいるだろうし、怖くはない──。

 緩い右のカーブを曲がる。アクセルオンで、前輪が車体を引っ張って、スムーズに曲がる。四駆は、これが好きなのだ。


「おい、おい」


 助手席を無視して、フルスロットル。ぐん、と加速していく。280馬力の全開加速。このクルマも古いが、向こうは80年代のツーリングカー、こちらは95年製だ。90年代のクルマと80年代のクルマでは、天と地ほどの差がある。

 それに、そもそもの戦闘力としても、インプレッサWRXは今の基準で見ても軽量で大馬力、それに四輪駆動だ。高級なドイツ製4WDサルーンでも持ってこられない限り、追いつかれることはない。

 いいクルマなだけに惜しい。せっかくだから、国外に出して売り飛ばしたい。なるべく高い値段で……


「おいってば!」


「なんだよ」


 うるさい助手席を怒鳴りつける。せっかく気分よく運転しているというのに──。

 

「近づいてくるんだよ!」


 悲鳴をあげた男につられて後ろを覗き込むと、そこには、80年代の後輪駆動が、200馬力に満たないはずの老朽車が、猛然と追い上げてきていた。




6.


「うわ、結構速いね」


 山へと向かう直線の県道を、R31スカイラインが駆ける。アクセルはべた踏みだ。ばか。やめろ。

 ケイトはさっきまで携帯電話に何か英語で怒鳴っていたが、今は楽しそうにスロットルを開けている。

 激しい轟音。咆哮。伝統の直列6気筒エンジンを打ち捨て、新たな心臓として収めたトヨタ製の1.6リッター直列3気筒エンジンが吠えている。軽量低排気量ながら、ICつきターボチャージャーと複合燃料噴射装置で1.6リッターから300馬力を引きずり出す、お化けのようなエンジンだ。


「次のコーナーからテクニカルセクションに入る! ギアの選択をセミATにしろ!」


「どのボタン!?」


「ええい」


 おれは横からシフトレバーをMTモードに突っ込んだ。「これでエンジンを上まで回せる! 次のギアはコンピュータが考えてくれるから、左右のパドルシフターで変速タイミングを指示しろ!」「パドルシフターって何!?」「クソーッ!」


 悪態をつきながらも、クルマは加速する。

 電気自動車(宇宙空間の軌道基地で使うやつだ!)から流用された優秀なコンピュータが、最新FRクーペから引っこ抜いてきたトルセンATユニットをコントロールする。シフトアップ。乱暴なアクセルワーク。低回転からしっかり湧き出すトルクを、マルチリンク化したリアのサスペンションが受け止める。

 よし。トラクションがかかっている。タイヤを低温からグリップするやつにしておいてよかった──というか、2ペダルにしておいてよかった。

 3ペダルでは勝てないと思い込んで、最新鋭のセミATユニットを組み込んだおかげで、無免許運転でもなんとかなっている。エンジンECUやトランスミッションECUを統括するセントラルコンピュータも、無人探査機用の可塑性プロセッサを豪華に載せた(厳密には違法だ。取り締まる法律はないが……)、最新のフルコンだ。家計は火の車だが、どうせ独り身だし、やれることはやっておくべきだと思ったのだ。

 ABSも車高調もセントラルコンピュータに繋ぎ直し、GPUを積み増した高性能のAIが制御している。このR31は、80年代の老朽車体を最新の電子制御で武装した、ヴァン・ダムばりのサイボーグなのだ。

 いや、サイボーグなのはおれだ。結局、10年近く走っても走りの才能は開花しなかった。いつしか四駆を振り回すのにも飽きて、クルマも好きではなくなった。他にできる仕事もないから、クルマをいじっているだけで──

 ずるりと滑る。クルマのお尻が、コーナーの外側に振れる。大声が出そうになるが、咄嗟に指示。「アクセル半分!」

 

 がくん、と荷重が前に移動する。重たいフロントが車体を外側にぶっ飛ばそうとするが、滑りながらも踏ん張るリアが、なんとか立ち上がりのラインに載せ直す。左右に首が振れる。くそ、フロントのストラットも変更しておくべきだった。


