ラピッド・ラビット ~死に戻る少女は、英雄になれない~
@kazuhaRK22
第1話「AF-08d20:ヒト・アラーム/ep1」
■第1話「AF-08d20:ヒト・アラーム/ep1」
心臓が、壊れる。
蓮見兎乃(はすみうの)は、今際の際にそれを確信した。
鼓動の音が、爆発せんばかりに大きくなる。心拍数は際限なく上がっていく。
これが緊張によるものか、怪異によるものか、どちらかさえも判断できない。
目の前に迫るのは、死。
死にたくない。
ノイズが、異常な声が、不快な濁流となって頭の中を暴れ回る。
呼吸をしているはずなのに息が苦しい。まるで陸で溺れているようだ。
誰かが叫んでいる気がするが、何を言っているか分からない。これは自分の声か? それも分からない。
視界がぐるんぐるんと回り始める。最早自分が立っているのか、転んでいるかも分からない。
心臓は狂ったように脈動する速度を高めていく。
いや、事実として、この心臓はもう狂っている。
しにたくない。
瞳は既に何も映さず、耳は何の音も拾わない。ただただ、心臓が跳ね回っていることだけが分かる。
体の中心が燃えるように熱い。
何も分からない。
わかる。わからない。わかる。
あ あ
しぬの?
いや だ
しに
しにたくない
しにたく
し
そして、意識は完全に途絶えた。
* * *
時刻は四十分ほど前に遡る。
時刻は夜の七時を少し回ったところ。日が落ち、夜闇が広がる街中を、カーキ色のバンが走っている。
街灯の灯りは十分にあり、道路もきちんと舗装されているので、兎乃の座る助手席の乗り心地は悪くない。多少揺れはあるが、むしろ心地よいと言える。
だが当の兎乃はリラックスとはほど遠い表情をショートボブに整えた栗色の髪に沈ませて俯いていた。
「まーだビクビクしてんの? 諦めろって」
運転席に座る、シルバーアッシュの長髪を後ろで無造作にまとめた女性が、片手でハンドルを握りながら目線は寄越さずに言った。
タバコを持った右手を窓に引っ掛けたまま片手ハンドルで運転する態度に反し、どこか気遣うような調子で冗談を飛ばす。
「大丈夫だよ、半分は生きて帰ってんだから」
「は、半分死んでるんじゃないですか! 全然大丈夫じゃないです!」
反射的に運転席へと身を乗り出しかける兎乃を無視し、藍月華(ランユエホァ)は手馴れた様子で車線変更し、法定速度で走る車を追い抜いた。
低くない速度のまま追い越し車線でバンを走らせながら、月華は落ち着いた動作でタバコを深く吸って切れ長の目を細めると、長々と煙を吐き出した。
「ぜ、全然大丈夫じゃないです」
「聞こえてんよ。ま、あたしらには人権が無いんだからどうしようもねえよ」
齢十九にしてやや苦労人っぽい顔立ちの兎乃にはどこか同情してしまいそうな雰囲気があるのだが、月華は全く動じない。
タバコを灰皿に押し付けて右手にハンドルを持ち帰ると「それよか」と言いセンターコンソールボックスに置かれたスマホを兎乃に放った。
「まだ着くまで三十分ぐらいあるから、暇ならAFの資料でも見ときな」
納得したというより、同じ立場の月華に抗議しても無駄だと悟った兎乃は、しぶしぶスマホを手に持った。
車もスマホも、ほぼすべてが本当に地球と同じなんだよなあと思いつつ指紋認証でロックを解除する、
白背景に『SPRRU』の文字だけが浮かぶ待ち受け画面には、画像ファイルがひとつだけ配置してあった。
兎乃は迷うことなくその『AF-08d20』という名称のファイルをタップして開いた。
AFとは『アノマリー・ファクター』――日常に現れる、非日常との境界を超えたバケモノ。
この世界に暮らす人々のほぼ全員が、その実在を知らされていない。
何故なら国の秘密組織が裏で暗躍しているから、というのはお約束通り。
問題は、兎乃自身がその組織、『SPRRU』に配属させられたことだった。
しかもSPRRUは、殉職どんとこいのブラック役所だった。
兎乃と月華はいわゆる「異世界転生者」である。
転生者といえば世界を救う英雄と相場が決まっているところだが、それは生憎千年も昔の話。
今や転生者には人権すらなく、行く末のひとつがこの部署――バケモノ退治の切り込み役だった。
兎乃が開いた画像ファイルは、何かの文書を無理やり画像化したようなデータだった。
一番上に「AF-08d20」と番号らしきものが振ってあり、その下に画質の荒い写真が続いている。
「……写真がありますけど、見た感じ変なものは写ってません」
「ちなみに具体的には何が写ってる?」
「普通の部屋です。テーブルに空の花瓶と黒い機械がひとつ。あとは戸棚とカーテンですが……本当にそれだけです」
「ハハッ、何も分からねえってこった。出動経緯は?」
写真に続く概要説明らしきものに目を通しながら、兎乃が答える。
「大家さんから『空き部屋から人の声らしき音が聞こえる』と通報があったのが昨日。警察が調べたところ、遺体を発見。外傷無し。事件性無し。で、なんやかんやあって私たちに出動命令が」
「なんやかんやあってね。クソ便利な言葉だ」
