傾国の美女になったようですが、なにかがおかしい
久遠れん
傾国の美女になったようですが、なにかがおかしい
ふ、と目が覚めた気がした。
ぱち、と瞬きを繰り返す。
ここはどこだろう、そう思った瞬間、脳裏に流れ込んできた膨大な記憶。
人生にして二十三年分の記憶に頭がくらくらする。
額を抑えてよろめいた私は、部屋に置いてある巨大な鏡に手をついてしまった。
視線を上げると、鏡の中には絶世の美女と呼んでいい、美しい女性がいた。
美しく伸ばされた長い黒髪、ぱっちりとした二重の瞼の奥の瞳はエメラルドグリーン。
信じられないくらい胸が大きくて、引き締まるところは閉まったボンキュッボン。
控えめにいって、爆美女だ。
どうしてこんな美女が私の部屋に? と思って首を傾げると、鏡の中の美女も首を傾げた。
「えっ」
驚きで思わず声が零れ落ちる。鏡の中の誰かも驚愕の表情をしている。
恐る恐る鏡に手を伸ばした私は、唖然とせざる得ない。
「こ、れが……私……?」
どうやら私は、異世界の爆美女に生まれ変わっているらしい。
そういえば、最後の記憶が仕事で疲れ果てて職場で気を失ったところで止まっているけれど、まさかあれで死んだの、私?! 死因、過労なの?!
私の意識が入り込んだ美女はベランジェール・レストゥーという名前の王妃様らしい。
記憶の中から掬いだした情報だ。
臣下たちから『国の宝』と呼ばれる絶世の美女である。
元は隣国の王女だが、祖国が戦争で負けたことで、この国に嫁に入ったらしい。
(これだけのナイスバディにこの美しさ。そりゃあ私を巡って戦争も起こるよねぇ)
うんうん、と私は一人頷いた。
それにしたって、この美女、どこか見覚えがある気がする。どこだろう。
(こう、喉元に引っかかってるなぁ)
はっきりと思い出せないけれど、既視感がすごいので、確かに知っていると思うだけれど。
唸っていると部屋の扉がノックされる。
即座に王妃としての笑顔に切り替えた私の前で、メイドが入室の許可を求める。
「どうぞ」
甘くて涼やかな声が自分の口から零れ落ちるのは、どこか違和感がある。
メイドが扉を開け、頭を下げた。
「陛下が夕食を共に、とのことです」
「すぐに行きます」
あ、そっか。私、王妃だから、相手は陛下なのか。
納得して、一度鏡へと振り返る。身だしなみが乱れていないのを確認して、食堂へと向かった。
「遅かったな。ベランジェール。体調が悪かったのか?」
切れ長の目元、優しげな微笑み。年のころは二十代の半ばくらい。
私の伴侶であるレストゥー王家の国王、セルジュ様の言葉に私は僅かに目を見張った。
(思い出した! 乙女ゲーだ!!)
前世で通勤中の数少ない自由時間に、スマホでぽちぽちプレイしていた乙女ゲー。
『救国の聖女の甘い果実』の攻略キャラが目の前にいる。
私の一押しは滅びた隣国の王太子だったけど、あれ、もしかしてその姉?! ってことは。
(私、国を滅ぼす悪女……?!)
綺麗な笑みを浮かべる裏で、国を滅ぼされた恨みを胸の内でたぎらせ、国王であるセルジュ様たちを始めとする国の中枢メンバーを破滅に追いろうとする悪役では?!
その結果、ヒロインである聖女に罪を糾弾され、処刑台送りになる、あのベランジェールでは?!
青ざめた私の前で、セルジュ様が慌てたように椅子から立ち上がり、私に駆け寄ってくる。
「やはり体調が悪いのか?!」
「い、いえ、そのようなことは……」
強がっては見たが、思い出した記憶に引っ張られて気分が悪い。
口元を抑えてよろけた私を、セルジュ様が支えて下さる。
「すぐに医者を呼べ! 大丈夫だからな」
「はい……」
やさしく語りかけられ、浅く頷く。ああ、これからどうしたらいいんだろう。
医者には貧血だといわれ、ベッドで横になりながら、私は考える。
ゲームの中のベランジェールは常に穏やかに笑っていた。
その裏でえげつないことをしていたけれど、表面上は穏やかなキャラだった。
だったら! 断罪される前に我儘三昧をして、追放されてしまえばいいのでは?!
