第7話 村人に歓迎されるとは限らない

 翌朝、霧が立ちこめる薄曇りの空の下、アレンは村の中心にある広場で深呼吸した。

 王都の空気とはまるで違う。湿っていて、草と土の匂いが濃く、そして人の暮らしの息づかいがある。

 村の輪郭を確かめるように視線を巡らせる。木製の家々はどれも古びていて、壁には苔が張り付き、屋根は今にも崩れそうだ。

 それでも、ここには人の生があった。笑い声、足音、煙の匂い。生きる音が響いている。


「お、おい見ろよ。昨日の夜に来たってやつだ。」

「旅の人……珍しいな。何者なんだ。」


 広場に集まった村人たちが、訝しげな視線を向ける。

 アレンは腰の袋を整え、できるだけ穏やかに笑ってみせた。


「おはようございます。昨日、遅くに村長さんにここで寝泊まりを許可してもらいました。アレンといいます。」

「アレン……見ねぇ顔だ。商人か?」

「いえ、旅人です。仕事を探しながら、できれば暫くここで暮らせたらと。」


 返事を聞いた男たちは顔を見合わせた。

 一人がぼそりと呟く。

「……村に余所者を入れるわけにはいかんだろ。」

「そうだ。前の連中も盗みを働いて逃げたじゃねえか。特に、魔法使いなんぞろくな奴がいねえ。」

「魔法? あの人、魔導師なのか?」

「見ろよ、その杖。隠してるつもりかもしれねえが、柄の作りがそれだ。」


 刺すような空気。

 アレンは苦笑して、杖を軽く掲げる。

「道具ですよ。魔法はもう使いません。農作業でも修理でも、できることをするつもりです。」

「口ではなんとでも言えるさ。……証拠を見せな。」


 村人たちの一人が、一歩前に出て、地面に鍬を突き立てた。刃先が欠け、もう使い物にならないほどだった。

「これを直せるか? 言っておくが、魔法は禁止だ。村の規律を破るなら、追い出す。」


 アレンはそれを受け取り、しばし黙考した。

 そして、鍬を見つめながら、ゆっくりと指先で金属部分を叩いた。

 小さな音、わずかな響き。

 叩き加減だけで、金属粒子の流れや歪みの度合いがわかる。


「折れたのではなく、疲労ですね。この辺りの土が硬い。打ち直しだけでは駄目ですよ。」

「どうでもいい、できるかどうかだ!」


 アレンは苦笑したまま、鍬を地面に置く。

 懐に忍ばせた小瓶を取り出した。液体の中では銀色の粒がゆっくりと沈んでいる。

 王都時代に開発した“自己再生用触媒”――魔法を使わず、金属修復を可能にする試薬だ。


「魔法ではありません。触媒反応です。」

 そう言って液体を刃の欠けた部分に垂らす。

 じゅ、と小さな蒸気が上がり、村人たちが息を呑む。

 数秒後、欠けていた部分に銀の筋が走り、それが次第に研ぎ澄まされた刃に変わっていく。

 触媒が固化し、刃と完全に融合した。


「これで、もうしばらくは持ちますよ。」


 アレンが手を離すと同時に、村人が驚きの声を上げた。

「……ほんとに直ってる。」

「嘘だろ。手品か?」

「いや、あれは魔法じゃねえ……何かの薬品か?」


 懐疑に満ちた視線がやがて興味と感嘆に変わっていく。

 それでもなお、一人の老人が厳しい声を出した。

「妙な術でごまかすことはできる。だが、本当に村と共に生きるつもりがある証拠はない。」


 アレンは頷いた。

「一日で信じてほしいとは言いません。けれど、もし明日も明後日も、僕がここにいて、誰かの役に立てていたら……少しでも信じてもらえますか。」


 その言葉に、沈黙が続く。

 やがて、鍬を直してもらった男がぽつりと口を開いた。

「まぁ、悪い奴には見えねぇ。あの修理の手際は本物だ。……しばらく様子を見てやるか。」

「そうか、じゃあ一晩だけ宿を貸してやろう。」


 老人も渋々頷いた。

「だが、村の掟を忘れるな。魔法はご法度だ。勝手に力を振るえば追放だ。それでいいか?」

「わかりました。約束します。」


