第1話 アーカイブ担当の記録【壱】
分類作業ログ 第7地下書庫 担当:観測員D-2241
作業日:崩壊歴47年 霜月12日
対象資料: エコー関連記録 分類番号E-0001〜E-4892
作業内容: 時系列整理、劣化資料のデジタル化、欠損データの補完可否判定
今日から第7地下書庫の整理に入る。ここには崩壊初期の記録が保管されているはずだ。上層部から「エコー関連資料の体系的な再分類」を命じられて三週間。ようやく最深部まで辿り着いた。
湿度管理が不十分だったのか、紙資料の劣化が激しい。手袋をしていても紙の端が崩れる。電子データも同様で、古い記録媒体は読み取り不能なものが多い。
それでも、作業を進めるうちにひとつ気づいたことがある。
記録には時系列がある。当然だ。E-0001が最古で、番号が増えるほど新しい。問題は、その内容の変遷だ。
E-4521(崩壊歴43年):
エコー目撃報告。セクター9、廃棄区画Bにて。時刻は14:32。対象は半透明の人型、推定身長170〜180cm。移動速度は歩行程度。接近時に気温低下を観測(-3.2℃)。視認距離およそ40m。15秒後に視界から消失。消失時に残響音あり。
詳細だ。数値まで記録されている。これが4年前の報告。
では12年前はどうか。
E-2847(崩壊歴35年):
エコーを確認。第3廃墟区域の建造物内部にて。夕刻。人のような影が壁際を移動していた。接近を試みたが姿を消した。
まだ具体的だが、数値がない。「人のような影」という表現に曖昧さがある。
さらに遡る。
E-0892(崩壊歴19年):
何かがいた。確かにいた。
たった一行。
個人ログ D-2241 霜月12日 深夜
私がこの施設に来てから、もう8年になる。
最初の5年間はフィールド観測員だった。外周セクターの巡回、廃墟区域の探索——若い頃は体力があったから、そういう仕事を任された。しかし3年前、探索中に足を負傷してからは内勤に回された。今の仕事は、地下書庫に眠る古い記録を整理することだ。
アーカイブ担当。地味な仕事だ。
施設には200人ほどが暮らしている。フィールド観測員、通信担当、技術班、医療班、そして私のような記録管理の人間。食堂で顔を合わせることはあっても、深く話すことは少ない。みんな自分の仕事で手一杯だ。
今日も夕食後に書庫へ戻り、一人で作業を続けた。地下7階。蛍光灯の明かりが時々ちらつく。湿った空気の中、埃っぽい紙の束と向き合う。誰も訪れない場所だ。
それでも、私はこの仕事を嫌いではない。
記録を整理するということは、誰かがここにいた証を守ることだ。崩壊で失われたものは多すぎる。家族も、友人も、かつての暮らしも。私自身、崩壊前の記憶はほとんど残っていない——幼すぎた。覚えているのは、灰色の空と、逃げ惑う大人たちの背中だけだ。
だからこそ、記録には意味がある。ここに誰がいて、何を見て、何を考えたのか。それを残すことが、私たちが存在した証になる。
……少し感傷的になってしまった。本題に戻る。
不思議なことに気づいた。
エコーの記録は、新しいものほど詳細になっている。これ自体は不思議ではない。研究が進めば観測手法も洗練される。後発の観測員は先人の知見を参照できる。詳細化は自然な帰結だ。
しかし、詳細化のパターンに違和感がある。
E-4521を書いたセクター9の観測員は、「半透明の人型」と記述している。E-4380(同年の別の報告)も「半透明」と書いている。E-4102も、E-3998も。
「半透明」という表現が初めて現れるのはE-2103(崩壊歴28年)だ。それ以前は「影のような」「輪郭が曖昧な」「そこにいるような気配」といった表現が使われている。
E-2103以降、突然全員が「半透明」と書き始めた。
まるで——誰かがその表現を使い始めて、後続の観測員がそれを参照したかのように。
考えすぎだろうか。
分類作業ログ(続) 霜月13日
E-0001〜E-0500の調査を開始。
最初期の記録のほとんどが破損している。読み取れるものを抜粋する。
E-0023(崩壊歴3年):
外周セクターより報告あり。観測対象不明。詳細は追って記録する。
——追記なし
E-0089(崩壊歴5年):
気配。それ以外に言いようがない。振り返ると誰もいない。しかし確かに、誰かがいた。
※この報告は観測員K-0041によるもの。K-0041はこの報告の翌月に失踪。
E-0156(崩壊歴7年):
私はこれを「エコー」と名付けることを提案する。残響。反響。そこにいた誰かの、残り香のようなもの。
——観測員 A-0001
A-0001。この識別番号が、エコーという名称の起源らしい。
A-0001。最初期の観測員。記録上、最も古い識別番号。
この人物について調べてみたが、個人ファイルが見つからない。人事記録にも名前がない。識別番号だけが、様々な記録に引用されている。
個人ログ D-2241 霜月13日
昼食時、通信担当のC-0892と少し話した。彼女は各セクターからの定時報告を受信する仕事をしている。
「セクター7の通信、最近不安定でね」と彼女は言っていた。「まあ、よくあることだけど」
セクター7は、ここから最も遠い施設の一つだ。通信が途切れることは珍しくない。中継機器の老朽化、悪天候、様々な理由がある。それでも、途絶したセクターがそのまま音信不通になった例もあると聞く。外の世界は依然として危険だ。何が起きているのか、ここからは分からない。
私たちにできるのは、記録を残すことだけだ。
……話が逸れた。本題に戻る。
今日、奇妙な記録を見つけた。
E-0412(崩壊歴11年):
本日のセクター4巡回において、エコーは観測されなかった。前回報告(E-0398)で言及された地点を重点的に調査したが、いかなる異常も確認できず。
補足:私は、エコーの実在に疑問を呈する。これまでの報告を精査したが、客観的な観測データが皆無である。全ての報告が主観的な「感覚」に基づいている。組織として、この現象の実在性を再検証すべきではないか。
——観測員 F-0088
この報告の後、F-0088の記録は途絶えている。
失踪か。退職か。死亡か。
記録がない。
他にも「エコーを見なかった」「エコーの実在を疑う」と書いた観測員がいないか検索してみた。
7件見つかった。
7件すべて、その報告を最後に記録が途切れている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます