そして、魔女は異世界を創った

木村文彦

第1話

 今が何時であるのか。最早、分からない。


 むしろ、どうでもいいのかもしれない。


 閉め切っていたはずのカーテンから潜り抜けるようにして、朝日のような明るさが部屋の中まで、うっすらと届いてきていた。


 私は大学生――そう。華やかな女子大生のはずである。


 それが、ここまで怠惰な生活を送ることになるとは思ってもみなかった。


 大学のキャンパスよりも、家の中。


 厳密には、とあるゲームの記憶しか、最近はない。


 それもこれも最近、発売された面白すぎるゲームが悪いのだ。




 タイトルは『And the witch created another world』。


 魔女の烙印を押されたスカーレットが裏切られた母を憎み、壮大な世界を知り、強大な敵として立ちふさがる魔王に対して、仲間と共に挑む物語。




 物語の舞台は、中世ヨーロッパだ。


 魔女狩りが当然のようにあった時代であり、その標的は、主に女性だった。


「大変な時代だったんだなあ」と心のどこかでは思うけれど、私はゲームが楽しければ題材は何でもいいや」と歴史における重大なトピックの熟考を、簡単に棚上げしている。




 さて。


 私はゲームをする上で、一つの矜持があった。




「レベル上げなんて、最低限でいい。物語を楽しみさえすれば、きっとクリアできるはず」


 私は完全なストーリー重視派だった。


 ゲームにおけるプライドを独りごちつつ、今日もずっとコントローラーを握り締めている。




 ・力でねじ伏せる。


 ・知恵で切り抜け、敵を倒す。


 ・仲間を信じる。平和が一番。




 また選択肢が発生している。


『And the witch created another world』の特徴は戦闘や会話のシーンで、いくつもの選択肢が発生することだった。




 重大な分岐点が、いくつもある裏返しだ。


 その選択肢の中には必ず「強さは必要ない」といった意味が含まれる項目があった。


 私は当然、その「強さは必要ない」項目ばかりを選んでいる。




 戦闘を軽視し、物語の進行を優先した結果だ。タイトルから予想するに「力が絶対ではない」と、暗にタイトルが伝えてきているような気もしていて、直勘が私にそうさせていた。


 今。




 画面の中ではスカーレットが咆哮し、倒れている。


 幾度となく見た画面、ゲームオーバーだ。


 仲間が火刑に処される。敵に敗れる。




 味方だと思っていた人物に裏切られる――必ず、バッドエンド。


 私は理解していた。


 スカーレットを含めた仲間のレベル上げを十分に行えば、ゲームは簡単にクリアできるだろうと。


でも、それは、しない。




 一度、決めた信念を曲げてしまえば、ゲーマーの名が廃る。


 これは、意地だ。




「あんた、大学は?」


 扉をノックすることなく、母が私の部屋にぬるりと入り込んできていた。


 ゲームの画面をちらりと見て、露骨にため息を吐かれている。




「今日は、休みー」


 嘘だった。


 本当は朝から授業があった。ただ、一度、休んでも、大丈夫だろう。


 何より、ゲームを続けたい。


「こんな場所に洗濯物を置きっぱなしにして。早く片付けなさいよ?」


「ちょっと。お母さん、ジャマ。画面が見えないって」


「ちゃんと洗濯物、片づけておいてね」


「……」


 私は画面から目を離さない。




「聞いてるの?」


「うるさいな。今、忙しいんだってば!」


 母の呆れた声を遮り、私はコントローラーを触り続けた。


 数時間後、画面の右上には『目標:魔王城の最上階へ到達』の文字が躍っている。


 今までの最高記録だ。


 画面の左下には、私が操作する魔女のスカーレットと仲間のHPバーが並ぶ。


 魔王城へのエリア説明が挟まれた。


 見たことのない新展開だ。




「よし」


 私が拳を握ったタイミングでスカーレットが「一度、酒場で、作戦会議を練りましょう」と画面の中で、仲間に持ち掛けていた。


 島長のジョンが経営する酒場に商人たちが集結していた。


 奥の個室で話し合うカットシーンが差し込まれる。




「魔王がいなくなれば観光業は衰退するぞ」


 ジョンはスカーレットを睨みつけていた。


「恐怖こそが、金を生む。だからこそ魔王は島に必要な存在だ。対して、魔女は……」


 ジョンが、追撃する。


 私はいつものように話を聞き流すだけで展開が先に進むイベントだと油断していた。


 だが。


『隠し条件を達成:全体の平均レベル15未満で進行中。ジョン急襲ルートに分岐』


 急に、ジョンが席から突然立ち上がり、その手に持つ刃でスカーレットの胸中を貫いている。


「魔王は歓迎だが、魔女は邪魔だ。ここで消えてもらおう」


 戦闘開始のベル。


 敵になったジョンが先手を取った。


 体力が半減した状態で、スカーレットは戦う。前提として、スカーレットの回避率は低く、ジョンの攻撃力は、高い。相手の連撃で、次々と仲間が倒れていく。


 画面左下ではHPバーが赤く点滅が繰り返され、コマンドの「逃げる」は暗転し、選べなくなっている。




『条件未達成:レベル20未満であるため、強制敗北』


 不条理だ。




 私はコントローラーをベッドの上に放り投げていた。


 画面上では、序盤にあったスカーレットの母が火刑に遭う場面が何度も流れている。


 炎が広がり、群衆の話し声が重低音に移り変わり、ヘッドホンを身につけた私の耳朶で増幅されていった。火の中にいる人物がいつの間にか、スカーレット本人に切り替わり、魔王の影が玉座へと歩む姿が、最後に映った。