「後輪駆動はアクセルオンでオーバーが出る、コーナーはできるだけ滑らせるな!」


 危なかった。反射的に〝アクセルを離せ〟と言っていたら、エンジンで重たいフロントが暴れ回って、壁に突き刺さって二人とも死んでいた。


「ぐええ、難しい、どうしよう……」


 やつは脂汗をかきつつ、車体が真っ直ぐになった瞬間に、どかんと踏み込む。態度と逆すぎる。低速からの踏み込みで、スライドが出そうになる。「だから──まっすぐに戻しながらちょい踏み足せ、LSDが車体を安定させる!」


「麻薬!?」


「ちがわい!……ブレーキ、ブレーキ! 二速に落とせ!」


 ストレートはかなり短い。ずどんと踏み込み、ABSが作動。ロックを繰り返しながら、車体を減速させる。アルミボンネットやエンジンスワップで軽量化はしたが、内装はほとんど純正で毟っていない。ブレーキキャリパーはいちおう強化しているが、ストリート用のパッドでどれだけ持つか……。

 ぎゃあぎゃあとタイヤが泣きながら、フロントが切り込んでいく。荷重を前に移しすぎだ。リアが不安定になる。アクセルの出し入れでなんとか戻そうとするが、荷重があっちこっちに行って、怖い。そんなに高性能な脚じゃないんだぞ。


「そんなに高性能な脚じゃないんだぞ!」絶叫。


「じゃどうしろってんだよ!」


 立ち上がりで、また尻が出そうになる。失速。ブースト圧が落っこちる。いっぽうで目の前のインプレッサは、ロールアンダーをうまく殺しながら、四駆のトラクションとターボパワーで駆け上がっていく。くそう、こっちもターボなのに!

 

「とにかくアクセルは丁寧に踏むんだよ。ハンドルは切ったら戻すな! あとは勝手にクルマが曲がる!」


「んなアホな」


「FRってそうなの! とにかくブレーキに集中! もうすぐ……踏めっ」


 減速。足で踏ん張りながら、声を絞り出す。「曲がってるときの挙動は煮詰めてるんだよ、旋回速度さえ間違えなきゃ……」またリアが出る。だから言ってるだろ!

 なんとか丁寧に戻して、そろりとヨーを消す。グリップが回復。加速。


「そうか、摩擦があるんだ」


 ケイトが、何か言った。「はあ!?」


「つまり、ナビゲータとシールドがぶっ壊れた状態で、濃いガス雲を微光速で飛んでるんだな。スロットルを開かないと、重力で落っこちる。や、タイヤが2本あるんだから、そりゃ増速したら安定するか……ノズルが2本あるのとおんなじだもんな」


 なにがなんだか、よく分からないうわごとをぶつぶつと呟いている。

 次のコーナーが来る。インプレッサが離れていく。縦の速度では軽量と大馬力で追い上げられるが、どうしても脚が不安定で、コーナリングが素人ではどうしようもない。このままだと、ちぎられる。歯痒い。やはり、こんなクルマでは駄目なのか。

 こんどはグリップで曲がる。スライドは出ないが、進入が遅い。慎重にステアを切って、しっかりと踏みしめて旋回する。アクセルをそろりと踏むが、トルクが余り過ぎている。横Gがぐんとかかって、クルマが派手にロールする。大丈夫だ。踏ん張れ。ぎりぎりと、タイヤが横のグリップを使っているのがわかる。ラインが膨らむ。サイドウォールが削れる音がする。

 出口が来て、ようやく横Gが抜けていく。若干ふらつきながら、前へ。ロールでアライメントが不安定になっているのだ。


「あ」


 ケイトが、素っ頓狂な声を出した。


「なんか、わかったかも」


「え?」


 聞き返して、減速Gが来る。指示を忘れていたが、ブレーキングポイントがどうしてわかったのだ? そう思った矢先に、ふっと体が後ろに押し付けられる。


「もしかして……」


 ブレーキのリリースが早い。車速が落ち切ってない──

 ステアが、ぐいと切られる。前荷重が抜ける直前、サスペンションに押されたタイヤが路面を蹴って、フロントがイン側に跳ぶ。

 リアが遊んで、車体がスピンを始める。カウンターを──当たっていない。ハンドルは、ニュートラルの位置だ。

 アクセルオン。縦のグリップで舗装路を搔きながら、尻が滑らかに滑る。3000回転を維持。ステアはわずかにカウンターを打ち──またニュートラルに戻る。そして、摩擦でヨーが消えて、すとんと車体がまっすぐになった。。コーナーを、クリアした。


