月夜に猫はにゃんと鳴く

石田空

働かざる者炭当たるべからず

 都では、男がいなくなった貴族は悲惨なものであった。

 牛車にはねられ帰らぬ人となった父のため、彼女の家は使用人たちが暇乞いをしていなくなり、母も病で伏せりがちになってしまった。

 困り果てたのは、妙齢の年頃である十六夜であった。

 本来ならば、父のつてで婚姻が決まっていたのだが、父が死んだと同時にずっと文でやり取りをしていた婚約者も家に姿を見せなくなったのである。


(このままだと、私たち飢え死にしてしまうわ……)


 十六夜は必死にあちこちに出向いて「働かせてください」「裁縫はできます」「掃除も覚えます」「なんでもします」と頭を下げ続けた。

 本来、貴族の姫が隠れもせずに顔を出して頭を下げ続けるなんてことはあり得ない話で、当然ながら十六夜は汚いものを見る目で見られるようになった。

 しかし、とある貴族が十六夜に目を留めた。そして彼女を上から下までまじまじと眺めたのである。

 十六夜は父が死んでからというもの、髪の毛が長過ぎたら働けないと、尼そぎに髪を切り落としてしまい、背中までしか髪の毛がなかった。当然ながら長く引きずるほどの服ではなく、小袿くらいしか着ていない。


「まあ、ならうちで下働きをなさい」


 そう貴族が言ってくれたのである。

 下働きとは言っても、汚くて臭い仕事というよりも、ある程度字が書けて教養がないとできないような仕事であった。貴族邸の姫の家庭教師をしながら、姫の花嫁修業をさせるのである。花嫁修業として、読み書きや歌の歌い方、婚儀のときの段取り、裁縫の仕方……本来ならば侍女を雇って尽きっきりで面倒を見させるものなのだが、十六夜はかなり安く買いたたかれてしまったのだが、本人はわかっていなかった。


(これで冬を越せそうだわ)


 都の冬は厄介だ。炭をひと晩焚き続けなければ凍え死んでしまうため、炭を手に入れるというのは死活問題であった。そのためならば、十六夜は安く買いたたかれようが、いいように利用されようがどうでもよかった。

 冬さえ越せれば、あとはなんとかなる。

 だんだんまともに風呂に入れてないせいで彼女の手はかじかんできて、背中も丸くなってきたが、彼女は気にするそぶりを見せなかった。

 出される料理は、出仕している貴族邸の使用人たちと同じく、貴族の食べ残しであり、既に干からびていてあまりおいしくない。生の新鮮なものは全て貴族たちが酒と一緒に食している。それを食べながら、ごろごろとする腹を抱えている十六夜は「にゃあん」という声を聞いた。

 猫である。貴族はたびたび猫を飼って育てているが、誰かの飼い猫が紛れ込んだんだろうか。それにしても。


「こんな季節に子猫?」


 どう見てもそれは痩せぎすの猫であり、「にゃあん」と甲高い声を上げているものの、今にも倒れてしまいそうだ。

 十六夜は働くために我慢して食べているが、干からびた食事でお腹を壊しがちだった。十六夜はお腹を壊すくらいならと、自分は自分の食事の残りを子猫に分け与えた。


「にゃあん」

「ごめんなさいね。おひいさんは雀を飼ってるから、あなたをこれ以上中に入れてあげられないの」


 痩せぎすながらも毛並みだけは妙に綺麗な子猫を撫でて、外に出した。

 この子は夜を越せるだろうか。ちゃんと温かい場所で寝られるだろうか。その夜もなんとか炭で一夜を明かし、朝になってやっと寝ることができたのだった。


****


「最近猫の鳴き声がするのよ。困るわ。うちには雀がいるのに」


 鳥かごには、ふくふくと丸まった雀がいる。この屋敷の姫はおかんむりであった。彼女の声に、周りは嫌な顔をした。

 姫は火鉢の一番暖かい場所を常に与えられるため、そこから離れたら寒いということをわかっていなかった。皆が皆押しつけ合う中、ひとりが言ったのだ。


「そういえば。十六夜が猫に餌をやっていたような」

「まあ! 困ります。なら十六夜が責任を取って猫を追い出してちょうだい!」


 そう言われ、彼女は夜の寒い中、外に放り出されてしまった。

 暦の上ではまだ秋だが、夜になったら火鉢の近くにいなければ寒くて震えが止まらなくなる。おまけに冷えて乾いたものばかり食べていた十六夜は、体を壊していた。


「うう……猫ー猫ー」


 月は丸くて明るいが、月明かりでは体は温められない。十六夜は震えながら猫を探していたら。


「にゃあん」

 りぃーん


 猫の鳴き声と鈴の音を同時に聞いた。


「え?」

「そなたか。我が子の面倒を見てくれたのは」


 目をぱちぱちさせた先には、猫を抱えた美丈夫がいた。

 真っ白な癖毛は、気のせいか毛並みの長い猫を思わせた。この時期に狩衣だけで歩くのは寒いだろうに。


「……あなたは」

「褒美をやろう。なにがいい?」

「……寒いのは嫌です。我が家に炭をたくさんください」

「謙虚よな。体を壊していると見えるが」

「私が働かなかったら、実家に炭を送れないから」

「ふぅーむ。あいわかった。なら贈ってやろう。では、ひとつ我の話を聞いてはくれないか?」

「はい?」


 白い髪の男は、十六夜の前で跪いた。それに驚いて、十六夜は彼を見下ろす。


「我は猫神。妻を探しているところだ。猫に優しくしてくれたそなたを迎え入れたいのだが、どうだろうか?」


 十六夜は、この白い髪の男を途方に暮れた顔で眺めていた。

 その言葉を信じていいのかがわからない。そもそも自分の元を訪れた男は、父が死んだあとぱったりと音沙汰がなくなり、それが原因で彼女の家は困窮を極めたのだから。

 誰かに寄りかからないと生きられない生き方は、簡単に生死を決められてしまうと思い知った十六夜にとって、そこに情がひとかけらあろうともなかろうとも、求婚というものはおそろしいものであった。


「……考えさせてください」

「ほう?」

「私は自分の足で立つから、なんとか生きていられます。もし私があなたに捨てられたら、私はまた死にたくないのに死にかけます。家の母も死にます。もう死にかけるのはこりごりです」

「ふうむ……よほどさんざんな目に遭ったと見受ける。あいわかった」


 そう言うと、猫神はパチンと扇子を叩いた。


「では女房の仕事をさせよう。月の都に出仕する。それならば困るまい?」

「月? 都?」

「猫も兎も月に出仕するものであろう?」

「は、はあ……」

「それでたんまり働き、我の元で眠ればいい。これならば、なんの問題もあるまい?」

「……月の都の方は、困らないのですか?」

「このまま買いたたかれていいように使われるくらいならば、面倒だが高給取りになったほうがよかろう?」


 十六夜は迷った。どこで働くのかがわからない。この猫神を名乗る男にいいように使われているようにも見える。だが。

 今日は凍てつくように寒く、そのときに猫を抱えて現れた男が優しく見えた。なによりも実家のことは解決しそうなのにも。


「……それならば」

「なら、参ろうか。なに。猫は恨みを三代祟るが、同時に恩義も忘れない。その体早く治すがいい」


 こうして彼女は車に乗せられた。

 カラカラと鳴る車。どこかで猫がにゃあんと鳴いた。

 皆が簾を下ろしてしまった夜に、丸い月に飛ぶ車は、不可思議なものだろう。


<了>

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