月華がくつくつと笑う。笑ってない目がフロントガラスの先を冷静に見つめている。
兎乃はそんな月華からタバコ以外の匂いがしたような気がしたが、口にはしなかった。
「対処方針、無力化ののち、可能であれば確保。……これ全部、いつも通りなんですよね?」
怪訝そうな表情で顔を上げる兎乃。癖なのか、耳にかかる髪を一度かき上げる。
「何から何まで通常営業だねえ」
兎乃は一体どうしてこんなことになってしまったのかとため息をひとつ吐いて自身の境遇を嘆いた。
スマホをロックしなおし、手持ち無沙汰に何度か握ったり緩めたりする。
「ちなみに、このまま逃げたら私たちってどうなります?」
「知らねえけど、犯罪者として即拘束で済めばジャックポットって感じかな」
『……任務中に、あまり不穏なことを口走らないように』
車内の会話に割り込むように、骨伝導ヘッドセットから男性の声が届く。
隊舎で上とやり取りしながら二人をモニタリングしている、守屋加志貴(もりやかしき)班長の声だ。
「R1りょーかい」
「R2了解」
それぞれ返答し、班長が冗談で済ませてくれたあたりで二人は軽口を叩くのを止めた。
その時、ふと疑問に感じたことを、兎乃は口にする。
「……月華さん、この資料っていつ見ました? 出動前からずっと一緒でしたけど」
「見てねえよ。どうせ何も分かんねえし」
即答されスマホを投げ返した兎乃に、月華は愉快そうに笑ってみせた。
* * *
そのままバンはつつがなく走行し、目的地近くのコインパーキングへと到達した。
これからバケモノ退治に向かうというのに律儀に発券されたチケットが、兎乃にはどこか滑稽に見えた。
「到着ー。さ、こっからは歩くぞ。数分で着くから一応外出たら気ィ抜くなよ」
「月華さん、私鉄砲なんて撃ったことないんですけど……」
バンを停めサイドブレーキを引きながら、月華はまるで未知の動物の奇妙な習性を目撃したかのように目を見開いた。
「嘘っしょ? お前どんな田舎で暮らしてたん?」
「……日本です。神奈川県」
「どこ州だよそれ。本当に地球?」
中国系のアメリカ人である月華はもしかして日本では銃を持てないことを知らないのだろうか。
そんなことを考えてしまう兎乃だったが、聞くのも失礼かと思い、口にするのはやめておいた。
「トリガー引けば弾出る。それだけ」
当の月華は特に気にした様子もなく、不慣れな兎乃の装備がちゃんとしているか確認を手伝った。
それから運転中は外していたグローブをはめると、勢いよく運転席を開け外に出る。
それは分かるんですが、そういうことではなくて――諸々の言葉を飲み込みながら、兎乃は「はぁ」と諦観のこもった返事をした。
装備点検をしてもらい、兎乃も同様に車を降りる。
季節は秋の入りでこの時間の気温は肌寒いぐらいだが、SPRRUのジャケットにプレートキャリアまで着ていると気にならないものだ、と兎乃は白い息を吐きながら思った。
夜の住宅街は不自然なほど人気が無い。
守屋班長から事前に聞いた話では、『交通規制』されているらしいが。果たして言葉通りのものかどうか。
二人は黙々と歩き、コインパーキングから距離にして二百メートルほどにある目的地へと辿り着いた。
郊外によくあるような住宅街の、本当に普通の安アパート。その敷地の前で先頭を歩く月華は足を止めた。
「本部、こちらR1R2。現地到着。指示を待つ。どうぞ」
『本部了解。R1R2行動開始しろ』
守屋班長が応答した。
「R1R2了解。ハスミ、行くぞ」
本部、と言っても兎乃の知る限りでは守屋と周防の二人しか残っていない拠点に連絡を入れ終わると、月華はホルスターから右手で拳銃を抜き、軽く下げた。
兎乃も恐る恐る拳銃を取り出して両手で握る。想像よりもずっとしっかりとした重みが印象的だった。
「死にたくなければ、躊躇わないこと」
拳銃をひらひらさせながら月華はそう言うと、目標の部屋へ向けて歩き出す。
少しでも一人になるのを恐れるように、夜風に揺れる長い銀髪の尾を追って、兎乃もすぐその後に続いた。
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はじめまして、一葉と申します。
この度、はじめて小説というものを公に投稿させて頂く運びとなりました。
稚拙な部分も多々ありますが、拙作を面白いと思って頂ければ幸甚です。
本作は、本編28話+インターバルストーリー8話の計36話で構成されています。
全話執筆済みですので、途中で大きな問題がない限り、完結まで投稿いたします。
毎日20:30に更新をしていく予定です。
投稿初日のみ、10分の間を空けて計3話を投稿させて頂きます。
投稿2日目は、10分の間を空けて計2話を投稿させて頂きます。
以降は本編を1日1話で1章分連日投稿し、その後インターバルストーリーを1日1話か2話ずつ投稿の形を、最終話まで継続する予定です。
よろしければ完結までお付き合いくださいませ。
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