百獣の王 (短篇)
ぷたぱん
百獣の王 (短篇)
小さな丘の上、
彼は夕日を背にサバンナを見つめている・・・
風に乱れるたてがみは、
王者の風格を醸し出す。
咥えた”獲物”から滴る血のしずくは、
勝者の証。
「ライオンだー、逃げろー」
サバンナの静寂は叫び声に破られた。
動物たちは四方八方に逃げ出す。
誰もがどうか自分だけは、
狩られないようにと、
神に願いながら必死に走る。
そう、このサバンナを支配するのは、
一匹の雄ライオン。
群れのボスであるその雄ライオンは、
基本狩りに参加しないが、とても強い。
かつてゾウの腹を裂いた、
その牙と鋭い爪は飾りではない。
ほかの動物たちから恐れられている、
まさに王様のような存在だ。
逃げ回る草食動物たち、
追いかける数匹のメスライオン、
その働きぶりを見守る雄ライオン、
少し離れて様子を伺うハイエナの群れ。
そんなサバンナの日常風景を、
彼は小さな丘から見つめている。
(逃げ回る生き方しかできない腑抜けどもが)
彼がそう考えたとたん、
「ママー、助けてー」
悲鳴が聞こえた。
彼はすぐさま悲鳴がした方向へ駆け出した。
一匹の子シマウマの周りを、
六匹のライオンが囲い、
うち一匹が、その後ろ足に噛み付いている。
すぐに別のところからも、
悲鳴が上がった。
「助けてください、お願い誰かー、娘を助けてーぁぁああー」
母シマウマらしき者が、
必死に助けを乞う姿が見える。
その近くに慰める者はいた、
しかし、助けに行こうとする者はいなかった。
だって、ライオンに敵うわけがないだもの。
鋭い爪に裂かれて、
牙で貫かれて終わり。
自ら食われに行くようなもの。
誰もが自分の命は惜しい。
捕まったのは自分じゃないことに、
みんな内心安堵している。
「ママー、痛いよー」
また、子シマウマの悲鳴が、
聞こえてきた。
その情景は、
かつての自分に少し重なる。
後ろ足をライオンに噛まれ、
幼かった彼は、悲鳴を上げた。
すぐさま母がライオンに体当たり、
自分から突き離してくれた。
「走れー、振り向くな、走れー」
母の叫び声に押され、
彼は夢中で走った。
しばらくして、小さな丘に着いた。
ライオンが追ってきた気配はない。
後ろを振り返り、母の姿はなかった。
丘から辺りを見渡し、母を探した。
視線の遠くで、
赤く染まった地面に倒れた母と、
囲むライオンの群れが、
見えたのだった・・・
唯一の家族を失った彼は、
それ以来ずっと独りぼっちだった。
なぜなら、彼は生まれた時から、
父の姿を見たことがない。
父はどこの誰で、
その生死もすべて知らない。
彼のたてがみは、
黒混じりの金色で、
長く柔らかい、風によくなびく
体の毛色も金色っぽく、
まるでライオンのようだ。
シマウマ特有の縞模様は、
片足だけに付いている。
そのヘンテコな見た目のせいで、
シマウマの群れからは、
いつも仲間外れな待遇を受けてきたのだ。
ほかの草食動物からも避けられていた。
なぜ神様は弱肉強食の世界を、
作ったんだろう・・・
なぜ自分は狩られる存在として、
生まれたんだろう・・・
なぜ自分は醜い見た目で、
生まれたんだろう・・・
彼は運命を受け入れられなかった。
苦しみに溺れる彼は、
無意識に紛らわすため、
体を動かし続けた。
あっちこっち、様々な地形を走り抜け、
気が付けば彼は成長し、
ほかのシマウマよりも、
体が一回り大きくなった。
サバンナのほとんどの動物より長く、速く、
走れるようになった。
歳月が彼の苦しみを拭ってくれた。
埋めあわせるように、
芽生えたのは復讐心だ。
世界は変わらない、自分が変わろう。
彼は狩る存在になろうと心に決めた。
毎日丘に登って、サバンナを見つめ続けた。
ライオンが現れた時は、
しっかり観察した、やつらはどのように、
狩るのかどのように戦うのかを。
そうやって彼は毎日頑張ってきたのだ。
そして気づいた、
ライオンが目の前の獲物に集中する瞬間こそが、
自分にとってのチャンスだと。
それは長年勝ち続けてきた、
絶対王者だからこその油断である。
彼は、ライオンの群れがいる方向に向かって、
疾風の如く丘を、駆け下りていった。
子シマウマを助けるためではない。
復讐心を燃やす彼に、
優しさを持ち合わせる余裕はない。
子シマウマは、
ライオンの油断を誘う囮なのだ。
岩に擦りつけ鋭く研いだ歯と蹄は、
捕食者の牙と爪を彷彿させる。
待ちに待った好機を絶対に逃さない。
不意打ちは一度しか通用しないからだ。
持久力はこっちに分があるが、
爪と牙に気を付けなければならない。
決して喉と腹を見せてはいけない。
そのためには止まらず走り続けるんだ。
持久力を活かして翻弄してやる。
覚悟を決めた鋭い眼光に迷いはない。
もう目の前、
ライオンどもは目の前の獲物に夢中だ。
子シマウマを囲ってメスライオンが五匹、
ボスの雄ライオンは少し離れている。
彼はスピードを落とさず、
ライオンの群れに突っ込んんだ。
無防備で喰らわされる、
