第2話「AF-08d20:ヒト・アラーム/ep2」

■第2話「AF-08d20:ヒト・アラーム/ep2」


 目標の部屋のドアに辿り着くと、月華はまず顔を寄せて耳を澄ませた。

 室内からは何の物音も聞こえてこない。少なくとも、大型の生物がいる気配はない。


「ハスミ、第一報は『異音がする』だっけ?」


 一度ドアから顔を離すと、月華は小声で尋ねた。


「えっと、はい。確か大家さんから『人の声がする』と通報があったはずです」


 兎乃への確認を経て、月華は不敵に鼻を鳴らした。


「人の声、ね。一応不法侵入者の線もあるけど、あたしらがここにいる時点でただの物盗りってこたぁねえな。ハスミ、そっちからゆっくりドア開けて」


「分かりました」


 外開きのドアを、開きながらそのまま盾にするような位置に兎乃が立つ。

 月華は空いた隙間をすぐに覗ける位置に立つと、プレートキャリアのポーチからフラッシュライトを取り出して電源を入れた。


 兎乃がドアノブを捻り、物音が最小限になるぐらいゆっくりと開いていく。

 微かな擦過音が静寂の中に溶け込み、兎乃は緊張で自身の鼓動が高まっていることに気付いた。


 人がやっと通れる隙間が空いた瞬間、月華は走らず、だが速やかに部屋の中へと進入した。

 フラッシュライトと銃口を重ねるようにし、玄関の左右上下を照らす。

 何も『異常』が存在しないことを確認してから、無言で銃口を下ろし、後ろ手に合図をした。


 その様子をドアの陰から見ていた兎乃も、部屋の中へと歩み入る。

 後ろ手にドアを閉めると、ガチャンとやけに大きく音が響いた。まるで牢屋の鉄格子が閉じたみたいだ、と兎乃は思った。

 緊張して、無意識に左足のかかとで地面をトントンと叩きながら壁を手探りする。

 玄関の電源スイッチを見つけ、オンにする。パチ、という音と共に、電気は問題なく点いた。


「何もいねえな」


 月華が言ったように、室内に生物がいるようには思えない。

 そもそもそれほど広くない、ワンルームの個室である。玄関にキッチンと洗濯機、左手にユニットバス、奥に洋室。

 それだけの間取りなので、隠れられるような場所もほとんどない。


「バスルームを頼む」


 容赦なく土足のまま洋室へと進む月華。

 兎乃は一瞬だけ迷ったのち、結局同じように土足で玄関を上がった。自分のフラッシュライトを取り出す。

 ユニットバスの入り口から顔とフラッシュライトを覗かせるが、ここにもおかしいものはない。

 玄関と同様に壁のスイッチで電気を点ける。はっきり見えるようになった周囲をあらためて見渡す。


 洋式のトイレに小さな洗面台と鏡。少し怖いが鏡を覗き込んでも、自分の顔しか映らない。

 奥のバスタブも綺麗だった。角に合わせてシャンプーとボディソープのボトルが置いてある。


 一見した限りおかしい所は何もない。

 そのはずなのに、兎乃は強い違和感を覚えた。


 もう一度バスルームを見渡す。トイレットペーパー。コップに差した歯ブラシ。積まれたタオル。

 何もかもありふれた、一人暮らしのワンルームにしか見えない。


 そうだ、スマホで見たAFの画像ファイルの経緯説明文だ。それなら、どうして。


 どうして大家はこの部屋を「空き部屋」と断言した……?