タイムリミットは聖女が現れるまで! 聖女が出てくる前に合法的にこの国を出ればいい。
気づいた私は、一縷の望みをかけて、明日からあえて我儘を口にしようと決めた。
今までのベランジェールはとても奥ゆかしい王妃だったから、困惑されそうだけれど、愛想をつかされて放逐される方が殺されるより何倍もいい。
そんなわけで! 本日より、私、ベランジェールは我儘王妃になります!
最初のターゲットは陛下であるセルジュ様。
優しい彼にこういうことをするのは心が痛むけれど、命がかかっているので仕方ない。
手段1。それは『塩対応』
「ベランジェール、今日も美しいね」
「……」
「おや、ご機嫌斜めかな。そうだ、庭園の希少なバラが綺麗に咲いたんだ。後で部屋に飾らせよう」
「結構です」
「そうかい?」
こんな感じ。とにかくそっけなく、塩対応を心掛ける。
だが、セルジュ様は全く気にした様子がない。
どんどん話しかけられて、私の心に罪悪感という名のダメージが蓄積していく。
こうなったらターゲットを変えるしかない。
次の標的は宰相であるモーリス様。
モーリス様はセルジュ様の三歳年上で、幼馴染だ。そんな彼に嫌われれば、きっとセルジュ様の態度も変わるはず。
手段2。それは『浪費家の王妃を演じる』
「モーリス、新しいドレスが欲しいの。そうね、五着は欲しいわ」
「かしこまりました。予算を手配いたしましょう」
「……靴とアクセサリーもよ。同じだけほしいわ」
「かしこまりました。どうぞお好きなものを選ばれてください」
「…………そういえば、隣国で珍しい甘味が見つかったそうね。食べてみたいわ」
「かしこまりました。手配いたしましょう」
ど! う! し! て!
全部頷くの?! イエスマンなの?! いや、ゲームの中ではそんな印象なかったけどな?!
むしろ財政面には厳しかった記憶がある。
趣味:国庫のお金を増やすこと、とか書かれてなかったっけなぁ?!
本音を言えば、ドレスも靴もアクセサリーもいらない。
ただでさえ、衣装部屋から溢れんばかりなのに。
あれ? どうしてあんなに着もしないドレスがあるんだっけ?
「……衣裳部屋のドレス、どうしてあんなに増えたのかしら……」
「陛下がベランジェール様を愛しておられるからですよ」
にこにこと笑いながら言わないで! 心が余計に痛くなるわ!!
仕方ないので、私はターゲットをさらに別の人に移した。
今度こそ成功して嫌われてみせる、とこぶしを握り締め、声をかけたのは王国筆頭騎士のダビド。
手段3。「無茶ぶり」
多分、一番ストレートで嫌なやつだ。
私は訓練場で、騎士の鍛錬の指示をしているダビドに近づいた。
「ベランジェール様! どうされましたか! このような汗くさい場所に!!」
大きな声を張るダビドはまだ若い。セルジュ様より二歳年下だから、二十代前半。
それでも筆頭騎士の座にいるあたり、実力のほどがよくわかる。
「ダビド……」
えっと、騎士に対する無茶ぶりってなんだ……?
無茶ぶりをすること、は決めていても、その中身を決めていなかった。
眉を潜める私の前で、ダビドは不思議そうにしている。その筋骨隆々の体をみて、とっさに口が開いた。
「もっと筋肉をつけたほうがよくなくて?」
(いくらなんでも無茶苦茶よ!)
これ以上どこに筋肉をつけるのだ。口にしておいてあんまりな言葉に内心で頭を抱えてしまう。
けれど、ダビドはぱち、と瞬きをした後、豪快に笑いだした。
「はっはっは! ベランジェール様はまだまだ鍛錬が足りないとお考えですか! その通り! 私はまだまだ強くなります!!」
なんだかすっごく前向きに捉えられた。これでは無茶ぶりになっていない!
「……食事をもっと食べては。野菜をたくさん食べるのです」
これでは健康指導だ。
なんだか墓穴を掘りそうな気がして、「はい!」と元気に返事をしたダビドを置いて部屋に引っ込むことにした。こんなはずじゃなかったのに!
