【完結済】番台さん、幽世を知る。〜私はただ、彼女達の曲線に触れたかっただけ。〜

月雲とすず

第一話

「ありがとうねぇ。また来るよ」


「毎度あり〜、またのお越しを〜」


 返却されたロッカーの鍵を片付け、手拭い片手に帰ってゆくお婆ちゃんを私は番台から見送る。からからとスライドした入口の隙間から、木枯らしが暖を求めて吹きぬいた。


 ごく普通の高校生の私、"舟橋ふなはししの"が働いているのは、老舗しにせの銭湯であった。時給が良いうえに新しい出会いが多いことを聞きつけ、冬休み間のみのアルバイトとして雇ってもらっている。主に番台として脱衣所の人の出入りを監視しているが、数週間つづけているこの仕事に不満があった。


「なんで本館じゃなくて、古い別館の番台なんだよ〜!!」


 多くの女の子と知り合える本館で働きたかったのに…ここで働き始めて知り合ったのは、やけに肌が綺麗なお婆ちゃんばかりである。ここは美容の効果がすごいと話題の銭湯なのだが、若いお客さんが訪れるのは改築された本館の方で、古い別館に来るのは常連のお年寄りばかりであった。


 いくら本館で働きたいと懇願しても、従業員が少ないからと別館に配属されてしまう毎日。そんな具合で徐々にやる気を無くしているわけだが、ぐったりとした私に一筋の光が差し込まれた。


「舟橋さん、お疲れ様です。こちら差し入れです」


「湯浅ちゃ〜ん!ありがと〜!」


 お盆に一本の牛乳瓶を乗せて現れたのは、きらりとした笑顔が眩しい看板娘の"湯浅ゆあさくらね"であった。普段は本館と別館を行き来している彼女だが、たまにこうして差し入れを持って来てくれる。湯浅ちゃんは、私にとってのいやしの象徴なのだ。


「んぐっ、んぐ…っぷはぁ!!あ〜生き返る」


「うふふ…ほんと、舟橋さんが来てくださって助かります。こっちは本館よりも従業員が少なくて、手が回らないところがあったんですよ」


 微笑みを浮かべる湯浅ちゃんに空の牛乳瓶を回収されると、私は白いひげを作りながら無意識に顔を熱くした。足元に置いた石油ストーブの熱に浮かされたのだろうか、冷静さを取り戻すために口元の牛乳の残りを手の甲でぬぐう。


「では、私は本館の方に売上を持っていきますので、こちらを見ておいてくれますか?」


「了解!!この舟橋しの、役割をまっとうさせて頂きます!」


「ありがとうございます。…それと、もうひとつ」


 照れ隠しの敬礼をした私を無視して、湯浅ちゃんはこちらに振り向いた。


「これからの時間帯は、ここの"お得意様"が来られますので、対応のほうお願いします」


「お、お得意様…?」


「はい!決して悪い人達では無いので、安心してください。では、行って来ます」


 片手に現金を抱えながら、彼女は別館と本館を繋ぐ渡り廊下を駆けて行った。お得意様、というと一般客よりも多くお金を落としていく太客だろうか。入浴料の安さが売りの銭湯では珍しいタイプの客だが、もしかしたら地主などの大物の可能性がある。ひょっとすればチップが貰えるかもしれないと、期待を膨らませながら噂の客を待ち続けた。


 その合間は暇だったので、番台に座り週刊誌に目を通していると、隙間風がのれんを揺らす音がした。下駄箱に靴をしまう気配もしたので、あらかじめロッカーの鍵を取り出して待機する私。


「は〜い、いらっしゃいま…」


 どうせお婆ちゃんしか来ないと思い込んでいた私は、すぐさま息をのんだ。現れたのは、なんと高身長で美人な二人組のお姉さんであった。片方は紅のコートを羽織ったキレのある瞳の麗人で、もう片方は純白のワンピースに帽子を被った朗らかな聖女である。そして両方とも抜群のスタイルを持ち、艶のある漆黒のロングヘアーをなびかせていた。


「二人なんだが、いけるかな?」


「ひゃ、ひゃいっ!!大丈夫ですっ!!」


 コートのお姉さんに話しかけられた私は、緊張で声を裏返してしまう。小刻みに震える手で鍵を掴み、落とさないよう慎重に彼女達へと差し出した。


「こ、こちら、ロッカーの鍵です!ごゆっくりどうぞ!」


「うふふ、ありがとうございます」


 ワンピースの女性から感謝の言葉を受け取ると、彼女達はロッカーへと向かった。そして魔がさしてしまった私は、誘惑に負けて二人の脱衣を覗いてしまった。


 すこぶる美しいお姉さん達の肌はとても艶があり、情欲をそそる曲線美を描いていた。加えて無駄な肉のない健康的な体型で、無意識におすすめのダイエット方法を聞いてしまいそうになるほどである。


 泣きぼくろのお姉さんのワイシャツからこぼれた豊満の胸が、彼女の引き締まったスタイルとのギャップを感じさせる。もはや芸術品として、ルーブルの入り口にでかでかと掲示しても良いくらいの肉体美だが、それに劣らないフェロモンが彼女の身体からにじみ出ている。


 その隣で脱いだワンピースをハンガーに掛けるお姉さんは、光沢のある見栄えに長けた裸体を晒していた。長身であるが故に肌の面積が広く、どんな悪事でもあたたかく受け入れてくれそうな包容力が感じられる。それはまるで、純粋無垢な聖母の写し絵のようだった。


 生まれてから幾度いくどとなく女性に憧れを感じてきたが、これまで惹かれる方に出会ったのは初めてだった。二人の身体に魅了されていると、長身の方の女性が私の視線に気づいた素振りを見せる。怒られることを覚悟した私であったが、彼女は少し頬を赤らめながらもウィンクを返してくれた。その甘い仕草に心を打たれた私の心臓は、高鳴るばかりであった。


 脱ぎ終えた衣類をロッカーにしまった彼女達は、持参した手拭いと風呂桶を持って大浴場へと向かう。番台の隣を通過する時にお姉さん達から放たれる芳醇な香りに、触れてみたいという思いを抑えつける私の理性は崩壊寸前であった。


「あ…そういえば、番台さん。私達と会うのは初めてですよね?」


 二人の姿に見惚れていた時、長身のお姉さんが腰をかがめて私の顔を観察した。


「は、はい!そうだと思います」


「では、今後のために名前だけでも覚えてもらおうか」


 極めて容姿端麗なお姉さんに言い寄られて心臓が乱舞する私をそのままに、彼女達は全身を露出させながら自身の胸に手を当てた。


「私の名前は”鳴美なるみアメ”という。よろしく頼む」


「”神羅かんらやよい”です。今日は、お願いします」


「よ、よろしくおねがいします!」


 揺れる胸の主張に委縮しながらも挨拶を返した私に、お姉さん達はくすりと笑って大浴場へと足を踏み入れる。溜まっていた湯気が脱衣所に流れて簡易的な濃霧のうむを作り出すと、彼女達はそこに消えていった。


「とても、綺麗な人たちだったな…ん?スマホが鳴ってる?」


 濡れた足音が離れ、風呂桶の音が浴場に響く。お姉さん達の余韻に浸っていると、番台に置いていたスマホにメッセージが届いた。それは湯浅ちゃんからのメッセージで、水質管理のため湯船の塩素濃度を調べて欲しいというものであった。


 いつもは面倒なので進んでやらない仕事だが、お姉さん達の姿をもう一度拝めることができると考えた私は、わくわくした様子で測定器を片手に浴場へ入って行った。

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