 これがAFによる偽装のようなものだとしたら、この部屋には確かに何かがいるということになる。

 兎乃は緊張から一度大きく呼吸をし、自分を落ち着かせるように左手で胸を押さえた。

 大丈夫。ここには何もない。踵を返して月華のいる洋室へと向かう。


「ゆ、月華さん。こっちには変なものは見当たりませんでした」


 背中越しに報告を受けた月華も、既に洋室の電気を点けて部屋内を見渡していた。

 兎乃から聞いた通り、六畳ほどの空間にテーブルと戸棚がひとつずつ。壁際には収納と折り畳み式のベッド。カーテンは閉まっている。

 テーブルの上には花の生けられていない花瓶と、黒い卓上ラジオ。

 死者が出たはずだが、警察が対処済みなのであろう。その痕跡はどこにも見当たらない。


「……ここも、何もいませんね」


「そう見えるな」


「……これで帰ったら、ダメですかね」


「ダメだろうな」


 月華は警戒を解かずに端的に返答しながら、もう一度ぐるりと部屋の中を見渡してフラッシュライトの電源を切った。

 最後にその視線は、テーブルの上のラジオに向けられた。


「人の声がしたってんなら、当然怪しいのはコイツだけど」


 そう言いながら、テーブルに近づいていく。

 古びたとは言わないが、最新式はとても言えない卓上ラジオ。電源ケーブルは見当たらないので、電池で動く携帯式だろうか。

 電源ボタンを探そうと、月華がラジオに左手を伸ばした、その瞬間。


【……ズズズザザッ……本ザザのニューー……ズズえしまザッ……】


「!!」


 ひとりでに、ラジオが喋りだした。


 兎乃が息を呑む。月華が素早く一歩身を引き、拳銃を両手で構える。

 生者の発する音が何もなくなった静謐な洋室内に、ノイズ交じりの声が、ラジオから送られてくる。


【……ザッザッさ未明、ザ県ザザょうににお……

 ザのたなザザザッ遺体となって発けズズザ……】


 月華はラジオにピタリと拳銃の狙いをつけたまま動かない。


 動くことも逃げ出すこともできない兎乃は、左手で耳にかかる髪をかきあげた。

 緊張で呼吸が浅く、荒くなっている。空気は肌寒いぐらいなのに、汗が額にじわりと浮かぶ。

 兎乃は自分のフラッシュライトを床に落としていることにも気付かず、拳銃を両手で握り、胸の前に寄せた。


【……ズズザい察では事件と事……ザザ両方の可能性を……】


 ラジオは止まらない。喋っている声はノイズ混じりで全てを聞き取ることができない。


 はずだったのに、何故か次第に声が明瞭になっていく。内容が理解できてしまう。

 ノイズは止んでいない。それどころか次第に大きくなっていく。

 なのに、声が、ノイズが。どちらも、徐々に、徐々に。


【……警察では事件と事故の事故の事故の事故の事故の事故】


「やめてぇッ!!」


 耐えられなくなった兎乃が叫ぶのと同時に、乾いた炸裂音が二回響く。

 月華が放った銃弾は、正確にラジオのボディ、スピーカー部分へと命中した。

 テーブルの上でラジオが小さく跳ね、衝突音と共に外装が割れた。中の基盤も同時に破損したことが見て取れた。


 それでもラジオは止まらなかった。


【の事故の事故の彼がお前のお前の彼のお前のお前が事故の彼が】


 二発、三発、四発、五発――続けて月華の拳銃が火を吹く。その度に弾丸がラジオで爆ぜ、一部は貫通すらした。

 だがラジオは止まらない。貼り付いたかのようにテーブルから落下しないラジオは、依然として呪詛を吐き続ける。

 ボリュームのつまみが壊れて限界がなくなったかのように、際限なく音量が増していく。


 それはつまり、ノイズと声によるこの世への浸食を加速していくことに他ならなかった。


 呼吸が荒い。鼓動が早い。兎乃は自身に起きている変調を認識した。

 眩暈がしてきた。酷い頭痛もする。呪いが耳から脳内へと注ぎ込まれる。体中から脂汗が噴き出る。

 自分の体を支えられなくなり、兎乃は壁に体をもたれかけた。拳銃は手から零れ落ちている。


 呼吸が更に荒くなる。鼓動が更に早くなる。

 かつて感じたことのない苦痛。口から吐瀉物か血か何かが溢れる。


 心臓が、壊れる。


 ノイズが、異常な声が、頭の中を暴れ回る。

 呼吸ができない。心拍数が上がる。止まらない。


 しにたくない。


 視界が回る。体が熱い。

 わからない。


 あ あ

 しぬの?


