婚約破棄された王太子妃候補ですが、私がいなければこの国は三年で滅びるそうです。

カブトム誌

第1話

 王城の大舞踏会は、今夜も華やかだった。


 金色のシャンデリアが天井から降り注ぐ光を反射し、絹のドレスと宝石がきらめく。貴族たちの笑い声、グラスが触れ合う澄んだ音楽。そのすべてが、私にはひどく遠く感じられた。


 私は壁際に立ち、淡い水色のドレスの裾をぎゅっと握りしめていた。


 エリシア・フォン・リーネ。

 王太子妃候補として、この場に立つことを許された女。


 ……いいえ。

 今夜、その肩書きは失われる。


「エリシア・フォン・リーネ!」


 低く、よく通る声が舞踏会場に響いた。


 音楽が止み、ざわめきが一斉に静まる。

 視線が集まる先――王太子、レオンハルト殿下が、玉座の前に立っていた。


 冷たい金色の瞳が、まっすぐに私を射抜く。


「前へ出よ」


 逃げ場はない。

 私は一歩、また一歩と歩みを進め、広間の中央に立った。


 無数の視線が、刃のように突き刺さる。


「この場を借りて、皆に告げる」


 殿下はそう前置きすると、私を一瞥し、はっきりと言い放った。


「――私は、エリシアとの婚約を、ここに破棄する」


 一瞬の静寂。

 次の瞬間、どっとざわめきが広がった。


「やはりか」

「無能だと噂されていたものね」

「王太子妃には相応しくないわ」


 ひそひそと囁く声が、容赦なく耳に届く。


 胸の奥が、じくりと痛んだ。


「理由を、伺ってもよろしいでしょうか」


 震えそうになる声を、必死で抑える。

 殿下は鼻で笑った。


「理由? 簡単なことだ」


 彼は一枚の書状を掲げた。


「お前は王国に虚偽の報告を行い、魔力検査の結果を偽装していた」

「さらに、聖女候補リリア嬢に嫌がらせを行った罪がある」


 ――嘘。


 喉が、ひくりと鳴った。


「そのような事実はございません」

「私は一度も、検査結果に手を加えてなど……」


「黙れ」


 殿下の一喝が、私の言葉を遮る。


「証言も証拠も揃っている。見苦しい言い逃れはやめろ」


 殿下の隣に立つ少女――白銀の髪を持つリリアが、潤んだ瞳で一歩前に出た。


「エリシア様……どうして、こんなことを……」

「私は、ただ殿下のお役に立ちたかっただけなのに……」


 その姿に、貴族たちから同情の溜息が漏れる。


 ……違う。

 彼女は、私を見てなどいない。


 私の背後で、誰かが嗤った。


「魔力も低く、派手なスキルもない」

「地味で役立たずな令嬢を、これ以上王家に置く意味はないだろう?」


 殿下は冷酷に続ける。


「よって、婚約破棄に加え、エリシア・フォン・リーネを王都より追放する」


 追放。


 その言葉が、胸に落ちた瞬間――不思議と、涙は出なかった。


 代わりに、頭の中が静まり返る。


 ……そう。

 この国は、私を不要だと言うのね。


「異議はあるか?」


 殿下が問いかける。

 誰も口を開かない。


 私は、ゆっくりと顔を上げた。


「……承知いたしました」


 その声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。


 貴族たちが、ざわりとする。


「ただし」


 私は殿下を真っ直ぐに見つめる。


「一つだけ、申し上げておきます」


 殿下の眉が、わずかに動いた。


「私がこの国を去った後、何が起きても――」

「どうか、後悔なさらぬよう」


 意味を理解した者は、この場にはいない。


 けれど。


 この国を支えていた“仕組み”は、確かに私と共にあった。


 私は一礼し、踵を返す。


 背後で囁き声が渦巻く中、王城の扉へと歩きながら、心の奥で静かに呟いた。


(さようなら、愚かな国)


 ――その夜から、王国の歯車は、確実に狂い始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る