 アレンが頭を下げると、人々はそれぞれ持ち場へ戻っていった。

 すぐに村の日常の音が戻る。

 子どもたちの笑い声、鍛冶場で金属を打つ音、家畜の鳴き声。


 それをぼんやりと聞きながら、アレンはひっそりと息をついた。

「……歓迎とはいかなかったか。」


 だが、それも当然のことだった。

 この村の人々は、王都に見捨てられた者たちの集まり。

 魔物の被害も税の取り立ても、自分たちの力でどうにかしてきた。

 だから“魔導師”という存在が信用されるわけがない。


 それでも、構わない。

 信用されずとも、人を助けることはできる。

 それがアレンの信条だった。


         ◇


 昼過ぎ。

 村の裏山には、古い井戸があるという話を聞き、アレンは桶を担いでそこへ向かっていた。

 噂では、この数年で井戸が枯れたせいで渇水に悩まされているらしい。

 原因が地脈の乱れか地下水脈の遮断か、見てみる価値はあった。


 森を抜け、朽ちた石積みの井戸を覗き込む。

 暗闇の底にかすかな光。

 魔力ではない、自然発光の鉱石が反射していた。


(地表近くに鉱脈がある……なら、水の通り道もあるはずだ)


 試しに、井戸の縁に指をついて魔力を“風”の形で送り込む。

 微弱な探査。あくまで自然干渉の範囲。だが――


 ドンッ。

 地面が鳴った。

 次の瞬間、井戸の奥から濁った水が噴き上がる。


「うおっ!?」


 慌てて身を引くと、冷たい水しぶきが顔にかかった。

 しばらくして、勢いが収まる。見れば、井戸は見事に満水。

 流れが再び戻ったのだ。


「……少し加減を誤ったかな。」


 村へ戻ると、広場は騒ぎになっていた。

「井戸が……! 枯れてたはずの井戸から水が!」

「この時期に水が出るなんて、奇跡だ!」


 アレンが何気なく歩いていると、子どもたちが駆け寄ってきた。

「アレンさん! すごいよ! 水があふれてきたんだ!」

「そうですか。それは良かった。もう水汲みに苦労しなくて済みますね。」


 嬉しそうに笑う彼に、兵役上がりの男が呆れ顔で言った。

「……まさか、お前がやったのか?」

「いや、ただの偶然でしょう。山がほぐれたとか、雨水が貯まってたとか、そんなところですよ。」


 アレンは知らないふりをした。

 だが、その背中に注がれる視線の熱は変わっていた。

 昨日までの疑いは、静かな敬意へと変わりつつある。


         ◇


 夕暮れ。

 村の門番が火を焚き、帰る者たちを迎える時間。

 アレンは家の外で、畑に撒く肥料の調整をしていた。


 隣の家の老人が、ぼそりとつぶやいた。

「魔法は禁止だと言ったが、あんたが何をしてるか……誰も見たくないらしいよ。」

「それは助かります。」

「要するに……頼りにしてるってことだ。」


 アレンは言葉を失い、少しだけ笑った。

 風が吹き抜ける。草の匂いが懐かしく鼻をかすめる。


「歓迎されなくても、居場所は作れるものですね。」

「そうだ。ここじゃ生きることそのものが歓迎だ。」


 その夜、村に一筋の光が立ち昇った。

 夜空を照らすほどの眩しさではない。けれど、誰もがそれを感じ取った。

 辺境の地に、ようやく“希望”が灯ったのだ。


 そしてその光は、遠く離れた王都の天文塔からも観測されていた。

 報告書にはこう記される――


『北方ルーデン地区にて微弱な神聖波を検知。発生源不明。再調査要』


 翌日、王都の玉座でレオニール王子が歯ぎしりをする。

「まただ……あの男が、どこへ行っても光を残す。」


 その苛立ちが、やがてある決断を生むことになる。

 ――辺境監視隊・特別派遣。目標、アレン=クロード。


 追放された聖魔導師の物語は、静かに再加速を始めていた。

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