 いや だ

 しに


 し


 そして、意識は完全に途絶えた。



 * * *



 瞼が重い。

 大変な苦労の末にわずかに開いたとしても、うたた寝から目覚める時のように焦点が合ってくれない。


 誰かが喋っている。

 このまま寝かせてほしい。兎乃は心からそう思って、再び瞼を閉じた。


「ハスミ!」


 頬を殴られる衝撃で、一気に意識が覚醒に近付いた。

 混乱する頭、ぼやける焦点で、兎乃は状況を理解しようとする。


 ワンルームの玄関に座り込んでいる。正面には自分を叱咤する月華がいる。

 そうだ、自分は異世界で、ブラック役所に放り込まれて、初出動でここまで来て。


 心臓を狂わす、この世の物ではないノイズと声の幻聴が頭に流れた。


 兎乃の全身を悪寒が走り、精神から来る汗が噴き出した。

 両手で頭を覆うようにうずくまりながら、胃液を出るだけ全部吐き出した。


「ゥオェッ!! ゲホッ!!」


「ハスミ! しっかりしろ!!」


『R2、どうした!? R1、状況報告しろ!!』


 守屋の声に焦りが滲む。月華は端的に返答する。


「こちらR1、R2に異変あり。AFの出現は確認できない」


『班長、こっちも異常の検知は確認できない』


 淡々とした通信手、周防波瑠(すおうはる)の応答が、逆に事態の異常さを際立たせる。


 月華が肩を押さえながらなおも呼びかけるが、兎乃には返答できない。

 何度もえずき、出るものがなくなって、ようやく吐くの止めた。全身がガクガクと震えている。


「落ち着け。深呼吸しろ。いいか? お前は無事だ。何も起きてない。今はまだ、安全だ」


 月華の声ははっきりと強い口調で、それでいて冷静だった。

 バディの異常事態への慣れと落ち着きが、兎乃の恐怖を少しだけ和らげた。


 意志の全てを恐怖に塗り潰されかけていたが、まだ残っていた一握りの理性が兎乃の中で働き出す。

 月華は兎乃の目が焦点を合わせ始めたのを確認し、しっかりと見つめ返して呼び掛けた。


「何があった?」


 なにがあった。この部屋で。


 ラジオが。

 突然動き出して。

 息が出来なくて。心臓が壊れそうで。

 怖くて。

 逃げ出すこともできなくて。


 それから――私は死んだ。


 月華の呼びかけで、急速に頭が回転し、現実の理解が進んでいく。


 今、自分は玄関にいる。バスルームも、洋室も、どちらも灯りが点いていない。

 何より月華は「何も起きてない」と言い切った。つまり、私たちはまだあれに遭遇していない。

 ならばさっきの体験は幻覚なのか? それとも今見ている光景が走馬灯なのか?


 分からない。分からないが。

 万が一、自分が体験した全てが、夢でも幻でもないのだとしたら。

 このまま、こうしていれば、恐らく。


「……また、死ぬ」


「また死ぬ? それはどういう意味だ?」


 未だ会話ができない兎乃に、月華は根気強く話しかけた。

 兎乃はまだ不快感がこびりつく頭で月華にどう説明すればいいのか考える。


『……蓮見君。もしかして君は、何か見たのか?』


 守屋が探るような調子で問いかけた。


「……はい、班長。確かに見ました」


 あの部屋で、怪異を――そう兎乃が言おうとした、その時。


【……ザザッ】


 洋室の奥から、ごくごくかすかなノイズの音が響いた。

 その瞬間、兎乃の全神経を電気が走り抜けた。恐怖が全身を貫き、四肢が硬直する。


 説明している時間が、ない。


 このままでは、すぐ、同じように死ぬ。


 嫌だ。


 兎乃の頭が全力で回りだす。


 なんとかしなくちゃ。


 私が、なんとかしなくちゃいけないんだ。


 砕けんばかりに歯を噛み締め覚悟を決めると、兎乃は月華に支えられながら立ち上がった。

 聴覚に神経を集め、確認する。まだノイズは遠く、声もほとんど聞き取れない。月華も気付いていない。


 今ならまだ、できることがあるかもしれない。


 あの現実を、繰り返さずに済むかもしれない。


「……月華さん。時間がなくて説明できませんが、私に任せて下さい」


 汚れた口元を袖でぐいと拭う兎乃に、月華ではなく守屋が問いかけた。


『確認させてくれ。……やれるのか?』


 無線の向こうの守屋と波瑠に、そして目の前の月華に。


「やります。やらせて下さい」


 兎乃は短く息を吸い、強く言い切った。


「――私が何とかしてみせますから」




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本話は、初日連続投稿の2話目です。10分後にもう1話公開します。


毎日20:30に更新をしていく予定です。

投稿初日のみ、10分の間を空けて計3話を投稿させて頂きます。

投稿2日目は、10分の間を空けて計2話を投稿させて頂きます。

以降は本編を1日1話で1章分連日投稿し、その後インターバルストーリーを1日1話か2話ずつ投稿の形を、最終話まで継続する予定です。

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