第2話 推し活 沢木しおり

年間五千円は高い値段ではないけれども。この年でファンクラブに入ることがなんだか気が引ける。ファンクラブに入ったらテレビやインスタでは見れない会員だけが見れる写真やブログが見れるらしい。悩ましい。でもユウクンのプライベートな写真も見たいし。こんな気持ちになったのは、高校の時以来かもしれない。

高校時代、野球部の昼練習を校舎3階のベランダからひっそりと見ていた。好きとも言えない憧れ、とにかく見ていたい気持ちだった。

​就職、結婚と順調に進んだものの、夫を高校のあの時のように「とにかく見ていたい」なんて思ったことは無かった。

​子育ても終わろうとしている今、娘が夢中になりそうな若者に、何故こんなに夢中になるのか。自分がユウクンを推していることを他人に言うことは憚られた。


 ​パート勤めの私は、それを理由に娘が高3になるまで学校の役員から逃げ続けた。それでも流石に卒業までに一度はやらねば、と意を決して立候補をし、他の2名の方と共に残り半年間の役をやることにした。

​役員3人で今後の活動がスムーズに行くためにもランチでもして親交を深めようと集まったある日。

​柚月さんという男子生徒のお母さんが、自己紹介の中で「ユウクンというアイドルを追っかけています」と笑顔で言ったのを聞いて、私は胸がドクッと大きく鳴った。

​その時は、クラスに好きな子が居るのを隠す少女のような気持ちになり、自分も応援している、とは言えずに帰ってきた。それでも、それからは自己嫌悪や恥ずかしさは半減し、自分のような中年が若者を好きになり応援することは「恥」ではないのだ、と受け入れられるようになった。

​その後、すぐにファンクラブに登録をし、ユウクンが発信する情報が載っている雑誌や、出演するテレビは全てチェックをした。お金の許す限りグッズを買い、ライブのチケット取得に躍起になった。


​私は、週末の一人の時間はカフェに行き、そこでユウクンとデートをしている妄想をして過ごした。大学の頃に憧れたデートを一人で実行した。ひとりだけど、ひとりではない。妄想の中で言ってほしい言葉をユウクンが言ってくれる。

​満足した私は、甘い秘密を抱え込むような気持ちで家に戻って家事をした。「お母さん最近機嫌良くない?」と嬉しそうな夫に、なぁによ、と背中を叩いて笑ったりもした。夫婦生活の時にユウクンを思い出して気持ちを高揚させたことすらあった。

​推しがいる暮らしがこんなに楽しいものだったのかと生きがいを感じ始めた時、ネットニュースにユウクンのスキャンダルが流れた。ドラマで共演した女優と、ファンクラブの女性との二股をかけていた、というものだ。

​「そんなはずはない」彼はそんな事をする筈がない。それはきっとその女優が悪いのだ。ピュアな彼はその女にうまく騙されたに違いない。

​その日からその女優の事を分かる限り調べ尽くした。同時にファンクラブを運営するオフィスに、ファンクラブの誰がそんなに近い関係になれたのか?と問い合わせをあらゆる方法で行なった。

​幸せな妄想はその日を境に、相手探しの地獄の日々に変わった。

​公式の発表では簡単な「お騒がせしたことへのお詫び」が発表されたが、真意は分かるはずも無かった。


​「お母さん、このごろパートも休んでるようだし、役員会も欠席が増えたって、何かあった?って学校で聞かれたよ。」

​娘に言われて初めて、役員の仕事をないがしろにしていた事に気づいたが、恋敵を突き止めるまでは、何も手につかない。

​私の苦しみもわからない夫がベッドに入り込んでくる。なんでこんな時に相手をしなければいけないのだ、と声を荒らげて拒否をした。夫も娘も、なぜ私がこんなに追い詰められて辛い思いをしていることがわからないのか。


​いつものように、ファンクラブに入っていた相手が誰なのかを聞き出すためにユウクンの事務所に行くと、

​「こんにちわ、少しお話を聞かせてもらって良いですか?」

​と知らない男が近づいてきた。もしかしたら女優の関係者かもしれない。恋敵の私に知られたくないことがあって、私を脅かそうとしているのだ。

​そんな事をしても無駄だ、私はユウクンを取り返す為には負けたりしない。思いっきりその男を突き飛ばそうとした時、両腕を包み込むように捕まえられ

​「落ち着いて、、ゆっくり話を聞いてあげるからね」と止まっている車に乗るように促された。車?

​ハッとしてその周りを見ると、そこにいたのは抱き合うように寄り添う夫と娘だった。二人はこちらを見ていた。


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