第1話 招かれざる客(前)

 宇宙船アストレアが突然の衝撃と共に航行を停止したのは、星還歴せいかんれき3869年11月6日のことだ。


 ネメシス星系に昨年発見された小惑星ケプラーβの環境調査を終え、明日には火星の基地へ帰り着くはずだった。



 船室のハンモックで仮眠をとっていたアイザックは、フワリと宙に体が浮いたかと思った次の瞬間、激しい重力によって落下し、強かに床に打ち付けられた。


「なに…なんだ?重力トラブルか?」


『ちょっとやだ、どうやらケツを掘られたようよ、船長』


 右耳に副船長のベティの声が響く。


 乗組員が耳たぶに着けている揃いの小さな丸いピアスは、識別章であると同時に通信機インカムでもある。


『左舷後方にエラーが出ています』


 同じくコックピットにいる操縦士のチャンミンの報告を裏付けるように、視界の右側がチカチカと赤く光った。


 コンタクトレンズに内蔵されているモニターには、左舷後方が赤く点滅する船の画像が映し出されている。


 次の瞬間、船内には、けたたましいサイレンとともに無機質な警告音声が響いた。


〈船内の圧力が低下しています。クルーはスーツを着用し、船内のハッチを確認してください。繰り返します──…〉


「アイザックだ。コックピットに向かう」


 インカムに向かって鋭く告げると、アイザックは、床に投げ出されていたスペーススーツを引っ掴み船室を出た。


「──…と、すまん!大丈夫か!?」


 ドアを出た瞬間、廊下を駆けてきたフェイと危うくぶつかるところだった。


「アイザック!衝突!?」

 フェイの問いにアイザックが曖昧に頷くのと、

『ドナだよ。ボクは重力制御室を見に行くよ!』

『エリックだ。じゃあオレは電力室に向かう』

とクルーの通信が飛び込んできたのとは、ほぼ同時だった。


「フェイ、お前も損耗確認を頼む。重力制御室でドナと合流してくれ。危ないから保護メットは出しておけよ」


 ベテラン揃いのチームの中で、フェイだけは今回が初めての星間航行だ。


 不安そうに視線を泳がせる彼女にそう指示を出すと、アイザックはコックピットのある船首へと急いだ。



 ──



 コックピットでは、チャンミンが圧力低下の原因となる空気漏れの箇所の特定を、そしてベティは完全に動きを止めた六基のエンジンの再起動を試みていた。


「状況は?」


 アイザックは、二人の間からシート越しにコンソールを覗き込む。


「良くないわね。ウンともスンとも、よ」


「電気系統か?或いは物理的な問題か・・・」


『アイザック!ドナだよ。重力制御装置はパッと見は大丈夫そう。ハッチも、ここより手前は問題なかった。ボクたちもエリックに合流するね』


「了解した。気を付けてくれ」


『アイザック、エリックだ。電力室で──ザザッ──だ。こっちへ──ザザザッ──・・・』


「エリック?おい、どうした?」


 何度かエリックに呼びかけたが、砂嵐のような雑音が耳を傷めるばかりだ。


「チャンミン、減圧の原因は第二電力室か?」


「恐らくは。ただ、システムに不具合が出ているようで、正確には特定できません」


 ザラリとした不安が胸の中をよぎる。


「…仕方ない、直接見てくる。二人とも、引き続きリカバリーに努めてくれ」


 コックピットを二人に任せると、アイザックは船尾へと向かった。


「あいよ、船長」


 ベティの返事がその背中を見送った。



 ──



 電力室は、廊下にあるハッチを開けると、その中でさらに二部屋に分かれている。


 廊下に近い側が第一、向こう側が第二電力室だ。


 第一と第二の間、そして第二の奥の壁にはそれぞれハッチがついており、第二の奥のハッチを開ければ、そこはそのまま宇宙空間である。


 このためクルーは、中に入る際はハッチの横にあるコンソールで虹彩認証を受けることが義務付けられていた。


 万が一、外のハッチが開いていることを知らずに、船内側のハッチを開けてしまう事故を防ぐためだ。


 アイザックが到着した時点で、画面には第一電力室にはドナとフェイが、第二電力室にエリックがいることが表示されていた。


 アイザックは。スペーススーツの襟元のボタンを押し、中に格納されていた透明な保護メットを引き出して頭と顔をすっぽりと覆うと、第一と第二の間のハッチが閉じていることを確認し、目の前のハッチを開けた。


 そして、中に入ってすぐ、嫌な予感の一つが当たっていたことを悟った。


 鳴り続く耳障りなサイレンと警告音声の向こうに、いつもならば聞こえるはずの、タービンの回る音が無い。


「ドナ!フェイ!状況は?」


「私たちも、いま着いたところです」


 部屋の奥、第二電力室は続くハッチの前にいたフェイが声を張り上げた。


 保護メット越しでくぐもった声から一拍遅れて右耳に響くインカム通信は、雑音がひどく使い物にならない。


 ドナはというと、第二との間の分厚い金属製の壁にペタリと耳をくっつけながら、どこで拾ってきたのか、金属の棒でその壁をコンコンと叩いていた。


 トン・ツーで、中にいるエリックとコミュニケーションをとっているのだ。


 アイザックはフェイを手招きすると、唇の前に指を立て、フェイに声を出すなと伝えた。インカムの雑音が、ドナの邪魔になるからだ。


 そして、部屋の中央にある巨大な発電装置を指さすと、フェイは右回りに、自分は左回りに目立った損傷が無いか確認するよう示した。


 コクリと頷いたフェイが、安全帯も留めずに作業を始めようとするので、慌てて追いかける。


──その紐は飾りじゃないんだぞ。


 キョトンとしているフェイの、スペーススーツの腰から下げてある安全帯を、手近な手すりに引っかけると、

(ごめんなさい)

と唇を動かすフェイの肩を、次から気を付けろよとの気持ちを込めてポンポンと軽く叩いた。


──まったく、危なっかしい新人だ。



 発電装置はといえば、外側から見る限り、さしたる損傷はなさそうだった。


 しかし、予想したとおりではあるが、稼働を示す緑色のランプは沈黙していた。衝撃による緊急ダウンであれば、ランプは白く点滅するはずだ。完全に消えているとなれば、中でトラブルが起きているに違いない。


 思わず溜息をつくアイザックに追い打ちをかけるように、壁から耳を離したドナが声を張り上げた。


「エリックから報告!第二発電装置、完全損失!窓より左舷エンジンを視認、うち2機は完全損失の疑いあり!外ハッチ横の壁に約3メーターの亀裂あり!」


──なるほど、残り半分の予感も当たっていた訳だ。


 クルーが全員無事であったこと。


 アイザックにとっては、それだけが救いだった。


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