終章「想い」

 わたしの足もとには、ついさっきまで息をしていたはずの誰かの指先が触れている。

 見慣れた路地裏に住まう民も、いつも店に来ては愚痴をこぼしていた女も、名も知らぬ少年も──今はみんな、同じ顔で空を仰いでいた。何も映さなくなった、濁った瞳で。

 ここに横たわる全員が自ら命を絶ったのだと悟り、わたしは深く後悔した。


 これはすべて、わたし自身の罪が招いた結末なのだと認めざるを得なかった。


 それから数日は、街じゅうが騒然としていた。

 民兵団の詰め所は昼夜を問わず慌ただしく、人々は「祟り」「新手の病」と好き勝手な噂を飛ばしている。

 わたしも現場の目撃者として何度も呼び出され、状況説明の日々に追われていた。


 もちろん、この件は貴族たちにとっても無視できない問題になっていた。

 共和国ゴーゼンメイヘムの安定を揺るがしかねない事件として、各所で対策会議が開かれているらしい。


 そしてもうひとつ、街の裏側でささやかれている話があった。

 ──イニーツィオ家の当主、トレーソン・イニーツィオの失踪。


 集団自殺の現場付近で目撃されたという噂。彼が関わっていたのではないかという憶測。

 もちろんわたしも証言したが、結局決定的な証拠は見つからず、妄言として片づけられた。

 本人も行方知れずのまま、名前だけが風の噂として、静かに漂っていった。


 それからしばらくの月日がたち、ようやく占いの館に落ち着きつつあるわたしは、これからのことを考えてた。


 監視者への交信は、今までと同じように行える。

 だが──未来が視えない。


 ぼやけたノイズのようなものは感じるのに、そこから先に踏み込もうとすると、ふっと糸が断ち切られてしまう。まるで、肝心な部分だけがごっそりと削ぎ落とされたみたいに。


(……監視者の力が奪われた)


 そう考えるほうが自然だった。

 あの黒い球体──監視者の力がトレーソンのほうへと流れてしまったのだろう。


 もとはと言えば、それを呼び出すきっかけを作ったのは、他ならぬこのわたしだ。

 軽はずみに監視者の力を利用しようとして、結果的に最悪の形で世界に穴を開けてしまった。


「はは……責任、取るしかないよね」


 乾いた笑いとともに、わたしは鳥銃想具マスケット・ソアに手を伸ばし、その銃口を自分へ向ける。

 けれどその手は、あのときと同じように震えていた。

 誰かの命を奪う覚悟どころか、自分の命に幕を引く勇気すら持ち合わせていないのだ。


 それでも、震える指に無理やり力を込め、引き金を引いた。


 ――カチン。


 短く乾いた金属音が響いただけで、何も起きなかった。


「――弾詰まりか。贖う機会すら、わたしには与えられないってことね……」


 震えた声で、そうつぶやいた。

 いざというときの護身用に持っていただけで、ろくに整備もしていなかったのだ。そう考えれば、これは当然の結果と言える。


 何をやってもうまくいかないやるせなさと、どのみち彼を止められなかったのだという悟り。すべてを諦めかけた、そのときだった。


 鳥銃想具に視線を落とし、我に返る。

 今しがた自分がしようとした過ちについて。


 楽になろうとしていた。

 大勢の人々を巻き込んでしまった、その罪の荷を下ろそうとしていた。

 わたし一人の命で、この罪を終わらせてしまうこと。

 それは贖いではなく、逃げだ。卑怯だ。


 この弾詰まりは不幸ではなく、愚かなわたしへの最後の機会チャンスだ。

 強く唇を噛みしめ、ゆっくりと立ち上がった。


* * *


 それからわたしは、占いの館じゅうをひっくり返し始めた。


 古い帳簿、先々代が残したメモ書き、湿気を吸って波打った家系図。

 アスタロト家に関する記録を、片っ端から引っ張り出していく。


 ――きっとどこかに、この状況を打破できる鍵があるはずだ。

 そう信じて、わたしはひたすら探し続けた。


 そして、何度も読み返したはずの紙束の中に、見落としていた一枚が紛れ込んでいるのを見つけた。


『ゴーゼンメイヘムとゴゴラドの狭間──更地に眠る、アスタロト家ゆかりの封印遺跡について』


 滲んだインクで、そんな一文が記されていた。

 そこには、かつてアスタロト家が飢饉の折に用いた手段についても書かれていた。


 作物が実るまでの時を稼ぐため、

 民たちはその遺跡にある“結晶の間”に身を横たえ、

 結晶に包まれることで自らの生命活動を極限まで落とし、仮死状態で飢えをやりすごした──と。


 わたしの指先が、その一文の上で止まる。


(……結晶の間)


 いてもたってもいられず、わたしはここまであった出来事を手記に残した後、

 最低限の荷物だけをまとめて館を飛び出した。


* * *


 ゴーゼンメイヘムとゴゴラドのちょうど中ほど──

 地図上ではただの更地として記されている場所に、問題の遺跡はひっそりと口を開けていた。


 遺跡の入り口付近に自らの書いた手記を隠し、風に削られた石段を降りて暗い地下回廊を進む。

 途中には古びた仕掛けや、想具と連動した封印がいくつも残されていたが、

 アスタロト家の記録を頼りに、どうにかひとつずつ解除していく。


 どれほど歩いた頃だろう。


 やがて、氷のような青白い光が前方に滲んだ。


 そこが──結晶の間だった。


 洞窟のような広間いっぱいに、透明な結晶の柱が林立している。

 かつて飢えをしのぐために眠りについた者たちの名残が残っていた。


 中央には、ひとつだけ空になった台座があった。


「……ここ、か」


 息を飲む。


 記録によれば、この結晶は肉体の時間を停止させ、魂を保留する役割を担っている。

 飢饉の際には「作物が実るまでの一時的な避難所」として用いられたが、

 原理としてはもっと根本的な“時の延期”にも応用できるはずだ。


 この場所で、わたしは監視者と交信を繋いだまま、仮死状態になる。

 そうして今を飛び越え、いつかトレーソンを止めるための打開策が生まれる可能性に賭けるのだ。


 もちろん、成功する保証はどこにもない。


 力を失った監視者と繋がったまま結晶化すれば、わたしの意志が保てなくなるかもしれない。そもそも、目覚めることなくそのまま朽ち果てる可能性だってある。


 それでも──。


(やるしかない)


 逃げずに間違いを正す。

 そのために残された唯一の道がこれなら、迷っている時間はない。


 わたしは台座にもたれかかるように横たわり、

 深く息を吸ってから、意識を監視者へと沈めていく。


 上位存在の気配が、かすかに反応する。

 わたしはその糸を、震える指先で必死に掴んだ。


「わたしは、あなたに繋がったまま眠る。

 あなたの力を奪った、彼を止めるために──」


 静かに、結晶化の術式を発動させる。


 足先から、冷たい光が這い上がってくる。

 皮膚が、血が、骨が、ひとつずつ透明な膜に包まれていく感覚。


 視界が狭まり、音が遠のいていく。

 薄れゆく意識の中で、わたしはただ一つだけ、はっきりと言葉にする。


 たとえ何百年、何千年かかったとしても──

 わたしが彼を止めてみせる。


 それが、わたしのあがないだから。

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