できない仮面とできる仮面──二人の自閉症者が選んだ、真逆の生存戦略
林凍
できないふりの女と、できるふりの男
私には、仮面がある。
それは舞台で使うような華やかな仮面ではない。誰かに褒められるような美しい仮面でもない。
ただ、「できない人」を演じるための、地味で目立たない仮面だ。
彼にも、仮面がある。
それは誰もが憧れるような立派な仮面ではない。本人が誇れるような輝かしい仮面でもない。
ただ、「できる人」「普通の人」を演じるための、疲れ果てた仮面だ。
私たちは二人とも、大人になってから自閉スペクトラム症(ASD)の診断を受けた。
同じ「障害」を持ちながら、私たちが選んだ生存戦略は、真逆だった。
◇
【彼女の話──できない仮面】
私がASDの診断を受けたのは、三十二歳のときだった。
それまで転職を四回繰り返し、どの職場でも人間関係で躓いてきた。友達は一人もいなかった。学生時代も、職場でも、いつも孤立していた。
休日は部屋にこもってゲームをするか、本を読むか、動画を見るか。誰かと出かけたことなど、ほとんどなかった。
最初の会社では、私は必死だった。
「仕事ができない人間」と思われたくなかった。だから、誰よりも早く出社し、誰よりも遅く退社した。資料作成は完璧を目指し、データは何度も見直した。上司に言われたことは、120%の力で応えようとした。
最初のうちは、うまくいっていた。
入社して三か月目、課長が私の席にやってきた。
「小野さん、この前の提案資料、よくできてたよ。グラフの配置とか、データの見せ方とか、すごく分かりやすかった」。
その言葉を聞いたとき、胸が熱くなった。
私は、誰かの役に立てている。
それが、何よりも嬉しかった。
翌週、同じ課長が言った。
「小野さん、なんだ、できるじゃん。じゃあ次の企画書も任せていい? 来週の会議で使うやつ」。
「はい」と即答した。
期待に応えたい。その一心だった。
その週末、私は十二時間かけて企画書を作った。
配色、フォント、レイアウト、データの根拠。すべてを完璧にした。
月曜日、課長は満足そうに頷いた。
「いいね。じゃあ、これも追加でお願いできる? 月末の報告書なんだけど」。
そこから、雪崩のように仕事が増えていった。
「小野さん、この議事録まとめといて」。
「小野さん、このデータ入力お願い」。
「小野さん、急ぎで見積書作ってもらっていい?」。
「小野さんなら大丈夫だよね」。
ASDの特性として、私は「NO」が言えなかった。
断ったら嫌われる。断ったら評価が下がる。断ったら居場所がなくなる。
そう思うと、「はい」としか言えなかった。
ある日、先輩の佐藤さんが心配そうに声をかけてきた。
「小野さん、最近すごい量の仕事抱えてない? 大丈夫?」。
「大丈夫です」と答えた。
本当は大丈夫じゃなかった。でも、「大丈夫じゃない」と言ったら、「仕事ができない人」と思われる気がした。
佐藤さんは少し考えて、こう言った。
「課長に相談してみたら? ちょっと業務量、見直してもらったほうがいいよ」。
でも私は首を振った。
「いえ、本当に大丈夫です。頑張ります」。
頑張る。頑張る。頑張る。
その言葉だけが、私を支えていた。
気づけば、私の業務量は入社時の三倍に膨れ上がっていた。
毎日、終電で帰宅。土日も自宅で資料作成。食事は適当にコンビニで済ませ、睡眠時間は四時間を切るようになった。
でも、まだ頑張れると思っていた。
まだ、やれる。まだ、大丈夫。
そう自分に言い聞かせていた。
限界が来たのは、ある月曜日の朝だった。
駅の改札を通ろうとしたとき、足が動かなくなった。
頭では「会社に行かなきゃ」と分かっているのに、身体が言うことを聞かない。呼吸が浅くなり、視界が狭くなった。
改札の前で立ち尽くす私を、通勤客が次々と追い抜いていった。
それから、会社を休むようになった。
最初は「体調不良」で一日だけ。次は「風邪」で三日。そして「病院に行く」と言って一週間。
心療内科で診断されたのは、「適応障害」だった。
会社に診断書を提出すると、周囲の態度が一変した。
「小野さん、結局仕事できないんだね」。
「120%とか言ってたけど、あれ嘘だったのかな」。
「あいつマジで使えないよねwww」。
誰も直接は言わなかったが、廊下でのヒソヒソ話、目を合わせない態度、急に減った業務連絡。
全部が、私への評価の暴落を物語っていた。
休職を経て退職した。
