分裂おっさん諜報員と居合神父 ~うろ覚え異世界の汚れ仕事~

七瀬ナナナ

分裂おっさん諜報員と居合神父 ~うろ覚え異世界の汚れ仕事~

 グラナドス領の中心街は、黄昏に沈もうとしていた。

 街のメインストリートを蒸気自動車が白煙を上げて行き交い、アイスクリームやたこ焼きの屋台には子供たちが群がっている。

 この世界には、異世界から来た転移者たちの知識と文化が根付いていた。

 ただし、召喚されたのは十代前半の少年少女だけ。

 そのため広まった技術は、洗練された理論が基盤とはなっておらず、彼らの曖昧な記憶を魔法で強引に再現したツギハギだらけのものだった。

 そんな文化が混ざり合い、人々の生活を豊かにし、今も輝いている。

 人々は気づかないふりをしているのかもしれない。

 その歪な知識が、戦争という名の炎を呼び覚ます火種でもあるということに。


 テスターナ王国の山間部にあるグラナドス領は、軍事国家であるルシア帝国と国境を接する要衝だ。

 帝国との小競り合いは日常茶飯事だが、街の人々から悲壮感は感じられない。


「はぁ……また面倒な任務が回ってきたな。三十後半のおっさんには辛いぜ」


 ドルトン・クロウは石畳を歩きながら愚痴を吐く。

 商人を装った軽薄な口調とは裏腹に、その目は冷徹に周囲を測っている。


「なぁ、そう思わないか? マツダ」


 隣を歩く男が、無表情のまま小さく頷く。

 マツダは細身の長身に、短く切り揃えられた黒髪、切れ長の目は鋭く、サイドを刈り上げた髪型は野性味があるが、どこか禁欲的な清潔感も漂う。

 かつてはルシア帝国軍に属していた彼だが、今は黒い詰襟の神父服をまとっていた。

 祈りの衣服でありながら、軍人時代の鋭い殺気は隠しきれていない。

 無駄に男前で悔しい。無口が様になりすぎている。


「じゃあ、夜になったら館の前で合流しよう。またな」


 マツダは短く頷き、音もなく人混みに消えていく。

 その背を見送りながら、ドルトンは「あっ」と声を上げた。


「マツダ。状況次第では俺……いや、『あいつら』を使うかも。迎えは任せる」


 マツダは振り返らず、片手だけを上げて合図を送った。

 帝国からの亡命者は言葉が少ない。

 性格なのか、過去のせいなのか。

 ドルトンはマツダの背中を見送りながら、今後のコミュニケーションに頭を悩ませる。

 そして、自分の中に眠る『二人』の気配を確認し、小さくため息をついた。


「よし、働くか」


 見上げると『潮騒亭』という木製の看板。

 壁には奇妙な紋章――花弁のような円の中心に、瞳のような形が刻まれている。

 焦げたソースの匂いと酒気が漂い、店内からは活気が溢れ出ていた。

 テスターナ王国は宗教上の理由で昼間からの飲酒が禁止されているはずだが、辺境の緩さは嫌いじゃない。

 ドルトンは人懐っこい商人の仮面を被り直し、暖簾をくぐった。


「いらっしゃいませ!」


 元気なおかみさんの声。

 子供たちが忙しなく給仕をしている。

 ドルトンは笑顔を振りまきながら、視線だけで店内の情報を収集する。


(資料通り。領主関係者らしき人物が数名たむろしている)


「何にしましょうか? グラナドスはエビが有名だよ! 転移者様考案のエビ天ぷらがおすすめ!」


「じゃあ、それ頂戴!」


 ドルトンがグラナドスに来た目的はエビではない。領主の脱税調査だ。

 アルカラ自由連合国諜報部でも精鋭とされるドルトンにとって、この任務はいささか地味に思えた。

 だが、国境の港町を押さえることは、対ルシア帝国の戦略上、極めて重要だ。


「エビ天ぷら、お待たせしました!」


「ありがとう」


 箸を割ったその時、店の扉が軋んだ音を立てて開いた。

 入ってきたのは、異様な髪型の男だった。

 逆立った髪はまるでパイナップルの葉のようだが、そこにあるのは愛嬌ではなく威圧感だ。

 痩せこけた体に、着崩した着物。腰にはルシア帝国の象徴である曲線的な剣。

 いや、刀といわれる武器だ。

 ふらつくような歩き方は、獲物を狙う蛇を連想させた。


(マツダと同じ、元帝国軍人か?)


