消えた生徒会費
護武 倫太郎
消えた生徒会費
いつも賑やかな放課後の廊下が、今の私にとっては不協和音のように聞こえる。私の胸はドクドクと早鐘を打っており、鬱陶しい。私が歩く上履きの音だけは、周りに比べて実に空虚だ。
生徒会会計をしている私、桃華は重い足取りで旧校舎の三階にある生徒会室を目指していた。
「はぁ……」
思わず溜め息がこぼれ出す。今日から、三年生の生徒会長たちは修学旅行で不在で、その間の生徒会運営を任されているのだが、それが私には苦痛でならなかった。
理由はただひとつ。副会長の涼介の態度だ。
彼は無口で、常に氷のような視線を私に向けてくる。私が作成した帳簿にほんの少しでもミスがあれば、失望したような顔になる。挙げ句の果てには、もっと効率的にできないのか、無駄な努力だ、などと容赦なく切り捨ててくる。
私はただ一生懸命やってるだけなのに、どうしてそこまで言われなくちゃいけないの。きっと、私は彼に嫌われてるんだわ……。そう思うと、心が更にすり切れていく。
どんよりした気持ちを抱えたまま、生徒会室の扉を開けた瞬間、目の前に広がる光景に私は心臓が止まるかのような思いをした。
「なっ……何、これ……」
生徒会室は見るも無残に荒らされていた。棚に整然と並べられていたはずの書類は床中に散乱し、椅子はなぎ倒されている。窓は閉まっているものの、まるでこの部屋の中だけ嵐が通り過ぎた後のようだった。
そんな生徒会室の中心で、涼介が石像のように硬直して立ち尽くしていた。
「涼介君……これ、一体……?」
「わからない。俺がいつものように鍵を開けて入ったときには、既にこうなっていた」
涼介の声はいつも以上に低く、冷たかった。そこへ、廊下から賑やかな声が近づいてくる。
「こんちわーっ! ええっ、何すかこれ?」
「うわ、ひっでえな。空き巣でも入ったのか?」
入ってきたのは、一年生で書記の絵里と、二年生で書記の太一だ。
絵里はスカートを短く履けるように校則を変えることを目標に生徒会入りしたギャルで、今日もいつも通り短いスカートを揺らしている。大きな目がいつもより丸くなっているのは驚いているからだろうか。太一はいつも賑やかなムードメーカーだが、ビックリしすぎたのか、今日はいつもより声が大きい。生徒会活動の後に野球部の練習があるからか、大きなセカンドバッグを肩にかけていた。
「誰がこんなことを……。おい、何か盗まれたものとかはないよな」
太一が焦ったように声を張り上げる。その言葉を受けた涼介の鋭い視線が私に突き刺さる。
「生徒会費は……無事か?」
「えっ、あ、はい! すぐに確認します!」
普段、生徒会費は顧問の先生が管理しているのだが、文化祭の開催を控えるこの時期だけは、いつでも会計を執行できるようにと手提げ金庫に閉まって保管することになっている。私は慌てて自分の鞄を探った。生徒会費が入った手提げ金庫の鍵は、生徒会の会計が管理することが伝統だった。
3人の視線が私を捉える。緊張して指先が震えた私は、ポケットから鍵を取り出そうとした瞬間、指が滑った。鍵は無情にも私の手を離れ、散らかった書類の中に落ちていった。
「あっ……」
「おいおい、危ねえ。なくすとこだったぜ。桃華っち、ちょっと落ち着けよ」
太一が素早く屈み込み、鍵を拾い上げた。彼はそれをすぐに返さず、じっと桃華の顔を見つめた。
「てか、そんなに慌てるとか、桃華っち、ちょい怪しくね?……なんつって。そんな緊張してたら鍵刺さんないっしょ。俺が開けてやるよ」
太一は笑いながらそう言うと、私の机の上に置いてある綺麗な桃色の手提げ金庫を引き寄せる。太一が鍵を差し込むと、カチリと音を立てて金属製の蓋が開いた。
「おいおいおい、嘘だろ?」