次の職場を探すとき、私は決めた。
「もう、頑張らない」。
◇
今の職場で、私は「できない人」を演じている。
面接のときから、戦略は決めていた。
「前職で適応障害になったこと」を正直に話し、「無理のない範囲で働きたい」と伝えた。
面接官は少し困った顔をしたが、「分かりました。できる範囲でお願いします」と言ってくれた。
入社初日、上司がこう言った。
「小野さんは、無理しないでね。ゆっくりでいいから」。
その言葉に、私は少しだけ罪悪感を覚えた。
本当は、もっとできる。本当は、もっと速くできる。
でも、それを見せてはいけない。
一度「できる」と思われたら、また同じことの繰り返しになる。
仕事を振られても、「ちょっと難しいです」と即答する。
「この資料、作れる?」と聞かれたら、「自信ないです」と答える。
「これ、急ぎでお願い」と言われたら、「今、他の仕事で手一杯で……」と断る。
最初の一か月は、本当に辛かった。
同僚の田村さんが、私の作った資料を見て言った。
「小野さん、これ、ちょっと……もう少し丁寧にできない?」。
私は意図的に「60%の完成度」で提出していた。
本当は、完璧にできる。でも、それを見せたら終わりだ。
「すみません。頑張ってみます」と答えた。
田村さんは少しため息をついた。
「まあ、焦らなくていいけどさ」。
その夜、私は自分を責めた。
嘘をついている。演技をしている。
でも、これが私の生存戦略なのだ。
三か月が過ぎたころ、同僚の山下さんが言った。
「小野さんって、なんか……もっとできそうなのに、もったいないよね」。
私は曖昧に笑った。
「そうですかね? 私、あんまり器用じゃないんです」。
「でもさ、前の会社では何やってたの?」。
「事務です。でも、向いてなくて……」。
嘘ではない。でも、全部の真実でもない。
もったいない? それは、あなたの基準だ。
私にとっては、この「できない仮面」こそが、生き延びるための唯一の方法なのだから。
でも、時々思う。
この仮面を外したら、私は誰なんだろう?
「本当にできない人」なのか、「できるのにできないふりをしている人」なのか。
その境界線が、だんだん曖昧になってきている気がする。
◇
【彼の話──できる仮面】
僕がASDの診断を受けたのは、二十五歳のときだった。
大学を卒業してすぐ、僕は心療内科の扉を叩いた。パニック障害、適応障害、抑うつ状態。診断書には、いくつもの病名が並んでいた。
小学生のころ、僕は「積極奇異型」だった。
興味のあることを一方的に話し続け、相手の反応が読めなかった。授業中に突然立ち上がって質問をし、先生を困らせた。クラスメイトの輪には入れず、いつも一人で図鑑を読んでいた。
「変なやつ」「空気読めない」「キモい」。
そう言われていることに、気づいていなかったわけではない。
ただ、どうすればいいのか分からなかった。
転機は、小学五年生のときだった。
ある日、クラスの中心的なグループが、僕のことを笑っているのを見た。
「田中ってマジで意味わかんないよな」「あいつと同じ班になりたくないわー」。
その瞬間、僕の中で何かが変わった。
「このままだと、いじめられる」。
そこから、僕は「普通」を必死で観察するようになった。
休み時間、教室の隅から、クラスメイトの動きを見ていた。
どんなタイミングで話しかけるのか。どんな言葉を選ぶのか。どんな表情をするのか。どれくらいの声の大きさで話すのか。
家に帰ると、ノートに書き出した。
「話しかけるタイミング:相手が座って、スマホを見ていないとき」。
「笑う場面:みんなが笑ったら、2秒遅れて笑う」。
「相槌の打ち方:『うんうん』→『へえ』→『マジで?』を3回ずつ繰り返す」。
「会話の切り上げ方:『そうなんだ』と言って、少しだけ視線を逸らす」。
鏡の前で練習した。
笑顔の作り方。驚いた顔の作り方。興味を持っているフリの仕方。
母が部屋のドアを開けて、「何してるの?」と聞いてきたことがあった。
「別に」と答えて、ノートを隠した。
この練習のことは、誰にも言えなかった。
中学に入ると、僕は「普通の人」を演じ始めた。
朝、教室に入るときは、「おはよう」と明るく言う。でも、大きすぎず、小さすぎず。
授業中、先生が冗談を言ったら笑う。たとえ面白いと思わなくても。
休み時間、一人でいると目立つから、誰かの近くにいる。話さなくてもいい。ただ、そこにいる。
ある日、クラスメイトの山田が言った。
「田中って、前より普通になったよな」。
その「普通になった」という言葉が、僕には最高の褒め言葉に聞こえた。
演技が、成功している。
でも、その成功の代償は、毎晩の疲労だった。
帰宅すると、僕はベッドに倒れ込んだ。
一日中、「普通」を演じ続けることは、想像以上に疲れた。
どのタイミングで笑うか。どのタイミングで話すか。どのタイミングで黙るか。
すべてを考えながら生きることは、まるでチェスをしながら歩いているようなものだった。
高校では、さらに「できる人」の仮面を強化した。
成績は学年トップ10をキープし、部活動では副部長を務めた。
「田中って、意外とちゃんとしてるよね」と言われるようになった。
「意外と」という言葉に引っかかりを覚えたが、それでも認められたことが嬉しかった。
大学に入学したとき、僕は安堵した。
「ここまでやれば、もう大丈夫だろう」。
でも、それは大きな間違いだった。
◇
大学は、それまでの「決まったルール」が通用しない場所だった。
高校までは、時間割が決まっていて、座る席が決まっていて、やるべきことが明確だった。
でも大学は違った。
授業は自分で選ぶ。友達も自分で作る。サークルも自分で決める。アルバイトも自分で探す。
「自由」と言えば聞こえはいいが、僕にとっては「決まったルールのない世界」だった。
僕は焦った。
「普通の大学生」を演じなければならない。
だから、友達を作ろうとした。サークルに入った。飲み会にも参加した。バイトも始めた。
でも、どれもうまくいかなかった。
サークルの飲み会で、僕は何を話せばいいのか分からなかった。
「田中、お前彼女いるの?」と聞かれた。
「いない」と答えた。
「マジで? なんで? 好きなタイプは?」。
好きなタイプ? そんなこと考えたこともなかった。
「えーと……優しい人、かな」。
「それだけ? もっとないの? 顔は? スタイルは?」。
みんなが笑っている。でも、僕には何が面白いのか分からなかった。
別の日、サークルの先輩が言った。
「田中、お前ノリ悪いな」。
ノリ? ノリって何だ? どうすればノリがよくなるんだ?
「すみません」と謝った。
でも、何に対して謝っているのか、自分でも分からなかった。
バイト先のコンビニでは、「臨機応変に対応して」と言われた。
ある日、レジに並んでいる客が「タバコちょうだい」と言った。
「何番ですか?」と聞いた。
「いや、普通の」。
普通の? タバコに「普通」なんてあるのか?
僕は固まった。頭が真っ白になった。
「お客さん、番号で言ってもらえますか?」。
客は少しイライラした様子で、「セブンスター」と言った。
店長に呼ばれた。
「田中くん、もうちょっと柔軟に考えてよ。お客さんが困ってたよ」。
柔軟? どう柔軟にすればいいんだ?
マニュアルには「番号で聞く」と書いてあった。僕はマニュアル通りにやった。
それなのに、怒られる。
何が正しいのか、もう分からなくなっていた。
「できる仮面」「普通の仮面」は、どんどん重くなっていった。
朝、起きるのが辛くなった。授業に行くのが辛くなった。
部屋を出るために、一時間かかるようになった。
玄関のドアノブに手をかけるまでに、三十分。
外に出るまでに、さらに三十分。
ある日、電車の中で突然、心臓が爆発するような感覚に襲われた。
息ができない。胸が苦しい。手足がしびれる。このまま死ぬのではないかと思った。
隣に座っていた女性が、心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」。
僕は答えられなかった。言葉が出てこなかった。
次の駅で降りて、ホームのベンチに座り込んだ。
三十分ほど経って、ようやく呼吸が戻ってきた。
それがパニック発作だと知ったのは、病院に行ってからだった。
◇
診察室で、医師は言った。
「田中さん、あなたはずっと『普通を演じる』ことで、自分を守ってきたんですね」。
その言葉を聞いて、僕は初めて泣いた。
誰にも言えなかった苦しさ。誰にも理解されなかった孤独。
全部が、溢れ出した。
「もう、仮面を外していいんですよ」。
医師はそう言った。
でも僕は思った。
仮面を外したら、僕には何が残るんだろう?
小学生のころの「空気読めない田中」に戻るのか?
誰からも理解されず、笑われ、避けられる存在に戻るのか?
それは、怖かった。
でも同時に、こうも思った。
このまま「できる仮面」をかぶり続けたら、僕は壊れる。
もう、限界だった。
◇
【二つの仮面】
彼女は「できないふり」をすることで、過剰な期待から身を守った。
彼は「できるふり」をすることで、孤立と嘲笑から身を守った。
どちらも、「素顔」を隠している。
どちらも、「仮面」をかぶって生きている。
そして、どちらも、それが苦しいことを知っている。
ASDの診断を受けた後、二人はそれぞれの道を歩み始めた。
彼女は「できない仮面」を意識的に選んだ。
「過剰な期待をされないこと」が、彼女にとっての安全だった。
馬鹿にされても、軽んじられても、それは「想定内」だった。
「できる」と思われて、できなかったときに裏切られる恐怖。
それよりは、最初から「できない」と思われているほうが、ずっと楽だった。
彼は「できる仮面」を少しずつ外し始めた。
大学は休学し、アルバイトも辞めた。
「普通」を演じることをやめ、自分のペースで生きることを選んだ。
友達は減った。誘われることも減った。
でも、それでよかった。
少なくとも、毎日がパニック発作との闘いではなくなった。
二人の選択は、真逆だった。
でも、どちらも「正解」だった。
なぜなら、それぞれが「生き延びるため」に選んだ戦略だったから。
◇
【仮面の意味】
私たちは、なぜ仮面をかぶるのか。
それは、「素顔」が受け入れられないと知っているからだ。
「できない」と正直に言えば、「甘えるな」「努力不足」と言われる。
「できる」と頑張り続ければ、「もっと」「もっと」と際限なく求められる。
「普通にできない」と言えば、「なんで?」「おかしい」と不思議がられる。
「普通を演じる」ことに疲れたと言えば、「みんな我慢してる」と返される。
だから、私たちは仮面をかぶる。
「できない仮面」か、「できる仮面」か。
どちらかを選ばなければ、生きていけない。
でも時々、思う。
仮面を外せる場所は、どこにあるのだろう?
素顔を見せられる相手は、いるのだろうか?
◇
【彼女のその後】
私は今も、「できない仮面」をかぶっている。
職場では「ちょっと頼りない人」として認識されている。
それでいいと思っている。
でも、一つだけ変わったことがある。
同じASDの診断を受けた人たちが集まる当事者会に、参加するようになったのだ。
そこでは、仮面を外せる。
「できないふりをしてる」と正直に言っても、誰も責めない。
「頑張りすぎて壊れた」と話しても、みんな頷いてくれる。
「仮面、疲れるよね」という言葉に、「分かる」と返ってくる。
その空間だけは、私にとって「素顔でいられる場所」だった。
◇
【彼のその後】
僕は今、復学するかどうか悩んでいる。
「できる仮面」を少しずつ外した結果、僕はもう以前のような「優等生」ではなくなった。
それでも、それでいいのかもしれないと思い始めている。
ある日、当事者会で彼女と出会った。
会場は、駅から徒歩五分のコミュニティセンターだった。
参加者は十人ほど。年齢も性別もバラバラだった。
最初に自己紹介があった。
「田中です。二十六歳。ASDの診断を受けて、一年になります。大学を休学中です」。
短く話して、席に座った。
次に話したのが、彼女だった。
「小野です。三十三歳。ASDと診断されて、二年目です。今は事務の仕事をしています」。
彼女の声は小さく、聞き取りにくかった。
でも、その話し方に、どこか共感するものがあった。
会が始まると、ファシリテーターが言った。
「今日のテーマは『仮面』です。みなさんは、日常生活でどんな『仮面』をかぶっていますか?」。
最初に話し出したのは、四十代の男性だった。
「僕は会社で『明るいキャラ』を演じています。本当は人と話すのが苦手なんですけど、黙っていると『暗い』って言われるので」。
何人かが頷いた。
次に、二十代の女性が話した。
「私は『天然キャラ』です。わざと失敗したふりをして、笑いを取るようにしています。そうすると、周りがあまり期待しなくなるので」。
そのとき、僕は思った。
「失敗したふり」? それって、僕とは真逆じゃないか。
しばらくして、彼女が話し始めた。
「私は……『できない仮面』をかぶっています」。
会場が少しざわついた。
「前の職場で、120%頑張った結果、期待値が上がりすぎて、キャパオーバーになりました。それで適応障害になって……。だから今は、意図的に『できない人』を演じています」。
彼女の話を聞いて、僕は驚いた。
「できないふりをする」という選択肢が、世の中にあったのかと。
休憩時間、僕は彼女に話しかけた。
「さっきの話、興味深かったです」。
彼女は少し驚いた顔をした。
「あ、ありがとうございます」。
「僕は逆なんです。『できる仮面』をかぶっていて、それで壊れました」。
彼女は目を見開いた。
「え? 逆?」。
そこから、僕たちは話し始めた。
彼女の「できないふり」の話。僕の「できるふり」の話。
同じASDでも、真逆の戦略を選んだ二人の話。
彼女が言った。
「でもさ、本当は仮面なんてかぶりたくないよね」。
僕は頷いた。
「うん。でも、外せないんだよね」。
彼女は少し笑った。
「そうだね。でも、ここでは外せるよ。少なくとも」。
その言葉が、少しだけ、僕を救ってくれた気がした。
ここでは、「できる」も「できない」も演じなくていい。
ただ、自分でいられる。
それだけで、十分だった。
◇
【仮面の下の素顔】
私たちは、仮面をかぶって生きている。
「できない仮面」と「できる仮面」。
真逆の仮面だけれど、どちらも同じ目的のためにある。
「生き延びるため」。
社会は言う。
「ありのままでいいんだよ」。
「無理しなくていいんだよ」。
「自分らしく生きよう」。
でも、その言葉の裏側には、こんな条件が隠れている。
「ただし、迷惑をかけない範囲で」。
「ただし、期待を裏切らない範囲で」。
「ただし、『普通』の枠に収まる範囲で」。
だから、私たちは仮面をかぶる。
素顔を見せたら、受け入れられないことを知っているから。
でも、いつか。
いつか、仮面を外せる日が来るだろうか。
素顔のままで、生きていける社会が来るだろうか。
その答えは、まだ分からない。
でも少なくとも、僕たちは知っている。
「仮面の下には、確かに素顔がある」ということを。
そして、その素顔もまた、「生きたい」と願っているということを。
それだけで、少しだけ、明日を生きる理由になる気がする。
◇
【エピローグ】
当事者会が終わり、僕たちは駅までの道を一緒に歩いた。
秋の夕暮れ時。空は薄いオレンジ色に染まっていた。
「今日、参加してよかった」と僕は言った。
彼女は頷いた。
「私も。同じASDでも、こんなに違うんだなって思った」。
信号待ちのとき、彼女がふと言った。
「私、次の職場では、もう少し素顔を見せてみようかな」。
僕は驚いて聞いた。
「できない仮面、外すの?」。
彼女は首を振った。
「外すんじゃなくて、少しずつ、ずらしていくの。全部外すのは怖いから」。
「ずらす」。
その言葉が、妙にしっくりきた。
僕も言った。
「じゃあ、僕も。できる仮面を、少しずつずらしてみようかな」。
全部を外す勇気は、まだない。
でも、少しだけずらすことなら、できるかもしれない。
駅の改札前で、僕たちは別れた。
「また来月の会で」と彼女は言った。
「うん。また」と僕は答えた。
電車に乗りながら、僕は思った。
完璧な「できない」も、完璧な「できる」も、もう演じなくていい。
その中間で、揺れながら、迷いながら、生きていく。
それが、僕たちの新しい生き方かもしれない。
◇
それから三か月が経った。
僕は大学に復学した。
以前のような「優等生」ではなくなったが、それでもいいと思えるようになった。
授業は最低限だけ取り、サークルもバイトもやめた。
友達は減ったが、残った数人とは、以前より楽に付き合えるようになった。
「できる仮面」を少しずつずらした結果、僕は少しだけ楽になった。
完璧を目指さなくなった。「普通」を演じなくなった。
それでも、何とか生きていける。
そのことが、僕には大きな発見だった。
彼女からメールが来た。
「職場で、少しだけ『できる』を見せてみました。まだ怖いけど、少しずつやってみます」。
僕は返信した。
「無理しないでね。焦らなくていいから」。
彼女からすぐに返事が来た。
「ありがとう。あなたも無理しないでね」。
その言葉が、温かかった。
◇
仮面は、まだある。
でも、その下の素顔も、ちゃんとある。
それを忘れないでいること。
それが、今の僕たちにできることなのだと思う。
いつか、仮面を完全に外せる日が来るだろうか。
分からない。
でも、少しずつずらしていくことはできる。
そして、そのずらした隙間から、素顔を少しだけ覗かせることができる。
それで、十分なのかもしれない。
僕たちは、完璧な「素顔」を目指さなくてもいい。
仮面と素顔の間で、揺れながら生きていく。
それが、僕たちの生き方だ。
当事者会で、ある人が言っていた。
「仮面をかぶることは、弱さじゃない。生き延びるための強さだ」。
その言葉を、僕は今、信じている。
彼女も、きっと同じだと思う。
僕たちは仮面をかぶって生きている。
それは、恥ずかしいことじゃない。
それは、僕たちが「生きたい」と願っている証拠なのだから。
【完】
できない仮面とできる仮面──二人の自閉症者が選んだ、真逆の生存戦略 林凍 @okitashizuka_
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