 男の連れが、先客の男といざこざを起こす。


「何だと! ここはお前らの席じゃない!」


 パイナップル髪の男は興味なさげに目をやり、次の瞬間――。


 スッ。


 刀の柄に手を添える動作が、あまりに自然で、速すぎた。


「うぐっ!」


 抗議した男が腹を押さえてうずくまる。

 一瞬の動作で鞘での突き。ドルトンの動体視力でも捉えきれない速さだった。


(居合か……間違いなく帝国の流儀。しかも達人級だな)


 おかみさんが仲裁に入り、男たちは不機嫌そうに出ていった。

「また領主の警護の奴だよ」と客が囁き合う。

 ドルトンは冷めたエビ天ぷらを口に運びながら、商人の顔で聞いていた。


 夜風が頬を撫でる。

 領主から脱税資料を入手し、速やかに離脱する。

 実質、盗むということ。


「さてと。始めるか」


 星空の下、ドルトンは長く伸びをするふりをして、夜の闇に溶け込んだ。



 ◇◇◇



 郊外にあるグラナドス領主の館は闇夜に包まれていた。

 ドルトンは影のように広大なエントランスホールへ滑り込んだ。

 月光が中央階段に鎮座する二体の巨大な女神像を照らし出している。

 審判の女神ディカイアと、正義の天秤を持つテミリア。


(立派なもんだ。汚れた金で建てた館にしてわな)


 これほど広い館を闇雲に探すのは愚策だ。

 ドルトンは当初の予定通り、幽閉されている領主の嫡男、アルメオラ・アストレインへの接触を試みることにした。

 父の不正を告発しようとして幽閉された正義感溢れる息子を説得する。

 彼なら資料の「隠し場所」を知っているはずだ。

 幽閉された理由もそこにある。


 離れにある塔の最上階。

 アルメオラらしき人物が窓辺で月を見上げていた。


「君がこの領の未来をうれいているのなら、協力してくれないか」


 ドルトンの声に、アルメオラが弾かれたように振り返る。


「誰ですか! 人を呼びますよ」


「呼べばいい。だが、君の正義はそこで終わる」


 ドルトンは王国の諜報部と偽りの身分を明かし、単刀直入に告げた。


「俺のことは信用しなくていい。ただ王国のために働いている一人の人間として協力してほしい」


「何を協力しろというのですか?」


「父親の脱税の証拠が欲しい。きっとこのままでは近いうちに君は失踪し、この領地も今まで通りのままで、民衆も今まで通り苦しむ。となるからかな」


 アルメオラは微動だにしない。

 やがて決意したように口を開いた。


「そうです。時間がありません。父と僕だけが知っている隠し場所があります。場所を変えてなければそこにあるはずです。……ただし、僕も連れて行ってください。もう傍観者は嫌なんです」


 その瞳には、強い光が宿っていた。 ドルトンは少し考え、懐から鉛筆ほどの小さな杖をアルメオラに投げ渡した。


「いいだろう。自分の身は自分で守れ。それは最新の護身具だ」


「説明は?」


「歩きながら教えるよ。俺はドルトンだ。よろしく」


 アルメオラは静かに頷いた。



 ◇◇◇



 二人はエントランスの女神像の前で立ち止まった。

 アルメオラが女神ディカイアの足首を握り、像を回転させる。

 仕掛けが作動し、《真実を見抜く眼》が対の女神を照らすと、テミリアの台座から隠し引き出しが現れた。


「また凝った真似を……」


 なかから出てきたのは一束の書類だった。

 アルメオラが内容を確認し、息を呑む。


「ドルトンさん……これは脱税だけじゃない。人身売買の記録です。しかも、子供たちの……」


「なんだと?」


 ドルトンが覗き込む。

 リストの末尾には花弁に囲まれた目が描かれている紋章と見慣れない言葉――《白の詠葬えいそう》。

 その時、書類が淡く発光した。


「くそ、開封通知の術式か!」


 ドルトンが舌打ちをする。

 遠くで警報が鳴り響き、足音が迫ってくる。

 闇にまぎれて逃げ切るには、この体では大きすぎる。


「アルメオラ、驚くなよ」


「え?」


「俺は今から分裂する」


「は?」


 ドルトンの輪郭が歪み、ぼやけ、そして物理的に二つに割れた。

 長年調整してきた特異体質と転移魔術の結晶。

 一人の大人の質量が、二人の子供へと再構成される。


「僕がドルオ! よろしくね!」


「はじめまして、ドルコです」


 少年と少女が現れ、アルメオラは後ずさりした。


「え、ええっ!?」


「説明は後! と、いうかいたしません。私がマツダと合流して敵を蹴散らします。ドルオはアルメオラ様を護衛し証拠を持って脱出してください!」


 ポニーテールの少女ドルコが疾風のように駆け出す。

 残された少年ドルオは、あどけない顔でニカっと笑った。


「さあ、お兄ちゃん、悪いパパにお仕置きしようか」


「え? いま脱出と……」


 ドルオは館の階段を急ぎ駆け上がる。



 ◇◇◇(マツダ視点)