「できるだけ滑らせないって、こういうこと?」


「ば……ブレーキ!」


 減速。絶句する。こいつは、いま、何をやった。認めたくないが──体のGセンサーが、自分の腰がはっきりと認めている。

 これは、正真正銘、ゼロカウンタードリフトだ。

 そうだ。免許も持っていない、パドルシフトの存在すら知らなかった女が、地面との対話だけで、わずか数コーナめで。クルマをはじめて限界走行させて、わずか数コーナーめで! しかも、FRで、サイドブレーキもなしに!

 おれは興奮した。こいつは、天才だ。もし育て上げることができれば──。


「そうか、そうか、わかってきた。波打つ膜の上に、推進系があるんだな。と違ってヨーが摩擦で勝手に消えるから、それとのバランスなんだな……」


 クルマの挙動が、明らかに変わった。

 するすると減速が開始。素直に車速が落ちていく。サスペンションが、しっかりと大地を捕まえる。ABSの嘶きも小さい。さっきとはグリップ感が明らかに違う。ターンイン。中速コーナー。滑らせずに、速度を保ちながら突っ込む。

 エイペックスの路側帯を踏み、横Gをするりと逃がしながら、アウト側に向けて滑らかに立ち上がっていく──本当に同じクルマなのか。


「あ、ハンドルって本当に味付けだけなんだ。スロットルで全部決まるのは、いっしょだな……」


 エンジンの回転数、トルク、縦のグリップを見ながら、最大効率でスロットルが開けられる。シフトアップ。パドルを叩く手に、迷いが一切消えている。完全グラスコックピットに再現された、7代目風のレトロ・メーターはもう、見ていない。エンジン音と、加速感だけでやっているのだ。

 フルブレーキング。ABSを作動させるかさせないかギリギリの、シビアなコントロール。「リバースも、たぶんこう……」ゆるりとブレーキが離れながら、さっきよりも滑らかに頭が入る。フッと尻が振り出される。クリップにつく遥か前から、アクセルオン。パーシャル状態になったクルマが、滑りながら曲がっていく。滑りながら進んでいく。


「なるほど、、この曲がり方はできるんだな」

 

 おれは、直感した。

 こいつはクルマの素人かもしれないが、走りの素人ではない。詳しいことはわからなかったが、それでも、はっきりと感じる。激しいGにもいっさい動揺せず、教えてもいないのに、視線は遥か遠くを見据えている。手前は全く見ていない。

 この女は──この女からは、スピードの匂いがする。間違いない。こいつは、もっと、すごく大きなスピードレンジの世界から、遥か高い速度域から、たまたま、偶然に、地上のドンガメの世界へと降りてきた天使なのだ!

 クルマも、それを本能的に感じ取っている。シャシーが、サスペンションが、LSDが、ボディが、彼女に服従しているのがわかった。ECUが従順に次のギアを用意し、ケイトの細い指がパドルを撫でるのに合わせて、嬉しそうにエンジンが唸る。オートブリッピング。滑らかにシフトダウン。びりびりと震えながら、コーナー入り口、アウト側のガードレールをびしっと擦るようにターンイン。

 馬鹿なことだが、ほんとうに馬鹿なことだが、おれは一瞬、シフトダウンしたクルマが、横Gをきれいに処理しながらミニマルにスライドする車体が、立ち上がりでシームレスにグリップを回復させながら回転数を上げるエンジンが、まるで、美しい令嬢の手を取る、妙齢の家庭教師のように見えた。ひとつひとつ、走りの基本原則を、車体の動きから教わっているのだ……。

 アールが緩くなった瞬間、弾かれたように立ち上がる。腰が激しく熱を持つ、加速感。こんなのは、はじめてだ。


「逃がさねーッ」


 獰猛に吠えながら、ケイトがパドルシフトを叩く。4000回転から6000回転のパワーバンドをうまく使い切りながら(これも教えていない。感覚だけで、トルクピークを感じているのだ)、ぐんぐんと車が前に行く。まったく苦しさは感じない。楽に、自然体に、老境の2ドアスポーツクーペが、速度を上げていく。一瞬で、時速100キロを楽々超える。

 すごい、すごい、すごい!