内心でため息を吐きつつ、部屋に戻った私は、ローテーブルの上に見慣れない手鏡があるのに気づいた。
真っ白な便箋が置かれていて、ペーパーナイフで開くと、そこにはこう書かれている。
『王妃へ。
頼まれていた真実の鏡をご用意いたしました』
「真実の鏡……?」
鏡面を裏にしておいてある鏡をまじまじと見つめる。そんなアイテム、ゲームの中にでてきたかな。
好奇心に駆られて鏡を持ち上げた私は、そこに全くの別人が映って息を飲んだ。
「っ!」
鏡の中に移ったのは、ウェーブのかかった金の髪を肩口で切りそろえて笑っている、桃色の瞳の女の子。
記憶が正しければ『救国の聖女の甘い果実』に出てくるプレイヤーキャラ、つまり、ヒロインだ。
悪女――私の企みを暴いて、国を救い、攻略キャラと結ばれる子だ。
「ど、ういう……こと……?」
戸惑いが口から零れ落ちる。鏡ではないのだろうか。
裏返してみるが、どうみても手鏡にしか見えない。
眉を潜めつつ、もう一度鏡面を見て、「ひっ」と声を上げた。
「!」
そこには、前世の私が映っていた。
櫛を通してもぼさぼさの黒髪、ろくなスキンケアができなかったから、ニキビのできた顔。思わず手鏡を落としてしまう。その際に鏡面にはひびが入った。
恐る恐るもう一度覗き込む。そこには絶世の美女、ベランジェールが映っている。
混乱する頭で考える。そういえば、聖女であるヒロインがくるまでがタイムリミットだと考えていたけれど、彼女はいったいいつ姿を見せるのだろう。
なんだか無性に不安になって、バタバタと部屋を出る。向かう先はセルジュ様の執務室。
「セルジュ様!」
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
息せき切って部屋に入った私に、セルジュ様が目を丸くしている。
私は呼吸を落ち着けようと、二、三度息を吸い込み、そっと問いを口にした。
「……セルジュ様は、聖女をご存じですか……?」
「なにをいっているんだ」
呆れたような声音に、おかしなことを聞いたのだと知ってほっとした。
まだ、聖女は現れていない。猶予は残されている。
「君が聖女じゃないか」
「……え?」
さらりと発せられた言葉に息を飲む。
私が、聖女……? そんなはずはない、私はベランジェールだ。
「魔術で魂を入れ替えたから、記憶が混濁したのか? スージー、君が望んだからわざわざ遠方から高名な魔術師を雇ったんだぞ」
やれやれといわんばかりに肩をすくめられる。
紡がれた言葉の意味を遅れて理解して、絶句した私の前で、どこか上機嫌にセルジュ様は語る。
スージーというのはプレイヤーキャラのデフォルトネームだと遅れて理解した。
「ベランジェールが国を滅ぼす悪女だと、教えてくれた君に報いたというのに。最近は様子がおかしいな。いったいどうしたんだ?」
「え、あの……」
「魂を入れ替える儀式はリスキーだと聞いたが、それでも、と願っただろう」
どういう、こと。
私はベランジェールでは、ない?
いや、ベランジェールの姿をした、魂はスージー?
いや、でも、いまの人格は前世のものだから、えっと。
いわれてみれば、記憶の底に、違和感が残っている。三つの記憶が、脳内で混乱している。
それぞれの記憶が、自分こそが正義だと主張していた。
ベランジェールの祖国を滅ぼされた悲しみ。
スージーの悪女を陥れたと高笑いしている高慢な気持ち。
前世の私の、労働がとにかく辛かった苦痛。
全てが混ざり合って、吐き気がする。
わたし、は。
「私は、だれ……?」
呆然と呟いた私に、セルジュ様が笑う。穏やかで優しい、けれど、なぜか怖い顔。
「さて。知らないな。私は国が滅びなければそれでいい」
その言葉、に。
その場にへたりこんだ私の前で、セルジュ様はいつも通りに政務を再開した。
わたしは、だぁれ。
◤ ̄ ̄ ̄ ̄◥
あとがき
◣____◢
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