 ドルオとドルコの背中が闇の奥へと消えていく。

 それを見送ることなく、マツダはきびすを返し、漆黒の神父はエントランスの闇に潜んでいた。


(……来たか)


 重厚な扉が悲鳴を上げ、蹴破られるように開く。

 夜風と共に流れ込んできたのは、どろりとした濃密な殺気だった。

 現れたのは四人の男たち。

 その先頭に立つのは、奇抜な髪型の男――ドルトンが「パイナップル」と呼んでいた男だ。

 だが、今のマツダの目に映るのは、果物のヘタなどではない。

 重心を低く保ち、いつでも飛びかかれる体勢を維持した、獣のような手練れの剣客だった。


「裏口にネズミが二匹逃げたようだが」


 男が歪んだ唇で笑う。

 その瞳は濁っているが、獲物を狙う焦点だけは鋭い。


「ここの掃除は俺一人でいい。テメェらはガキどもを追え」


「へい!」


 部下の男たちがマツダの横をすり抜けようと駆け出す。

 マツダは微動だにしない。

 ただ、左手の親指で、刀の鯉口こいぐちを――。


「カチリ」


 ヒュッ。


 風切り音すら置き去りにする一閃。

 駆け抜けようとした先頭の二人が、同時に足をもつれさせて崩れ落ちる。

 遅れて、石床に赤い水たまりが広がった。


「……!」


 残りの男たちが息を呑み、たじろいだ。

 マツダはすでに刀を元の鞘に納まっている。

 神父は静かに立っている。

 いつ抜いたのか、誰の目にも止まらなかった。


「ここから先は通さない」


 低く、抑揚のない声。

 それが合図だった。

 男たちが恐怖を怒声でかき消し、一斉に剣を構えて殺到する。

 マツダの意識が冷たく沈んでいき、前傾姿勢になる。

 視界から色彩が消え、敵の筋肉の動き、呼吸、心音だけが情報として流れ込んでくる。


(遅い)


 右から振り下ろされる剣を半身でかわし、すれ違いざまに喉元を刀の柄で打つ。

 左から振り下ろされた剣は、鞘で受け流すと同時に軌道をずらし、相手の懐へ踏み込んで鳩尾みぞおちに掌底を叩き込み、ろっ骨を砕く。

 抜刀するまでもない。

 最小の動きで、最大の破壊を無駄なく行う。

 数秒の間に、立っているのはマツダと、あの男だけになった。


「ククク、やるじゃねえか」


 パイナップル髪の男が、愉快そうに喉を鳴らす。

 その手には、反りの深い帝国様式の刀が握られていた。


「同郷か。しかも軍属だな? その無駄のない動き、痺れるぜ」


「……」


「俺は《狂犬》ガルド。帝国軍第十三部隊をクビになった人間よ。テメェはどこの部隊にいた? あん?」


 マツダは答えず、静かに腰を落とす。

 左足を半歩引き、左手を腰に回して鞘に添える。

 上目でガルドを鋭く見据える。


「だんまりかよ。まあ、ええわ、その首を斬れば思い出すかもな!」


 ガルドの全身から殺気が膨れ上がる。

 彼は正眼の構えから、不規則なリズムで間合いを詰めてくる。

 ゆらり、ゆらりとした歩みは幻惑を誘うものだ。

 通常の剣士なら、間合いを見誤り、次の瞬間に斬り伏せられるだろう。


(剣に頼りすぎだ)


