スキル《人畜無害》で無双する! 誰にも敵視されないので、最強の冒険者を目指します!

@konohi

第1話:その男、モブにつき

 ──水曜日の午後だった。


 大学の三限が終わり、大講義室の席を立ったのは俺が最後だった。


 別に、忘れ物をしたわけじゃない。誰かが話しかけてくるのを待っていたわけでもないし、急いで帰る理由もなかっただけだ。


「……今日も、喋ってないな」


 ポツリと漏れた独り言は、自分の耳にすら届かないまま、イヤホンの中のBGMにかき消された。


 キャンパスの廊下をすり抜けて、学生たちが談笑しながら帰っていく。

「今日のサークルどうする?」「カラオケ行かね?」なんて声が通り過ぎていく。


 その色彩豊かな輪の中に、俺の姿はない。


 人と話すのが嫌いなわけじゃない。ただ、認識されないだけ。

 目が合っても、すぐに無関心に逸らされる。会話の輪に入ろうとしても、タイミングが掴めず、気づけば空気になっている。


 ──きっと、俺みたいなのは“いなくても困らない”んだろう。


 世界にとっての処理落ちした背景画像。

 そんな自虐を飲み込んで、鞄を片手に駅前のコンビニへ向かった。


 甘すぎないカフェオレでも買って、帰りにアニメの録画を観よう。昨日投稿したMAD動画の反響もチェックして──そうだ、SNSのフォロワー数がやっと300人を超えたんだった。


「……ま、現実で友達ゼロだけどな」


 ネットの中だけが、俺が「ここにいる」と証明できる場所。

 苦笑しながら、コンビニの自動ドアに手を伸ばした。


 その時──


「……ん?」


 空気が、歪んだ気がした。


 自動ドアの奥にあるはずの商品棚が、真夏の陽炎(かげろう)のように揺らぐ。

 コンビニの白い照明が、急に彩度を増したようにギラついた。


 キィィィィィィン……!


 耳鳴り? いや、脳味噌を直接引っ掻かれるような機械ノイズ。

 平衡感覚が狂い、足元のコンクリートが泥に変わったような浮遊感が襲う。


(なにこれ、貧血……立ち眩み……?)


 ぐらりと視界が傾く。

 咄嗟に支えを求めて、目の前のガラスドアに手をついた。


 けれど──触れたはずの冷たく硬い感触が、そこに“なかった”。


 俺の手は、空を掴んでいた。


 そのまま、光が、溢れた。

 世界を塗り潰すような、暴力的で純白の光。

 前も、後ろも、上も、下も、分からなくなっていく。


 自分が溶けていくような感覚の中、耳の奥で、誰かの声が響いた気がした。


 ──「選ばれし魂よ」──


 誰だよ。勝手に選ぶなよ。

 そんな思考すら、プツリと切り離されていく。


 世界が、崩れる。

 そして、俺は──


 どこか“違う場所”へ、落ちた。



 ──風が、吹いていた。


 頬を撫でる、やけに生々しい風。

 肌寒さと濃い草の匂いが、意識の底から現実を無理やり引きずり戻してくる。


「……ここ、どこだ……?」


 のろのろと体を起こす。

 見渡せば、視界いっぱいの草原だった。


 アスファルトも、電柱も、コンビニもない。背の低い名も知らぬ花が、風に揺れているだけ。

 空は異様なほど青く、雲が一つもない。聞いたことのない鳥のさえずりが、遠くの空を飛び交っていた。


「……夢、じゃないよな」


 痛みを確かめるように、二の腕を強く抓(つね)る。

 ──ちゃんと痛かった。


 服は、さっきまで着ていた大学のパーカーとジーンズのまま。

 たすき掛けにしたカバンもある。スマホを取り出してみるが……当然のように圏外。再起動しても、「検索中」の文字が変わることはない。


「何がどうなって……」


 そのとき、視界の端に、ふわりと光が差した。


 直径十五センチほどの、淡く光る“球体”が、空中を漂っていた。

 蛍の光をもっと凝縮したような、神秘的でありながら、どこか人工的な輝き。


「なっ……なに、これ……!?」


 後ずさる俺の前で、その光球がくるりと一回転したかと思うと──なんと、しゃべった。


『やっほー。ようこそ、選ばれし魂くん』


「えっ……え?」


『あ、自己紹介しとくねー。私はフィノ。転移者サポート精霊。今後のチュートリアル、ぜーんぶ私が担当するから、よろしく~』


 鈴を転がすような、やけに軽い声。

 精霊、と言ったか?


「精霊……? え、本当に、どういうこと……?」


『うーん、理解が追いついてないねぇ。端的に言おう! ここは君たちの世界から見たら異世界。剣と魔法と、モンスターと、ギルドと、バトルと、あとイチャイチャがある世界!』


「最後の“イチャイチャ”は関係ないだろ……」


『いやいや、超重要。異世界転移者の人生において“異性との出会い”は基本です!』


「テンプレかよ……」


 思わずツッコミを入れた自分に少し驚きつつ、俺は立ち上がる。

 体はちゃんと動くし、怪我もない。けれど、足裏に感じる地面の柔らかさと、どこまでも広がる知らない色の空。

 どこをどう見ても、そこは俺の知る“日常”ではなかった。


『じゃあ、まずは君のステータス見てみようか。ほら、画面出してー。心の中で“ステータス”って唱えると、ポロンって出るよ』


「……ステータス」


 半信半疑で念じる。

 次の瞬間、視界にゲームのような青白いウィンドウが浮かび上がった。


【ステータス:日辻 悠(ヒツジ ユウ)】

職業:なし

称号:《転移者》

年齢:21

スキル:《人畜無害》──他者から敵意・拒絶・警戒を向けられにくい


「……人畜無害?」


 剣聖とか、魔導王とか、そういうのを期待したわけじゃない。

 でも、なんだこれ。


『そう。The・スルー力(りょく)。どれだけ怪しい行動しても、怒られない! 攻撃されない! 叱られない!』


「いや、いやいやいや、なんだよそれ……バトルスキルとか、チート魔法とかないの?」


『ノンノン。戦闘力ゼロ。魔法適性もゼロ。でも、君は“誰からも敵視されない”んだよ。これ、普通に最強じゃない?』


 光球──フィノが、さも誇らしげに空中で弾む。


「いや、どこがだよ。使い道わからん……」


 敵視されない? それがどうした。

 魔物に襲われたら終わりだし、飯を食う金が湧いてくるわけでもない。

 要するに、異世界に来てまで俺は“空気”ってことか?


『ふっふっふ。まぁ、じきにわかるよ。“無害”ってのがどれだけヤバいか。ふふ……』


「……なんで含み笑いすんだよ」


『いや、なんか久々に“面白そうな奴”来たなって』


「うわ、絶対ろくな目に遭わないパターンのやつだ、これ」


 俺は溜息をついた。

 けれど、フィノの言葉には妙な響きがあった。

 最強? ヤバい? このふざけた名前のスキルが?


『じゃ、ここからは君の冒険スタートってことで!』


「いやいや待て待て、俺まだ現実を受け入れきれてないんだけど……」


『ふふふ~。でも、時間は待ってくれないよ? 日が暮れたら、この辺は“肉食獣”だらけになっちゃうしね』


「え」


 フィノは空中でくるくる回りながら、楽しそうに先を促す。

 その姿は浮いてるだけなのに、妙に腹立たしい。


 けれど、この広大な草原で唯一、言葉が通じる相手だ。

 文句は言いつつも、心細さの中で、俺は自然とフィノの光を追って歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る