 ――魔王は涙を流し、それでも島に君臨し続けた。


 字幕が入り、島の遠景から徐々にズームアップされた魔王城が崩れ落ち、地へと還り、


 画面は黒くなっていく。


 ゲームオーバー。




 私はゲーマーとしての誇りを捨て、攻略情報を探すことにした。


 だが、どれだけ探しても、答えは見つからない。


『And the witch created another world トゥルーエンド』


『魔王討伐 攻略』


『スカーレット 最後はどうなったか』


 たしかにネット上には、攻略情報が溢れていた。


 それでも『And the witch created another world』のゲームに関して、はっきりとしたクリアまでの攻略方法がどこにも書かれていない。


 掲示板には「必ずバッドエンドになる」「救いは存在しない」などのコメントが書かれていた。動画サイトには「スカーレットの母が火刑に処されるシーン」ばかりが並ぶ。


「……誰も、スカーレットを救えていない」


 どこか、私の心を締め付けていた。


 しばらく攻略方法の検索に夢中になっていると、またいつの間にか部屋の中に入ってきたのだろう母の声がし、「大学は?」と凄まれる。うっとうしい。


 それで仕方なく、私は現実世界でしばらく大学生をすることに、した。


 遅刻はしたが、夕方の講義は出席できた。


 すぐに大学から戻り、私はまたしてもコントローラーを握っている。


 やはり選択肢が発生するイベントが、ゲームの中では今回も頻繁に発生している。


 ここで私は前回とは異なる思考方法を取った。




「戦闘をしない選択」よりも「仲間を信じる選択」を優先させた。


 戦闘を歓喜するような返答を控えているせいで、スカーレットのレベルは中々、上がらないのでは、と予想していた。


 ゲーマーならではの知識を活かし、最低限のお金で、最大限のアイテムを店で、購入し、魔王城に乗り込んでいく。




「力でねじ伏せてやる」


 黒い影しか見えない魔王に対して、スカーレットは私のコントローラーによる意志を汲み取り、こう言い返した。




「仲間を信じる。それがすべてよ」


 その瞬間、画面が揺れ、私は地震が発生したのか、と慌てる。


 机に乱雑に置かれた物は、何も落ちていない。


 本棚を見る。一冊も、下に落ちていない。


 私の視界だけが、揺れている。


 今度はヘッドホンからノイズが走り、私の目の前には文字が浮かび上がるようにして、出現している。




『隠し条件をクリア:あなたは選ばれました』


「え……?」


 画面から、数多の光が溢れていた。


 部屋の壁も机も消え、炎の赤が視界を覆う。


 熱い。


 耳に届くのは群衆の罵声だった。


 目の前には、縄で縛られた母の姿。いや、これは、私の母でない。


 スカーレットの母だ。




「……ゲームの中?」


 私は息を呑む。


 炎は轟々と唸りを上げ、スカーレットの母を業火で包み込んでいく。


 その熱気が私の皮膚を突き刺すようにまとわりついてくる。


 焦げた木材と髪の匂いが入り混じる。


 鼻腔をひん曲げるような悪臭も遅れて押し寄せてきた。




「魔女だ。狩ってやれ!」


「いけいけ、正義のために!」


 群衆の幾百もの喉が一斉に震え、地鳴りのような圧力となって、私の胸を押し潰す。




 これは。


『And the witch created another world』で何度も観た光景だった。


 肩をすくめても、背を丸めても、逃げ場はない。


 スカーレットの母は縄に縛られ、炎に包まれながらも、まっすぐこちらを見ていた。


 その瞳は熱で潤み、涙か汗か分からぬ光を宿している。


 激痛だろう。




 だが、スカーレットの母は微笑みを絶やさず、唇を動かし続けている。


「愛している」


 声にならない言葉が、炎よりも鮮烈に、私の胸を焼いた。


 ゲームをしていただけでは分からなかった母の愛が、眼前には、ある。


 スカーレットの母は全身を業火に包まれ、私は現実から目を背けるために、瞑目した。


 しばらくして群衆の声が収まり、私はまたゆっくりと目を開ける。


 眼前には、黒い灰しか残っていなかった。


 群衆は帰路につこうと、ぞろぞろと処刑場から離れていく。




 その場には、私独り。


 手元に、コントローラーは、ない。


 強く、自覚する。




『And the witch created another world』の世界に吸い込まれたのだと。


 この世界の構造なら、よく知っている。


 未来も知っている。バッドエンドも知っている。


 ただ――本当のエンディングだけは、まるで知らない。


 だったら、私は。絶対にトゥルーエンドを見届けてやる。


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