 マツダの「眼」は、ガルドの重心が動く瞬間を捉えていた。


「死ねぇ!」


 ガルドが踏み込む。

 右肩越しに弧を描き斬りかかる。速い。さらに軌道を水平に変えて首を狙う変則の一撃。

 マツダはその刃が鼻先を掠める到達点に至るまで動かなかった。

 死神が肌を撫でる瞬間。

 マツダの世界から時間が消える。

 さらに重心を低くし、ガルドの刀がマツダの頭部を過ぎると同時。瞬時に抜刀。

 ガルドの刃を、刀身で弾き上げる。

 金属音が響くよりも早く、マツダの刃はひるがえり、水平に走る。

 一閃。

 漆黒のなか、二人がすれ違い、背中合わせに静止する。

 静寂が戻ったホールに、カチリ、とつばが鳴る音が響いた。

 マツダが刀を鞘に収め終えた音だ。


「マジかよ……居合に、返し技なんて……?」


 ガルドの刀が真ん中から折れ、床に落ちる。口から血が流れだし、胸元から血飛沫(ちしぶき)が舞った。


「本当にいたのか……お前……、《永遠とわ影断かげたち》……か――」


 言い終わることなく、ガルドは膝から崩れ落ち、物言わぬ肉塊となった。

 マツダは乱れた前髪を指で直し、冷ややかな視線を死体に落とす。


「ただの神父だ」


 彼は奥の廊下へと歩き出した。

 その背中には、勝利の余韻など皆無だ。

 ただ、こなすべき仕事を終えただけだった。



 ◇◇◇



 領主の執務室。

 乱入したアルメオラとドルオを待ち受けていたのは、領主ルメイリアと従兄弟のディメル、そして数名の衛兵だった。


「アルメオラ……貴様、よくもアストレイン家を裏切ったな!」


 ルメイリアが吠える。

 ディメルが剣を抜き、冷酷に笑った。


「叔父上、彼には消えていただきましょう。私が次期当主として、汚れ役を引き受けます」


 ルメイリア無言で頷いた。


「ガキと優男だ、殺せ!」


 衛兵が迫る。だが、その刃が届くことはなかった。

 ドンッ。

 ドルオが床を蹴る。子供の体躯からは想像できない加速。

 視界から消えた少年は、すでに衛兵の懐に入り込み、ナイフで腱を切り裂いていた。


「あぐっ」


 崩れ落ちる衛兵。ナイフの血を服で拭うドルオの瞳には、感情の色がない。


「はい、次」


 ディメルが恐怖に顔を歪める。

「ちょ。ば、化け物か!」 ドルオが歩み寄るだけで、ディメルは剣を取り落とし、腰を抜かして後退った。

 戦闘は一瞬だった。

 楽しそうにドルコが話しかけてきた。


「アルメオラお兄ちゃん、あとはパパだけだよ」


 残るは領主ルメイリアのみ。


「あーばーぶー」


 彼は狂乱したように何かを叫び、魔道具らしき石を握りしめた。


「道連れだ道連れっ! この館ごと吹き飛べ!」


「父上、やめてください!」


 アルメオラが叫ぶが、領主の目は正気を失っている。

 ドルオが動こうとした瞬間、アルメオラが前に出た。

 ドルトンに渡された小さな杖を構える。


「ごめんなさい、父上」


 ルメイリアが右手を動かそうとした瞬間。


「痺れろ!」


 青白い雷光が走り、ルメイリアは悲鳴と共に痙攣けいれんして倒れた。

 静寂が訪れる。

 アルメオラは震える手で杖を下ろした。


「終わりました……」


 そこへ、扉が開く。


「外のクズどもは、わたくしたちで片付けました」


 返り血ひとつ浴びていないマツダと、涼しい顔のドルコが入ってきた。

 館の制圧は完了したようだ。


「アルメオラお兄ちゃん」


 ドルコが冷徹な口調で切り出す。


「この件だけど、テスターナ王国には報告しないから安心して」


「え?」


 ドルコが前に出てくる。


「領主の脱税と人身売買。公になればお家取り潰し、領民も路頭に迷います。ですが、我々アルカラが裏で管理し、あなたが新領主として立つなら、話は別です」


 アルメオラは呆然とした。


「アルカラ? つまり……隠蔽する代わりに、僕をアルカラ自由連合国の操り人形にするということですか?」


「申し訳ありませんが、『協力者』と呼んでいただけないでしょうか。領民を守るための、大人の取引だと考えて頂きたく」


 アルメオラは倒れている父を見つめ、そして窓の外に広がる街を見た。

 選択肢など、最初からなかったのだ。


「……わかりました。お引き受けします」


「賢明なご判断です」


 ドルコとドルオが揃って優雅に一礼する。

 その姿は、子供ながらに熟練の詐欺師のようでもあった。



 ◇◇◇



 後日。

 焼け落ちた『潮騒亭』の跡地に、神父と少年少女の姿があった。

 おかみさんも子供たちも消息不明だ。

 壁に残った焼け焦げた紋章――花弁と目。

 アルメオラの館にあった《白の詠葬えいそう》と同じ紋章だった。

 おかみさんは人身売買組織の人間だったのだろうか。

 この件はまだ終わりそうにない。


「さあ、帰ってマザーに報告よ」


 ドルコの声に促され、彼らはグラナドスを去る。

 ドルオは一度だけ振り返り、赤黒く見えた紋章を目に焼き付けた。


「行くよ、ドルオ」


 夜風が、くすぶる煙の匂いを運んでいった。

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