太一の焦ったような声に反応して、2人が手提げ金庫に近づいていく。私も2人に半歩遅れて金庫の中を覗くと、中身が空っぽになっていた。
「……嘘。金庫の中、何も入ってないっすよ」
絵里の声が無情にも生徒会室に響く。私は血の気が引いていった。
「そんな……。昨日の放課後、確かにお金が入っているのを確認してから施錠したのに。それは皆も見てたよね?」
「ああ。たしかに、昨日の段階では中身があったし、桃華が鍵をかけたのは目視している。だが……」
涼介の視線が、ナイフのように私に突き刺さる。
「てか、この部屋最初に入ったのって誰だったんだ?桃華っち、あんたじゃないよな?」
「いや、それは俺だ。もちろん、鍵はかかっていたがな」
「生徒会室の鍵ってうちらしか持ってないよな?」
「ああ、俺達以外の生徒は、職員室に行って顧問の先生から借りるしか手はない。ま、そんな奴はいないだろうけどな……」
「それって、生徒会室を荒らすことができたのは、あたしたち生徒会メンバーだけってことっすよね。手提げ金庫の鍵を持ってて、開けられるのはその中でも桃華先輩だけ……?」
絵里が不安そうに首を傾げる。
「そういえば昨日、桃華っち、なんかボーッとしてたよな?」
「そっ、それは……」
最近涼介くんに嫌われていると思うと頭が働かなくて、とは言えなかった。
「……説明しろ。鍵は君の鞄から出てきた。君しか金庫を開けることはできない。そうだよな」
「桃華先輩……」
「私じゃない。 信じて、私は何も……」
私は必死に弁明しようと叫ぶが、言葉が虚しく空を切っていく。誰にも信じてもらえないことが何よりも辛い。私なりに生徒会として真面目にやってきたつもりなのに、どうして信じてもらえないのだろう。私がドジばかりだからなのかな。だから、やっぱり私は皆に嫌われているんだ。
私の視界が涙で滲み始めた。
「……いや、ちょっと待て」
金庫を手に取った涼介が声を上げた。彼は、細長い指で金庫の底面をなぞりながら、何かに気づいたようだった。
「太一。お前、この金庫、どうやって開けたんだ?」
「え? 何言ってんだよ涼介。見てただろ?桃華が落とした鍵を拾って、開けたところを」
「違うな」
涼介の声はいつもにも増して冷たかった。
「この金庫は、いつも俺たちが使っているものじゃない」
「えっ……?」
私は中身が空っぽの金庫をよく見てみると、たしかに、桃色の手提げ金庫は綺麗すぎるほどに、綺麗だった。
「この金庫は、傷一つついていない。あまりに綺麗な桃色だ。だが、生徒会で伝統的に使ってきた本物の金庫は、こんなに綺麗ではない。底面の塗装がわずかにはげているはずなんだ」
金庫の底面を見るが、傷一つついていなかった。まるで、新品のように。太一は脂汗をかき始めた。
「何言ってんだよ、そんなの気のせいだろ。現に、桃華が落とした鍵で開いたじゃないか!」
「ああ。それこそが、お前の最大のミスだろうな」
涼介は太一に一歩詰め寄った。
「桃華が鍵を落としたとき、お前はそれを拾い、こっそりとあらかじめ用意していた別の鍵とすり替えた。今ここにある金庫に合う鍵とな。桃華が落とした本物の鍵は、今もお前のポケットの中にでもあるんじゃないのか?」
太一は思わずポケットに手を入れてしまう。まるで、鍵を隠そうとするかのように。
「お前は誰も居ない時間に生徒会室に来て、生徒会費を手提げ金庫ごと盗みだし、色も形もそっくりな別の金庫と入れ替えた。だが、ただ盗んだだけでは鍵が開けられないし、桃華が鍵を開けようとした段階で金庫がすり替えられていることが露呈してしまう。だから、生徒会室を荒らしたんだ。俺たちが混乱しているどさくさ紛れに鍵をすり替えて、桃華の犯行に見せかけるためにな」