 喉が渇いて声が出ない。これは、本当に速い! もう、何も口に出す必要はなかった。軽く、ブレーキングポイントを教えてやればいいだけだ。

 敵のインプレッサは、もう目と鼻の先だった。テイル・トゥ・ノーズ。これなら勝てるかも──勝ってどうするんだ? そもそも、盗まれたクルマを追いかけて、どうしたい?

 敵が、不意に車速を落とした。ほっとする。今ならまだ、頭を下げるなら見逃してやらないこともない──


「頭を下げろ!」


 ケイトが叫んだ。薄い髪を掴まれて、引っ張られる。痛い。ばきゅ、と変な音がする。フロントガラスの向こうで、何かちかっと光った。


 「だらっ……」


 ケイトが細かくステアを切って、クルマが横っ飛びに移動する。R31特有の後輪操舵はキャンセルしているが、不安感が全くない動きだった。ここまでメカとの相性のいい女を見るのは初めてだった……閃光?


「ンの野郎ォ、一線越えやがった!」


 ふと気づく。フロントガラスに、ヒビが入っている。穴があいている。一瞬で理解して、肝が冷える。まさか、日本で?

 ケイトが、スマートフォンに向かって何か怒鳴っていた。外国語だ。英語だと思う。おれは何が起こったのかわからなくて、何も言えなかった。


「なあ、次のカーブってどっちに曲がる!?」


「えっ」


 突然話しかけられて、混乱する。30歳は下の娘に……情けない。


「ええと……左!」


「そん次は?」


「右!」


「よーし」


 ステアを握り直したケイトは犬歯をむき出しにして、唸った。

 ぱぱっ、と目の前に赤い光。クルマが右へと跳ねる。敵のブレーキングの隙に、アウトサイドに31のボディがねじ込まれる。レイトブレーキ。少し突っ込みすぎだが、わずかにスライドし、オーバーステアを出しながらラインを維持する。ごん、と音。左のバンパーが、インプレッサの右フェンダーを小突く。反動で取っ散らかりそうなものを、わずかなカウンターステアとアクセル調整で整える。まさか、デフのロック率を、もう感覚で把握しているのか?

 立ち上がる。敵がぐいと前に出るが、R31も負けずに加速。シフトアップ。三速全開のパワーで、白煙を上げながら追随する。タイヤがもうきつい。次のコーナーで限界が来る。そんなのは嫌だ。自分の心臓が激しく拍動している。このクルマが吠える声を、もっと聞かせてくれ!


「──わかった。本当にいいんだな?」


 ぞっとするような、冷たい声だった。G16Eの直列3気筒と、EJ20水平4気筒が放つ轟音の交響曲なかでも、はっきりと聞こえた。

 自分ではなく、電話の向こうに言ったのだ──と分かったときには、呆気なく、敵のクルマは後ろにいた。鮮やかなオーバーテイク。カウンターアタック。一つ前の低速コーナーで外側から仕掛け、サイドバイサイド。次の逆コーナーでひっくり返ったイン側にぴったりくっつきながら、ガードレールを舐めるように回ったのだ。敵はアクセルを踏めず、失速。ばかめ、アンチラグも付けずに……。


「ごめん、目、閉じてて」


 彼女の横顔は、今まで見たどんな表情よりも、低温で、無機質で、美しかった。

 クルマが、スピンした。

 立ち上がりで激しくステアをこじり、スロットルが開く。右コーナーの出口でさらにオーバーステアが出て、敵の前に飛び出しながら、回転する。

 敵のクルマ。赤い、インプレッサ。あれは敵だ──でも、おれは、敵という言葉の意味を、すごく軽く捉えていた。少なくとも、この時まで。

 

 異質な、割れるような、籠るような音だった。

 ケイトが、窓の外へ腕を伸ばしていた。

 ばしゃん!という音が何回か連続した。スキール音。暗闇に、閃光が迸って──衝撃が来た。




7.


 はっと気づくと、クルマは止まっていた。ガードレールが、ボンネットの隙間から見える。なぜ? それは、アルミ製ボンネットが紙細工のように潰れているからだった。フェンダーがゆがんで、膨らんでいる。煙が出ている。ワイパーが衝撃で取っ散らかっていて、付け根に部品がいくつか落ちている。エンジンは、もうダメだ。ワンオフで作ったエンジンマウントもお釈迦だろう。CADで図面から自作した冷却系のVマウントは、おそらく影も形もない。

 慌てて横を見ると、運転席には誰もいなかった。ドアをなんとか開けて、転がり落ちるように脱出する。自動の燃料遮断装置はあったが、動作しているかはあやしかった。


「おい……おい、ケイト!」


 名前を呼ぶ。

 彼女はすぐに見つかった。数メートル先、インプレッサのそば。

 コーナーの入口で90度にガードレールに突っ込んだR31とは違い、インプレッサは、おそらくフル加速で低速コーナーに突入し、見事に正面から山肌へと激突していた。


「おい、大丈夫か……」


 駆け寄ると、インプレッサの運転席が見えそうになる。なぜか、ボディのほかにも、サイドのガラスが赤く──


「見るなっ」


 大声で、ケイトがおれを止めた。彼女の右手には、なにか箱めいたものに、大きな筒がついていて、すぐに太ももの裏に隠される。

 彼女は気まずそうに、おれの顔を見た。


「偶然だったんだ。本部……友だちが携帯電話を追跡したら、高脅威標的だったのがわかって、逃走のおそれがあったから、逃げられるくらいなら……」


 なにが起こったのか、わかった。自分を誤魔化すのは、難しかった。あたりに、火薬の匂いが立ち込めていた。


「こんなつもりじゃなかったんだ」


 振り返れば、ブレーキ痕が滅茶苦茶についている。おそらく、サイドターン中のR31のリアに、フルアクセルでGC8が追突し、完全にスピンしたR31は、しばらく回転しながら進んだのちに、コーナー手前のガードレールにフロントから激突したのだ。インプレッサはそのまま走り去り、少し先の、アールの大きい部分から、コンクリートの山肌へと突っ込んだ。ブレーキは踏まれていなかった。踏むやつが、もういなかったのだろう。

 R31を見る。ここからでは破損個所はよく見えないが、少なくとも、もう走れないことはわかった。


「ごめん。大事なクルマを、ふたつとも傷物にしちまった」


「いいんだ」


 おれは、R31の尻を、つきっぱなしのテールランプを、赤く光る丸目四灯を眺めた。

 なんだか、すごくすがすがしい気分だった。どうやら大変なことに巻き込まれて、いろんな複雑な感情は去来していたが、それでも、あの瞬間、おれのR31スカイラインが、ハイパワーの四輪駆動に、きれいに勝った瞬間──すごく、どうでもよくなった。なんだか、悩みが消えた。大きな、黒くて苦しいものが、消えてしまった。


「おれが、お前にあいつの話をしたのは」


 煙草を取り出そうとして、なかった。そもそもガソリンが揮発しているところでは、無理だった。それでも、葉っぱの匂いが嗅ぎたかった。


「お前が、おれと話すときに、すごく慎重に、自分の中の悪意を取り除いていたからだ。やろうと思えば、それを使ったほうが楽なのに、そうはしなかった。それはすごく誠実なことだと思う。だから、おれは、彼女をお前に見せたんだ」


 何分も経たなかったと思う。黒いアルファードがやってきて、停まった。ケイトが駆け寄る。中から少女がもう一人出てきて、何か話している。日本人のように見えるが、腕に抱えた物騒な得物が目に入って、おれは明後日の方向に顔を向けた。

 しばらく何事か話して、ケイトがこちらに来る。


「うちのクルマで送るよ。ここにいると、警察が来てかなり厄介だ。店に戻って、強盗にあったって通報しよう。頭部損傷も心配だから、うちの──私の友だちの、救護資格を持ってるやつが、見るよ」


 おれは、R31を、もう一度だけ振り返った。

 

「なあ、売らないなんて言って、悪かった。必ず直すよ。直して、持っておくよ。買わなくてもいい。買えるように、しておくから──」


「いいよ」


 ケイトは、ばつが悪そうに、おれの背中を押した。


「もう行こう。ここにいると面倒になる。店に戻って、警察と、救急車を呼んでくれよ」


「必ず直すよ」


 遠くから、サイレンの音が聞こえた。おれはアルファードの助手席に誘導されて、乗り込んだ。体に力が入らない。今日は、疲れた。

 運転席の若造が、言った。金髪の、もみあげ男。「うしろの車内。見ないほうがいいよ。おれは後悔してる」


 その忠告に正しく従って、おれはドアミラーを眺めた。後ろにいるR31が、映っている。丸目四灯が、つきっぱなしのテールランプが、赤く、ぼんやりと映っている。

 アルファードがゆっくりと発進する。ドアミラーの中の赤いテールランプが、ゆっくりゆっくり、遠ざかっていく。赤いテールランプが、ゆっくりゆっくりと、遠ざかっていく。(終)

 


8.


■資料

★盗まれたGC8

◯GC8 インプレッサWRX STi バージョンⅡ(4ドア)

・1995年製、改造箇所なし

・STI製WRバンパーつき(5ナンバー用)

 

★〝おれ〟のR31

○ベース車両:HR31 スカイライン 2ドアスポーツクーペ GTS-X ツインカム24V Re16

(1987年初度登録→2016年新規中古車登録→2026年抹消登録)


◯足回り・バネ下

 ホイール:純正アルミホイール

 タイヤ:シバタイヤ(型番不詳)

 サスペンション:リアをマルチリンク化、Blitz・S15用車高調を流用(電子制御システムをセントラルコンピュータによる制御にリルート)

 ブレーキパッド:Project μ・街中ハードブレーキ用 他車種流用

 ブレーキキャリパー:R31ハウス・前後4pot鍛造キャリパー

 ABS:純正(再生品に付属、制御系をセントラルコンピュータにリルート。TCS機能はデフォルトでキャンセル設定)

 

◯ドライブトレーン

 エンジン:トヨタ G16E 1.6L直列3気筒ターボ(刺さって廃車になったGRヤリスから流用、Eg専門のチューナーによる縦置き改造、補機類を一部調整、ネット値290psにデチューン)

 トランスミッション:Z#8用トルコン6速AT

 LSD:カーボンLSD(型番不詳、他車種流用。高イニシャルトルク)

 プロペラシャフト:R31ハウス・ワンオフ

 吸排気系:他車種のファインチューン系パーツを流用、インテークボックスは自作

 冷却系:他車種流用、ワンオフでラジエータとインタークーラーをVマウント化


◯ヴェトロニクス、インターフェース

 センターコンソール:純正ワイドマルチモニタ(日産ツバキ流用)+アルパインのオーディオ・ナビ、USBポート×2

 セントラルコンピュータ:純正(日産ツバキ用流用)、CPU増設、メモリ増設

 バッテリーユニット:(不詳)(違法)

 エンジンECU:モーテック・フルコン(GRヤリス用流用、不詳)

 トランスミッションECU:メーカー不明フルコン(Z#8用流用、不詳)

 ステアリング周り:ZN8流用


◯シャシー

 スポット増し:42か所

 その他:足回り、ドライブトレーン格納のため各部をカット、スタビライザー増設、共振ずらし用ウエイト増設

 

◯ボディ

 エアロ:純正フロントリップ可動オミット、R32純正ウイング移植

 ボンネット:nismo・アルミボンネット及びアルミトランクリッド(Re16限定オプション)

 ボディカラー:ホワイト、ウイングは同色塗装

 その他:右側バンパーダクト追加、ヘッドライトは純正(再生品)のハロゲン風カラーLED

  

 

追記:(2027年、新規中古車登録→1100万円で売却)



 

おしまい!

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編置き場(仮) #toma_rin/とまり @tourmaline_tac

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る