時速70キロの衝突は凄まじい。
二匹のメスライオンが、
遠くへ突き飛ばされた。
うち一匹が衝撃で気絶したまま、
頭から着地の衝撃で、
首を折ってそのまま絶命した。
もう一匹は気絶こそしなかったが、
足が折れ、もう戦えない。
勢いそのまま、
彼は前足の着地を支点にして、
体を回転させ、
慣性の勢いを後ろ足に移し、
子シマウマの後ろ足に噛みついている、
メスライオンの喉に目掛けて、
強烈な蹴りを繰り出した。
メスライオンは尖がった蹄に首を貫かれ、
後ろに倒れながら絶命した。
意外すぎたその一瞬の出来事に、
誰もが唖然とした。
何が起こったか、
すぐには理解できなかった。
動いたのは雄ライオンだ。
「お前ら退けー」
メスライオンに命じた。
残った二匹のメスライオンは、
雄ライオンの後ろに下がった。
足が折れたメスライオンは、
足を引きつって付いていった。
「誰も手を出すな、俺の獲物だ、なぶり殺してやらー」
雄ライオンは、続けて命じたと同時に、
彼に向けて殺意の咆哮を飛ばした。
地鳴りのような咆哮は、
彼を通り抜けサバンナに響き渡り、
動物たちを震え上がらせた、
だが、彼には全く効果がなかった。
手を出すなとは、
絶対王者ならではの自信。
自然の摂理に従い、
身の丈を知らぬ獲物に裁きを下し、
群衆に王者としての威厳を、
示さなくてはならない。
彼にとって、
それは、願ってもない好都合だった。
彼は暴君と言葉を交わすつもりはない。
ただ、じっと、
睨みつけて決して離さない。
雄ライオンは彼に向かって突進した。
彼も迎え撃つように小さく走り出した。
ライオンの戦い方は、
もう飽きるほど観察した。
一気に飛び付き、
前足の爪でがっしり掴んで、
喉を噛み切り、後ろ足の爪で腹を引き裂く。
突然彼は90度方向転換して横に走り出した、
誰の目にも敵前逃亡に映った。
(獲物は所詮獲物、土壇場で恐れをなして逃げ出しやがったな、絶対に殺してやる)
雄ライオンは心の中で勝利を確信した。
”獲物”が逃げた方に転換して加速した。
彼は背後に、
近づいてくる気配を感じた。
自分は全力で走っているのに、
追いつかれそうだ。
だが曲がらず、
このまままっすぐ全力で走り続ける。
前足を横に出させないためだ。
最高速度はライオンの方に分がある。
だが長く持たない、
その上、
一度全力で走ったら、
しばらく回復しない。
(前足に捕まってしまっては、厳しい戦いになるだろう、いや恐らく終わりだ)
紙一重ギリギリの勝負に、
彼は神経を研ぎすます。
(この瞬発力から誰も逃げられない)
”獲物”に追いついた雄ライオンは、
前足を若干斜めに伸ばして、
首に目掛けて一気に飛び付いた。
その刹那、彼は何度も練習した通り、
急に斜め方向に横移動した。
雄ライオンの渾身の大技は空を切り、
勢い余って、彼の斜め前に飛び出た。
彼は、雄ライオンに、
体勢を立て直す時間を与えなかった。
体当たりで雄ライオンを、
横向きに倒し、
自分の体重で、
そのまま地面に押し付けた。
動けない雄ライオンの、
喉元に噛みついた。
鋭利に研いだ歯は、
まるで刃物のように、
雄ライオンのたてがみをせん断し、
喉の皮膚と肉を切り裂いた、
出血した、だが、傷はまだ浅い、
彼はひたすら噛み続けた。
劣勢に立たされた雄ライオンは、
助けを呼ぶわけにはいかない。
強さを示せなくては、
今後の狩りに支障が、
出るかもしれないからだ。
雄ライオンは必死に、
四肢をばたつかせ、
体勢の逆転を狙う。
立ち昇る砂煙が戦場を包んだ。
しばらくして静かになった、
風が砂煙のベールを脱がす。
頭部のない雄ライオンの屍が横たわる傍らで、その頭部を咥えた一匹の馬が立っていた。
風に乱れるたてがみは、
王者の風格を醸し出す。
咥えた”獲物”から滴る血のしずくは、
勝者の証
目の前の現実に、
草食動物たちは、
恐怖の表情を浮かべている。
ボスの敗北を理解したメスライオンたちは、
逃げ始めている。
「助けてくれてありがとう」
どうやら噛まれた子シマウマは、
結果的に彼によって助かったようだ。
だが、復讐の鬼と化した彼は、
紳士ではない。
子シマウマの方を一瞥したあと、
雄ライオンの頭部を、
群衆の方へ放り投げた。
続けて彼は、
地鳴りのような咆哮を、
サバンナに響かせる
「腑抜けどもよ、これからは俺が王だー、不服の者はおるかー」
放たれた王威に凍てつく群衆は、
無言で下を向いた。
そこへ一匹のハイエナが、
前に出て、言葉を発した
「最強の王よ、あなたに逆らう者はおりません」
彼はハイエナを一瞥した。
「やつの屍をやる、好きにしろ」
「ありがたき幸せ」
ハイエナは頭を低くして答える。
辺りが少し暗くなり始めた。
小さな丘の上、
彼は夕日を背にサバンナを見つめている・・・
百獣の王 (短篇) ぷたぱん @phuterpen
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