第13話

 

 いつ終わるとも分からない関係は、年が明けても続いていた。


 底冷えのするような二月。大学は春休みに入っていて、バイトのシフトを増やしていた。長期休暇はまとまった額のお金を稼いでおけるのだ。

 母には、実際よりも多くバイトのシフトを増やしたと言っていた。そんな嘘をつくのは、正直辛かった。そうしてでも、創介さんに会う時間を作りたかったのだ。


 この日は、数少ないバイトのない日だった。空はどんよりと厚い雲に覆われて、体感温度はかなり低い。次年度も授業料免除の認定がおりて、その手続きをするため大学に来ていた。

 

 手続きを済ませて学生課のある棟から出ると、そこにユリさんが立っていた。あの日、私をパーティーに連れて行ったクラスメイトだ。一瞬息をのみ、無言のまま立ち止まる。


「今日なら、戸川さん、大学に来るかなって思ったんだけど。会えてよかった」


会えたことを喜んでいるとは到底思えない表情で、瞬き一つしない鋭い視線を向けて来た。創介さんと一緒にいるようになって、私は意識的に彼女と出くわさないようにしていた。一番、会いたくない人だった。


「最近小耳にはさんで、本当にびっくりしちゃって。まさか、戸川さんがそんなタイプの人だと思わなかったから」


何も言葉を発せないでいる私に、彼女は一歩一歩、近付いて来る。


「創介さんと、会ってるんだってね」


私の真正面で歩みを止めると、睨むようにして言い放った。


「どんな手を使ったの? 詳しく教えてよ」


私よりほんの少し背が低くて愛らしい顔をしているユリさんが、そんな面影もないほどの険しい顔で私を見る。


「絶対捨てられると分かっていても、それでも一緒にいたいほど創介さんに溺れちゃったわけ? そうだよね。創介さんの身体、スゴイもんね。初めての快感にやみつきになって、理屈より身体が求めちゃう?」


汚れ一つない真っ白なコートに、キャメル色のバッグ。整えられた髪と綺麗な肌を持つ彼女は、どこからどう見ても良家のお嬢様だ。そんな彼女の口から出たとは思えない言葉に、私は思わず目を伏せる。その口調は、敵意に満ちていながらもどこか憐れみも滲んでいた。


「だけど、戸川さんは創介さんのこと全部分かってるの?」


黙ったままの私に、ユリさんは歪んだ笑みを向けた。


「世間知らずって本当に幸せね。創介さんが、丸菱まるびしグループの創業家の人間だって分かっていて一緒にいるの? こんな言い方は失礼かもしれないけど、創介さんはあなたのような家の人が近付けるような、ましてやまともに交際出来るような人じゃないのよ」


そんな――。


声にもならなかった。頭を思い切り強く鈍器で殴られたかのような衝撃が自分の中に広がる。


――丸菱グループ。


知らない人などいない。旧財閥系の、あらゆる業種の企業を傘下に持つ、日本でも1、2を争う大企業だ。

創介さんがただの庶民でないことくらいは分かっていた。だから常に覚悟もしていた。


でも、まさか――。


それほどとは想像すらしなかった。自分の浅はかさを笑い飛ばすことも出来ない。震えて崩れ落ちてしまいそうになるのを必死に堪える。


「それとも、上手く玉の輿に乗れるかもとか?」


彼女の嘲笑が、身を刺すような惨めさで心を一杯にする。


「絶対にそんなことあり得ないのよ。そんな次元の人じゃないの。創介さんがあなたみたいな人を相手にするなんて、そんなのただの気まぐれ。高級料理に飽き飽きしてたまに食べてみたくなるジャンクフードと一緒。でも、それを食べ続けることは出来ないのよ」


もう彼女の言葉は何一つ耳には入って来ない。


一体、私は何をしていたの? 創介さん、どうして――?


「こんなことを言うのは、あなたとは生きている世界が違う人たちのパーティーに連れて行ってしまった私の罪滅ぼし」


立ち竦んだままの私に憐れむような目を残して、ユリさんは目の前から消えた。


 整備されたキャンパスはいつもと変わらないのに、私にはただ寒々としたものにしか見えない。


早く、創介さんに会いに行かないと――。


マンションに行くと約束しているのだから、行かなければならない。


でも、どんな顔をして会えばいい――?


頭の中が激しい動揺に襲われて、上手く働かない。恐ろしくて少しも動けない。それでも会いたいと思ってしまう。そんな自分に自棄になって訴える。


何も、変わらない。最初から捨てられることなんて覚悟していたのだから結末は変わらない。


創介さんの家が、思っていた以上に格の高い家だったからと言って、一体何が違うの――?


いろんな思いが次々駆け巡る。


でも、本当にこのまま会い続けられる……?


混乱する頭で、結局この足は創介さんのマンションへと向かっていた。


 地下鉄六本木駅からほど近い、高層マンション。大学生にして、そんなマンションの一室を与えられているのだから、ちょっとやそっとの家ではないはずだ。それに、どんなに乱暴な言葉遣いや態度でも、創介さんを纏う雰囲気はどこか不思議と品があった。


そんなこと、今頃思うなんて――。


結局、自分の都合の悪いことから目を逸らしていただけだ。


いつか終わる。そう覚悟が出来ていたのなら、その時は今なのかもしれない――。


きっかけがなくて、創介さんの傍にいる幸せを失いたくなくて、この曖昧な関係について考えないようにしていた。

 でも、創介さんも三月には大学を卒業して社会人になる。これまでと同じではいられないはずだ。


ちょうど潮時なのかもしれない。


そう思うのに、あの人の温もりばかり思い出す。


 自分勝手で強引で。なのに、時折見せてくれる不器用な優しさのせいで私はこんなにも弱くなってしまった。


 どんなに顔を上げてみても、そのてっぺんはよく見えないマンションの前で立ち止まった足を翻す。


今会えば、きっと私は泣いてしまう。


元来た道を走った。





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