涼介の視線が、太一の足元にある大きなセカンドバッグに向けられた。
「そのバッグの中身、いつもより大きく重たそうだな。おそらく本物の手提げ金庫は、その中にあるんじゃないのか?」
「……っ!」
太一がバッグを掴んで逃げようとしたが、それよりも早く絵里が扉の前に立ち塞がる。
「太一先輩、マジっすか……?」
太一はもう逃げられないと悟ったのか、あるいは全身から力が抜けたのか、膝から崩れ落ちた。
彼のバッグの中からは、底面に小さな剥げ跡がある、いつもの手提げ金庫が出てきた。太一のポケットから出てきた鍵で開けると、中身の生徒会費はそのままだった。
うなだれた太一は、絵里が呼んできた顧問の先生によって連れて行かれた。重い処分が下されることになるだろう。
「太一くん、なんでこんなことしたの?」
先生に連れて行かれる前に、私は太一に尋ねた。
「別に。金がほしかったんだよ。遊ぶ金がな。それに桃華ならドジだし、勝手に罪かぶせられんじゃないかって思ったんだよ」
吐き捨てるような太一の言葉が、私の胸に深く刺さる。そんなに私は皆から良く思われてなかったの?
「ふざけるなよ、太一。お前が桃華をどう思っていたかは知らないが、桃華が罪を犯すとは思えない。俺は端から桃華を疑いなどしなかった。お前は何もかも間違っている」
太一は何も言い返さずに、生徒会室から出て行った。
★
太一がいなくなった生徒会室には、重たい沈黙だけが残されていた。私たち3人は誰からともなく荒れた生徒会室を直し始めたが、この空気に耐えられなかった私は口を開くしかなかった。どうしても、真意が気になるから。
「……ねえ、涼介君、さっきの言葉ってどういう意味?どうして私を信じてくれたの?」
涼介は黙々と手を動かしながら、顔も上げずに答えた。
「どうもこうもない。信じるも何も、ただ事実を言っただけだ」
「でも、私、いつも涼介くんに怒られてるし。効率が悪いって……。だからずっと、嫌われてると思ってたから……」
涼介の手が止まった。彼は少しだけ気まずそうに視線を逸らし、独り言のような小さな声で言った。
「……お前は、一生懸命すぎるんだ」
「えっ?」
「お前はたしかに効率が悪すぎる。要領が良いわけでも無いのに、いつも自分の限界まで働きすぎる。もっと効率よくやらないと、お前自身の体が持たない。……あれは、その、なんだ。もっと自分を労れという意味だ」
私はその言葉にハッとさせられた。まさか、いつもの冷たい言葉の裏に、そんな不器用な優しさが隠されていたなんて。
「そうっすよ、 桃華先輩。いっつも皆のために頑張りすぎっす。正直、真面目すぎてたまにキツいなーってときもあるっすけど。そんな先輩が嘘ついたりお金盗んだりなんてありえないっす。私も信じてたっすよ。先輩のこと大好きなんですから」
絵里が背後からぎゅっと抱きついてくる。絵里の暖かな体温が伝わってくる。
「……みんな」
私の胸に、温かい灯がともった。皆わたしのこと、信頼してくれてたんだ。私自身が私のことを認めてなかったのかもしれない。
ずっと嫌われていると思っていた涼介の横顔が、今は少しだけ照れているように見えた。
「さあ、片付けるぞ。効率よくやらないと帰れなくなる」
涼介の冗談めかした言葉に、今度は怯えることなく、私は満面の笑みで答えた。
「はいっ」
夕暮れの生徒会室の窓に暖かな茜色の光が差し込み、三人の影を長く伸ばしていた。明日からもまた、この場所で生徒会役員として頑張ろう。胸にともった暖かな灯を、自分自身で消さないように。
消えた生徒会費 護武 倫太郎 @hirogobrin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます